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◆10代の内に「出会って」ほしい作品◆
中学生の時はジェロームに同情しアリサを恨んだのに、高校生になるとジェロームが許せなくなっていた。
それが22で再びこの本を開いた時から私はジュリエットのことばかり想うようになった。そして40代…。
内容はテーマと一致しないが、10代の内に「出会って」ほしい作品のひとつとして紹介してみた。再会の度に自分が変わっていることを知った私には大切な本である。新生活がスタートするからといってすべて新しいものを選ぶ必要はない。昔の本を読み返すことは面白い実験かもしれない。
この紹介はそんな気持ちもこめている
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分からない。キリスト教思想が理解できないから分からないのか。クリスチャンなら、アリサの思考は分かるのか。本当に分からない。なぜアリサは狭き門を選ぶのか。分からないのは、私の人生経験の不足が原因なのか……
分からないのはともあれ、最後のアリサの手紙は結構こみ上げるものがあります。時々理解できませんが。でも本当に愛することってなんだろう、とか深く深く考えてみたくはなります。愛って、そんなに簡単に至高に達していいのかな、なんてね。
ちなみに、受け売りですが、作者のジッドやその奥さんとの関係(White weddingね)とか、ジッドの他の交友関係、それに自身が同性愛者であったことなんかも含めて自伝的文章のように考察すると、また変わった(深い?)解釈が得られるそうですよ。
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幼きころから惹かれあうジェロームとアリサ。
しかしアリサは妹がジェロームに思いを寄せていることに気づき婚約の申し出を断る。妹はそんな二人を思い、別の縁談を早々と実らせてしまう。
しかしそのことを割り切れないアリサ。
またジェロームを通してしか世界を見ていないことと、人として高みを目指すべきという信仰から二人で歩むことが互いの妨げになると危惧する。
すれ違いだした思いが結局ずれたまま悲劇を迎えていく。
アリサのためだけに高みを目指したジェロームのやりきれなさや、愛しながらも相手を思うがゆえのアリサの懊悩、ずれた歯車が二度とかみ合わないもどかしさ。
傑作でした。
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高校時代、授業がつまらない時に夢中で読んでいた記憶がある。
ジェローム、アリサ、ジュリエット。この三人は天上と地上の愛の狭間で体を引き千切られてゆく。
ジッドはアリサの”狭き門を通るような”自己犠牲の精神を美しく描いているけど、彼はそれを批判しているとか。
個人的には物語の構成が優れている点を強調したい。
あと、ネットで調べると『狭き門』と『源氏物語』の類似点が紹介されていました。面白い指摘でした。
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物語の語り手であり主人公でもあるジェロームは、2歳年上の従姉であるアリサに恋心を抱く。アリサもまたジェロームを愛しているが、周囲の人々も両者が結ばれることに好意的であるにもかかわらず、結婚をためらう。神の国に憧れを持つ彼女は、最終的に地上での幸福を放棄し、ジェロームとの結婚をあきらめ、ついには命を落とす。
この作品において、アリサの自己犠牲の精神は美しく描かれている。しかしジッドはこの作品を通して、アリサのような自己犠牲に対する批判を行った。
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人はなぜ、生き方を考えてしまうのか。
自然に生きていくというのはどういうことなのか。
そんなに考えなくても良いのかもしれない。
妥協を許さず追求した方が良いのかもしれない。
孤独は人を強くし、不幸にする。
苦しくても、悲しくても、己の信念のために狭き門をくぐる意味はどこにあるのでしょうか。
わからない。
でもわかりたい。
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ジッドは『田園交響曲』以来だったけど、あの牧師に対するのと同じ種類の苛立ちを、アリサに覚える。
自分が良かれと思っていることで、却って相手を傷つけているという。
それを悲劇ととれるかどうかで好き嫌いがわかれると思う。
私には、現実に生きて、かなわぬ恋にも前をむいて決別し、地に足をつけたジュリエットの生きかたのほうがずっと好ましい。
ただ、ジェロームが最後にジュリエットに語ったアリサへの愛は、確かに美しくて、切なかった。
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いままでほとんど海外の文学作品は読んだことがなかったのですが、
某ライトノベルでこの作品を下敷きに書かれている話があったので読んでみました。
やっぱり訳文は読みにくいですね。
あとたまに人物関係がわかんなくなってしまい、読むのにかなりの時間がかかりました。
(ま、それでもエミールに比べれば全然マシですが…)
題名の「狭き門」は、新約聖書のマタイ福音書第7章第13節にあらわれる、
「狭き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。」
というイエス・キリストの言葉に由来するそうです。
門は狭いので一人しか通れないからジェローム一人を通させようとする自己犠牲…
なんか日本人は結構好きそうな気がします。
ところで、サン・テグジュペリは
「愛するということは、お互いに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだ」
と述べていますが、アリサの愛では同じ方向も見ることができなかったんですね。
それにしても終盤のアリサの日記は凄まじかったです。
てか、死ぬときにこれ残すなよ。
これ残したらジェロームは永遠にアリサから離れられるわけないやん。
ま、それがジッドの皮肉なんでしょう。
でも、読んでよかったと思います。
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宗教的な「理想」に生きることのなんと過酷なことか。純粋で生真面目なアリサとジェロームの悲恋は落涙必至。感動そのままに著者紹介のページをめくると、ジッドの変態地味た経歴が記されていて...。しかし、感動はプライスレス!!
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とある事情により、読みました。
思ったよりも、読みやすい本でした。
アリサの生き方は幸福であると感じる人もいれば、不幸であると感じる人もいるのでしょう。
でも、基本的にひとりよがりなんだと思う。
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青山繁晴氏が大切にしている本のひとつということを知り、今更の年齢で読んでみる。ジェロームでもアリサでもないもう1人の主人公に心を寄せると味わいを増す。
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何が幸福の条件を壊すのかで独自の視点を示します。男女の純愛物語、と言いたいところですが、ヒロインの「正しさ」に対する過剰なプラトニズムが現実の人間同士の愛の否認にまで至るというプラトニズム批判の傑作です。
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宗教って大切だけど、その教義に縛られすぎるのも考えものだよね!という話(大ざっぱ)。恋人同士の微笑ましい雰囲気が、叙々に重苦しくなっていく。ラストはどうしてそうなった。
【志學館大学】ニックネーム:ねこ
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神の救いか地上の幸福か。人はなぜ天上を信じ、天使を信仰するのか。祈りは虚無に捧げられても、それでも、それでも、愛を、捨てない人間は、論理的で倫理的か。体を捨ててしまえば魂でつながることができると、花魁たちは入水する・・・日本でも同様な心持ちだったのかもしれない。永遠なれ心中。
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キリスト教文学の最高傑作
と同時に史上最強の恋愛小説でもある。なんせ神と人とを天秤にかけているのだから。
理想を突き詰めると現実は破綻する。「勝りたるもの」はもはや意義を失う。
現世で幸福を求めずに果たして来世で幸せになれるだろうか?
力を尽くして狭き門より入れ
滅びに至る門は広く大きいが狭き門の先が必ずしも幸福であるとは限らない