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高校時代に初めて読んで以来、何度か読んでいます。自分という存在を受け入れる方法に悩んでいた十代の頃が、いちばんアリサに共感できました。愛とは、自分や他人の弱さを受け入れることから始まるのだということを考えさせられた一冊です。
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フランスのノーベル文学賞受賞者であるジッドが手がけた名著。
ジェロームとアリサの交わることない純粋な想いが描かれている。
純粋すぎて読んでて毒のような気もした(笑)
正直どう感想を述べていいのかよくわからない作品。
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わけわかんないよ、アリサ、、、
ジェロームはどうすればよかったのさ!?
世俗に染まってしまったおいらには理解不能
おいらのイメージするフランス的なものど真ん中
文学少女シリーズより
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自分にはクリティカルな内容だった。アリサやジュリエットの気持ちがジェロームにとって常に裏手裏手に回り続けるのが何とも言えない。しかし、「私はわかっていなかった」というようなトーンで書かれる裏の本当の気持ちとやらが果たして的を射たものかも分からない。
その点に関して、ともかく洞察と想像を刺激する作品。僕自身の十字架を踏まえて、読み返していくべき作品なのだろうなと思う。
恋愛というものがいかに(ジェロームにおいて)エゴにそれていくか、いや果たしてそれをエゴと名指すのは正しいのか。果たしてキリスト教、神への信仰へ逃れたと考えていいのか。キリスト教という要素は必然ではなく、もっと普遍化可能であろう。この作品におけるキリスト教を他の要素に置換できるというだけのことではなく、この作品においてもキリスト教が本筋でないのではないかという疑問提起。ようわからぬ。
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新境地でした。周りに祝福されてて両思いなのに結ばれない恋愛小説があるなんて・・・。
アリサの日記を読んでるあたりで泣いてしまいました。
ジッドは宗教的犠牲を否定したらしいですが、私にとっては宗教心の美しさを教えてくれた大切な作品です。
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キリスト教色が強すぎて、読みにくい。またよりリベラルになった現代においては時代錯誤も感じた。
どうしてもキリスト教というのは神を至上最高で唯一のものにする印象が強く、窮屈さを否めない。
狂信めいてさえ思える。
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力を尽くして狭き門より入れ。
私が将来に求めるものは、幸福というよりもむしろ幸福に達するための無限の努力であった。
と主人公は語っている。幸福と徳は同一なものかどうか。これが本書の最大のテーマであろう。
愛に良いも悪いもない。愛は愛であり、許されぬ愛なんてものは相対的な評価に過ぎないし、そもそも誰かを愛するという行為は絶対的なものなのだろう。
死は近づけることだと思うの。
とアリサは語る。地上の愛より天上の愛。
「誓いを立てるなんて、僕には愛に対する冒涜のように思われる。」
孤独なときこそ、課せられる辛い試練に朗らかな気持ちで取り組める。自らに対する試練として真摯に受け入れるきもち。
「ほんとの信仰ってものは、あんなに涙を流したり、声を震わせたりするものではありませんわ。」
「その震え、その涙こそ、彼の声を美しくしているものではないか。」
ここではアリサの信仰に対する考え方、極めて厳格な基準が垣間見えると同時に、ジェロームの文学的な側面がうかがえる。
不幸は過去の幸福の喪失である。幸福であり続けるためには幸福を手にしないことなのか。
「恋だって同じよ。みんな過ぎ去って行くものよ。」
「僕の恋は僕のある限り続くんだ。」
悲しみとは込み入ったものである。かつて私は幸福を分析しようとしたことがない。
首輪のついた犬がいる。飼い主と同じ方向にあるくぶんには問題ない。しかしことなる道を反発して選ぶとき、人は初めて苦痛を感じる。
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キリスト教の知識がないとよくわかんないのかなあ。
両想いなのに両想いにならない。
アリサがジェロームに何を求めているのか、私には理解できなかったよ。
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自分が読んだのはどこの出版か忘れてしまったので申し訳ない。
私が読んだのは宗教色神様云々というよりも、アリサが愛を崇高なものとしているように取れた。北斗の拳のトキともまた違った愛し方だが、ジェロームも真剣なのに報われなさすぎて胸がいたい。愛の純度が高すぎて、触れる、汚すことができない。アリサはダイアモンドのようだ
あと、(私が読んだ奴は)巻末の解説がなきゃちょっと分かりにくいかもしれない。
しかし共感できる所があるので☆4。
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別に珍しくはないが、翻訳の言葉にいちいち引っかかって読みづらいことこの上ない。
自分の日本語が狂っているのかと疑ってしまうくらいのおかしな表現満載。
面白いことは面白いからフランス語勉強する決意ができた。
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2012年10月28日のレビュー
ここに書くべきではないかもしれないけど、
(オカルティックな)共時性という観点からすると、意識を「愛するジェロームに」ではなく至高なる「神に」繋げることが正しいと思ったアリサは正しい。
しかし神に繋げることが正しいと確信しつつ、それでもなおジェロームから心を離せないアリサは正しくない。
正しくないから死に、
さらにまたアリサとしての人生をやり直さなくてはならなかった。
と、考えると、
『本当は怖い、アンドレ・ジッドの狭き門』というTV特番が組めそう(^_^);
2012年10月15日のレビュー
「これこそが愛だ。」と、思った。
読書感想文を書いて表彰された。
愛、というもののバイブルだと思った。
結婚し、でも愛に迷い、再読して著者の略歴も読んでみて、「なぜ中高生時代に自分がこの本を耽溺したのか」の理由がよくわかった。
美しすぎる嘘、いや…美や理想を追求しつくすと嘘にしかならないという、現実。
アンドレ・ジッドの呪縛から逃れて私はいま幸せだ。
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ラストが何とも言えないモヤっとした感じで終わるのは、さすがにフランスの作家という感じ。読んでいて、舞台も登場人物もプロットも全く違うのに、何故かヘルマン・ヘッセの『車輪の下』と似たような空気を感じたんですが、あとがきで『狭き門』が著者の半自伝的な作品となっている、という解説を読んで納得。『車輪の下』もヘッセの自伝みたいなものなので、作品の底に流れる「妙なリアル感」が共通しているんだと思います。
以下、ちょこっとネタバレ。
とか言いつつ、実はこの文庫の裏表紙に作品の肝とも言えるネタがバラされてるので、ここで自分がどんな書評を書いたところで、これ以上のネタバレはないんですが。
相手からの愛情を勝ち取り、結婚するという幸福を求めるために一途に想いを抱き、その愛を伝え続ける主人公のジェローム。序盤に書かれているとおり、彼は幸福を得ることそのもの以上に、幸福に到達するための不断の努力が必要と考え、ヒロインであるアリサに振り向いてもらうための努力を続けます。
一方のアリサは、後半で明かされる通り、自分が幸福になることよりも、清らかさを保ち続けて神の前に跪き、その懐に抱かれることを最上の喜びだと考えるようになっていきます。
そうした、「幸福とは何か」という問いかけに対する根本的な考え方の違い、信仰の違いから、恐らく同程度に敬虔なクリスチャン同士でありながら、ジェロームとアリサはすれ違っていきます。
それでも、読了してみて思ったのは、「これが最良の幕だったのではないか」ということ。お互いが思う幸福を追い続けた上での結末ならば、一つの物語としては「綺麗な」終わりかたなのではないか、と思います。
でも、自分が同じ立場で、伸ばした手が届かないままになってしまうなら、きっと耐えられないなー。そこは、この作品が書かれた頃のフランスに流れていた思想や信仰があったからこそ、耐えられるものだったのかもしれません。
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「力を尽くして狭き門より入れ。滅びに至る門は大きく、...」聖書の言葉らしい。
「主よ、ジェロームと私と二人で、互いに助け合いながら、二人ともあなた様の方へ近づいて行くことができますように。... ところがだめなのです。あなたが示したもうその道は、二人並んでは通れないほど狭いのです」
宗教って、たぶん苦しくって苦しくってしょうがない現世を、せめて幸福な死後の世界を夢見ることでやり過ごすために人間の頭が作り出したもの。
「狭き門より」を真に受けたアリサは、ジェロームが(狭き門を)通れるよう愛する彼を泣く泣く遠ざける。
でも最後、これで良かったのかしら??神様、私の信仰が揺らぐ前にお召しになってください、ともう十分揺らいでる。
余談。遠距離恋愛の失敗話としては面白かった 笑
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再読。本の中に自分の好きなくだりがあり、それを恋人に知らせたいと思ったとき、そこに恋人の頭文字を書いて渡すというエピソードは10代の私によく響いたのを記憶している。福永武彦は『愛の試み』のなかでアリサについて「エゴの虚栄心を文学的に表現したものであり、それは文学的であるために美的な印象を与えるが、現実に於ては決して愛のもっとも美しい一面と言うことは出来ない」と言っている。アリサの死は「神への愛」に仮託した単なるエゴだったのかもしれない。「神への愛」が別のものに置き換えられるのだとしたら、アリサは私だ。
因みに、シェイクスピアの『十二夜』からの引用があるが、オーシーノとヴァイオラは最後に結ばれていたのがこの主人公たちとは対比的でアイロニックである。
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純愛とはその言葉に反して決して純粋なものではない。それは純粋さという虎の威を借りたエゴイズムの裏返しであり、道徳心の裏でほくそ笑む権威への服従だ。だからこそ純愛は人間らしいのであって、それは決して否定できるものではない。ジェロームからのひたむきな求愛を受けるアリサはそれを決して承諾せず、自己犠牲的な姿勢を変えようとしない。その理由を母親の不倫やキリスト教的価値観に求めるのは簡単だが、幸福に対する恐怖心、それこそが本当にアリサを縛り付けていたものなのだろう。そしてその恐怖心には、とても共感できてしまうのだ。