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Koichiro Eto tumblr - 『ウェブ×ソーシャル×アメリカ 〈全球時代〉の構想力』書評「壮大な奥行きの文化史」/江渡浩一郎 http://etocom.tumblr.com/post/4925186941
2012-05-23 再読。不勉強会#3。
アメリカでは「進化evolution」という言葉には負荷があるのでビジネスでそういうメカニズムを指し示すときにinnovationという言葉が受け入れられたという指摘にはなるほどと思った。『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』
「すべては宇宙開発から始まったのだ」はいいけど、なんでぼくがそれに従わないといけないの? と反感。ぼくはぼくの構想を打ち立てたい。従属的に宇宙開発=全球の構想力を後追いするのではなく。
それは「全体」を想定しないから「否定神学的」にもならない「郵便空間」的な世界観で「動物的」な生を肯定する思想になるかもしれない。「カウンターカルチャー」でも「アエネーイス」(無限の拡張)でもなく、「禁止を破るエロティシズム」による「目的のない行為そのものの快楽」を価値としてつねに安住しない開発を志向したい。みたいなことを考えてる。まだよくわからんけど。
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ウェブからソーシャルメディアへという大きな流れを、アメリカという切り口で描いた壮大なスケールの一冊。アメリカがまだ新興国であった19世紀まで遡り、観点としては社会、思想、コンピューター、メディアまで多種多様。時代や分野を縦横無尽に駆け巡りながら、現在との間に明確な補助線を引いている。こうして見ると、今のソーシャルメディアを中心としたウェブ社会の姿が、必然のように思えてくるから不思議である。
◆本書の目次
プロローグ
第1章:ウェブの現在
第2章:スチュアート・ブランドとコンピュータ文化
第3章:Whole Earth CatalogはなぜWhole Earthと冠したのか
第4章:東海岸と西海岸
第5章:Facebookとソーシャルネットワーク
第6章:アメリカのプログラム
第7章:エンタプライズと全球世界
第8章:Twitterとソーシャルメディア
第9章:機械と人間
エピローグ
通常はブラウザー以上のレイヤーでしか語られないソーシャルメディアを、OSのレベルから考えた論考とでも例えれば良いだろうか。そのOSこそが、アメリカ社会のメカニズムに該当する。アメリカ社会に特徴があるとすれば、それはどこかで信じたもの、考えたものが実現すると思われるところにあるそうだ。ダーウィンの進化論を否定したアメリカでは、進化は自然におこるものでなく、人間の意志として行われるという意識が根強いのだ。それゆえに、アメリカというプログラムはハッキングされ続け、状況に応じて更新・改変がされ続けている。その大きな動きのプロセスとして、現在のApple、Google、Twitter、Facebookが存在している。
一方で、日本というOSをバックボーンに持つ我々はどのように考えたらよいのだろうか。もちろんOSが違ってもソーシャルメディアは動く。ただこの全球時代に鎖国のようなことをしていても、生み出される社会変革は小さく、先行きは暗い。アメリカの統治構造が州と連邦の二層構造であり、その拮抗を基盤にしながら変化をおこしてきたように、日本的OSとアメリカ的OSの間をゆらぎながら、可塑性を持った変化を生み出して行くのというのが、今後のベターな在り方のように思う。
今回の3.11という出来事は、確実に日本をアメリカ的OSの方へと誘っているように思える。「pray for japan」という呼び声をかけながら社会に参画し、助け合いながら復興への道へと思う気持ちは、Googleの「世界中の情報を整理する」や、Facebookの「世界を透明にし良き世界を実現する」というミッションに近しいものではないだろうか。違いは日本ではエンタープライズ中心の動きより、個人としての動きの方が目立っているということだ。
著者は、今のようなプラットフォーム全盛の時代には、クリエーター、プレイヤーという役割より、場を構築するアーキテクトの担う役割が大きいと主張する。その中で印象的だったのは以下のフレーズ。
アーキテクトとしての役割を担うことが求められるビジネスマンは、場をどのようなルール=統治様式のもとで治めたらよいか、にこそ知恵を絞らなければならない。どのような場を設定するかという課題は、どのような都市を作りたいか、その���市をどのように構築したいかという建築家や政府関係者の課題と同類のものである。だから、今後のウェブの構想力を捉えるためには、実は、社会に関わる思想や哲学に関心を寄せる必要が、これからのビジネスマンには出てくる。
3.11が引き起こしたのは、従来進行しつつあったパラダイムシフトが加速しているだけなのか、それとも別の方向に舵を切り替えたのか、当面の思想、批評の変化というものにも、注目していきたいと思う。
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ウェブの可能性を描く久々の大作であり名著。
ウェブ2.0が標榜された頃はウェブの未来に対する啓蒙的で刺激的な語り口がそこかしこで見られたのだが、この数年、ウェブが一般社会に当たり前に浸透すると共に、それを大きな視座で語ることがめっきり減ったと思う。
その中で本書は久々に、ウェブについて大きく語る書物であり、大いに知的想像力を刺激される一冊。
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「現在のWebのメインプレイヤーはアメリカに集中しているが、70年代の夢を食い尽くしているだけで、新しいことをしているわけじゃない。この先の構想はまだ成されてないけど、どうするの?」という問題提起をしている本。ビジョンは特に示されていない(ように思う)。読んだら自分で考えようってことかな。
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とても興味深かった。
もう一回読もう。
ウェブ、インターネットの話かと安易に手に取ったが全く違った。しかし、手にとってみて良かった。
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話の幅が広すぎて全く理解できなかった。
後、著者の略歴からすると文系というよりも理系と呼ぶべきなのだと思うが、典型的な文系の人の文章のように感じた。
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インターネットを席巻しているのは、誰がなんと言おうとアメリカだろう。この本においてはSaaSに焦点を絞り、googleやApple、facebookといった今の時代の常識になっているものを例として取り上げている。確かにアメリカには、新しいもの、挑戦を快く迎える土壌がある。それがあるからこそ、若者の多くが進んで挑み、失敗を繰り返すのである。日本のように、ベンチャーを歓迎しない風潮や、セーフティーネットを引かない対策などはその気概をただただ落胆させることにしかならない。国の未来を背負って立つのは私たちのような若者である。からこそ、そういった人たちにどれだけの経験をさせるのかが、今の国に、将来の日本に求められているのではなかろうか。
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ウェッブの過去、現在、未来を語るのに19世紀のアメリカ社会やローマ時代まで遡っての分析は、やや冗長的かと感じた。
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タイトル通りの内容。ウェブ×ソーシャルまでなら似たような本もあるが、そこにアメリカという単語が並んでいるのがミソ。
FREE、FacebookやTwitterなど一通り、昨今のトレンディな話題が盛り沢山なのだが、なぜ現代においてウェブがそのような進化を遂げたかについてアメリカという国の歴史的な生い立ちから世代ごとの文化まで細かく見つめたうえでウェブやソーシャルについての話が展開されている。
そのため、純日本人である私には少々入りにくい内容ではあった。内容を正しく理解するために必要とされる周辺知識が多いため、よほどアメリカの文化に詳しいか元々Wiredなど読むのが好き!という人でないとオススメできない。
■気になった単語
・マネタイズという言葉への誤解
・インターネットの外部性
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なぜ、Google,Appleなどの産業がアメリカから生まれたのかについて、歴史的、政治的、カウンターカルチャー的に分析。60年代後半のカウンターカルチャー思想が、ジョブス、シュミットに影響をあたえ、それぞれ個人とネットワークに傾注した結果が、AppleとGoogleになっていると。確かにそんな側面はあると思う。
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アメリカ発の今のソーシャル/ウェブの流れを解き明かし、これからのウェブの構想を語った書。
元にあるのはコミューン志向。
ヒッピー文化とはカウンターカルチャー。ヒッピーたちはシステムの外から見つめ直すことを選んだが、景気後退などのあらゆる事象で、システムに戻らざるを得なくなり、その精神はオーガニックやDIY企業に組み込まれた。
CQはカウンターカルチャー世代が一度は退却した社会との折り合いの付け方を提示した。そうしてカウンターカルチャーはポップカルチャーに組み込まれた。それがカウンターカルチャーの保守化。
電子の広場と市場。こばへんさんが言うところの貨幣経済と非貨幣経済。広場が意識の拡大やコミュニティづくり。市場は経済学に基づいた人工物。
リバタリアニズムにはコミューン志向よりマーケット志向が強かった。リバタリアニズムのあったワイヤードが、東海岸のビジネス科学技術開発文化と西海岸の起業文化を接続した。
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ウェブを切り口に「アメリカ的なるもの」を徐々に解き明かしていく。著者の理解と分析の鋭さに舌を巻く。新書にしては、三百頁近くもあり、読み応えがある。いわゆる二,三年すると読まれなくなる類の本ではない。
以下、気になった記述。
・(iPadなどの)アプリの登場で、神の雑誌で見られた「誌面の感じが違う」というデザインやレイアウトによる差異化を図ることが可能になった。
・アメリカでシンクタンクが登場した背景。
・ソーシャルネットワークのソーシャルとは「社交」と考えるべきで、社会全体や共同体ではない。
・単線的な成長物語である「永遠のローマ」
・サンドバーグ(フェイスブックのCOO=Chief Operating Officer)の経歴。
・NPCの誕生
・ビジョンと実務のバランス
・デザインがより広く問題解決のための方法論として捉えられるようになったこと。
・数理の快楽
・メディア史の中で繰り返されるように、新しいメディアは、先行するメディアを参照しながら一定の商品として様式化する。
・地球を含めた層状の視点でWEBをとらえるのがよいのでは?
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思想・哲学 学術的な一冊
まずタイトルがいけない。
「ウェブxソーシャルxアメリカ」
これは誤解を生む。売れるタイトルをつけたのだろう。
帯に記されている文章こそがタイトルにふさわしい。
「Google, Apple, Facebook,Twitterはなぜアメリカで生まれたのか?」
アメリカという国の歴史と特性を紐解きながら、それをウェブの歴史と折り合わせ、どうやって現時点までアメリカにおけるウェブがたどり着いたかを説明した学術的な一冊。
ビジネス書ではない。
タイトルから想像しがちな、ここ最近のアメリカのソーシャルメディアのトレンドや事例紹介などの実用的な本では全くもってない。
そして何より難しい文章が続く。
例えば(以下抜粋)
「経緯はどうあれウェブが遍在化してしまう社会の中にある当のウェブ自体は、今後、それ自身の持つ可塑性の下で漸次実現される可塑的な自由を、それこそ一歩ずつ拡張させるところでこそ、意義を持つのだろう。」
前後の文脈はもちろんあるが、こういった文面が続くことを覚悟で読まないと、途中で本を置くことになるであろう。
出てくる単語や名前の例として
カウンターカルチャー、トランセンデンタリズム、プラグマティズム、トグヴィル、ヴィーゴ、
著者自ら「今後のウェブの構想力を捉えるために、実は、社会に関わる思想や哲学に関心を寄せる必要が、これからのビジネスマンやエンジニアには出てくる。経営学を学ぶだけでは全く足りない」と述べているように、科学、哲学、社会学、経済学、歴史など様々な観点からアメリカのウェブの発展をそれこそ建国の1776年から遡って説明していく。
テーマが壮大すぎるために、途中脱線も多く何を語ろうとしているのかわからなくなることもあるが、逆に遡って説明するが上に、面白い視座もある。
例えば、
Google, Facebook, Apple を真善美というメタファーに置き換えた点。
Googleは真、Facebookは善、Appleは美というように。
これらの企業の思想的背景はこの本を読めばよくわかる。特にFacebookのザッカーバーグとローマ帝国の結びつきは興味深かった。
その他ウェブの近未来のキーワードは、「遊戯性」と示唆した点。人間と機械の協同で、従来のルールや制約からはなれ、世の中をよくすることができる。
アメリカには「世の中をよくする」make better する魂が存在しているが、その背景がよく説明されている。
著者はユリイカなどに寄稿しているだけあって、実用性というよりかは思想的な学術書であった。
しかしウェブの本質や多くのトレンドを生み出しているアメリカの思想を知る事は、ビジネスマンにとってもきっと役に立つであろう。
ウェブビジネスに関して興味が高い人、もしくは志が高い人には薦められるものの、裏切られる人も多い一冊であると思う。
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AppleやFacebookといった企業が、何故アメリカで生まれるのか。その精神的な土壌を、アメリカのフロンティア時代にまで遡って分析している。歴史的事実の網羅性は高く、学習効果は高い。が、全体的に予断が多く、そんなこと言い切っちゃって良いんですか、と思う記述も多い。しかしWebサービスの上っ面をいじり倒して軽薄なノウハウを開帳する数多の本より、ずっと良い。
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アメリカの事情よう知ってまっせ的な雰囲気をプンプンさせながら雄弁に語る。大事なことも書いてあったような気がしたけど忘れた。要はヒッピーとサイバネティクスってことだ。浅い!
時間があったらざっと読み返そう。