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友人に紹介してもらった.
時代の熱気が伝わってくるとのことだったが, まさにその通り.
死線を越えるとはまさにこういうことをいうのだろう.
「われ果たして己の分を尽くせしか 分に立って死に直面したるか」
こういう問は, 日々自分自身に問い続けねばならない.
それも, 「最善を尽くす」とかいった生温く甘えた馴れ合いの果てにではなく, 「ほんまに限界までやってんのか, 限界を超えるつもりでやってんのか, 今日のお前はどうやねん」っていうぎりぎりのせめぎ合いの中で問わなければならない.
それが「心の切れ味」を産むのだろう.
心に「切れ味」がある人の言葉だから, 自分の身に深く差し込んでくるし, えぐってくる.
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「大和轟沈 一四二三」
昭和20年4月7日12:20
「目標捕捉 イズレモ大編隊 接近シテクル」
戦闘開始から2時間後のことである。
カタカナの文語調の文体には緊張感が漂う。
時系列、日記的な記載により臨場感が増す。
基点(大和)から、話題がぶれないために、時局の把握は容易にできる。(時代背景や軍備)説明はは少ない。
天号作戦は、死出の作戦。出航後の帰還はしない。
緊&緩の繰り返す波、艦上と下船の会話。これは軍隊と家族、戦争(死)と生活(生きる)との対峙なのだろう。会話中に登場する、許婚、父母や、妹があり。
戦闘(攻撃)の描写は息を飲む、目前での死別あり。無言の最期があり。死に直面しての、落ち着きは何を示すのか。
作戦中止のあとでは、生きることを命じられる。海中で漂う間にも、死を願っている。生恥をさらすことはつらい。だが、生還した。
一読ノ価値アリト信ズル
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大和の若手仕官の日記風の記録。必ず死ぬ覚悟の船出前の乗員の心情、大和が無用の長物で、飛行機の前になすべくもないことを議論しつつ、突撃に出るその悲惨な戦争の姿。人間の悲しさが描かれておりますが、何故この本が戦争直後には戦争賛美と受け取られたのか、不思議です。カタカナ交じりの文語体がいかにも戦争への決意を秘めた文章に感じられます。慣れないので非常に読みづらいのですが、美文でした。
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乗組員達が愚かな作戦と分かりながら予定調和的、いやそれ以上に脆く沈んで行く大和の姿に激しい哀しみを感じる。空気と言ってしまえばそれまでの理不尽さとその中で自分自身を生きるしかない人々はスケールこそ違えどいわゆる人生というものか。伊藤長官の最後の作戦中止の決断はその空気の中でこそ思い切ったものであるけど、誰もが持つ生きたいという気持ちの前では当たり前のようにも見えることに至っては。
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凄かった。泣いた。「永遠のゼロ」で感動しているヒマがあったら是非この名著を。一読して(他の批判を待つまでもなく)これは「小説」であり「記録」ではない。余計な修飾や後付け、伝聞は目立つ。しかしそれを差し引いても圧倒的。僅か二時間の戦闘の如何に凄惨なことか。その後の脱出行の如何に無常なことか。僕はこの小説を忘れないだろう。戦争反対。
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呉の大和ミュージアムにて購入。
こういうのは最高評価以外につけようがない。
確か再読だったなぁ。子供の頃読んだ時はこういうのの捉え方がわからなかったしカタカナ読みづらいしで困ったけど、今はすんなり読めるね。ミュージアムで駆逐艦等の知識得てからだから余計面白い。
臼淵少佐の言葉は至言。国や時代が違っても兵隊の普遍の答えじゃないかと。
そういえば終戦のローレライはこの人をモデルにしたんでしょうかね。
そして解説を「限界芸術論」の鶴見俊輔がしていて喜ぶ。同じ歳とは…。
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[ 内容 ]
昭和二十年三月二十九日、世界最大の不沈戦艦と誇った「大和」は、必敗の作戦へと呉軍港を出港した。
吉田満は前年東大法科を繰り上げ卒業、海軍少尉、副電測士として「大和」に乗り組んでいた。
「徳之島ノ北西洋上、「大和」轟沈シテ巨体四裂ス今ナオ埋没スル三千の骸 彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何」戦後半世紀、いよいよ光芒を放つ名作の「決定稿」。
[ 目次 ]
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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軍部は、駆逐艦30隻相当の重油を食らう巨艦大和の維持に困ったために、数千人の命と共に、大和を見殺しにしたわけですね。
何万人の社員を維持しかねている巨艦、とならないようにしなければいけません。。。
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先年,呉の大和ミュージアムに行ったとき以来,読もうと思っていた本を読む.
大和の最後の出撃となった沖縄特攻に学徒出身士官として乗り組んだ著者の経験を基にした小説.短い文を重ねた明晰な文語での記述に,必ず負ける,生きては帰れないと知りながら出撃し,まさしく懸命に戦う人たちの姿がうかびあがる.戦後70年を振り返り,今の日本がどうなろうとしているかを考える上でも,読んでよかった.
文語文としては難しくはないが,私には読めない漢字や意味のわからない漢語は少々あるので辞書はひかないといけなかった.若い人が読めるようにルビ付き,注つきの手軽に手に入るエディションがあってもいいと思う.
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著者のご遺族に知り合ったこともあり、大学生の頃読んで感動した、戦後文学の名著。
戦争中、出征していった若者がなにを考え、なんで戦い死んでいったのか。
最近多い単なるナショナリズムとその反発のような軽薄な議論するの暇があれば、一読することをお勧めする。
自分たちは、彼らが犠牲を払って託したものを本当に生かせているのだろうか
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よくもまあ,当時のことをこれだけ詳しく書けるものだ…と感心した。こういう本があることは知っていたが,「今さら読んでもなあ」と思い,敬遠してきた。が,最近,政治の動向がきな臭くなってきたので,なんとなく,こういうものにも触手が動くようになったのだ。
最後の解説は鶴見俊輔氏が書いている。
大和の特攻は,ムダなのか…オレらの死の意味はなんなのか…艦船上で悶々とする兵士たち。「負けて目ざめることが最上の道だ」とは,自分達の死を意味づける究極の言葉だ。「日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じじゃないか」
もっと前に,降伏していれば,大和の死もなかったのに…。
全編文語体で書かれている本書から伝わってくるのは,戦場の姿だs。
所詮,「戦う」とは,こういう姿が現れるってことなんです。
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戦艦大和の最後の出撃に参加した吉田満が、戦艦大和の出撃から沈没までを綴った作品である。(一部に創作が加えられており、ノンフィクションではない)
吉田満は、東京帝国大学(当時)在学中に学徒出陣により召集され、1944年12月に戦艦大和に乗艦。翌1945年4月、最後の出撃(天一号作戦)に参加したが生還し、終戦直後の同年9月に、ほぼ一日で本書を書き上げたという。
執筆の動機について、著者は、「敗戦という空白によって社会生活の出発点を奪われた私自身の、反省と潜心のために、戦争のもたらしたもっとも生ま生ましい体験を、ありのままに刻みつけてみることにあった。・・・今私は立ち直らなければならない。新しく生きはじめねばならない。・・・その第一歩として、自分の偽らぬ姿をみつめてみよう、如何に戦ってきたのかの跡を、自分自身に照らしてみよう」と書いている。
そして、本書には、その時に若い海軍士官達が何を考えていたのかが綴られている。敗戦を覚悟して出撃した後、艦内では若い士官達が「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ 日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジ過ギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダワッッテ、本当ノ進歩ヲ忘レテイタ 敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ 今目覚メズシテイツ救ワレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ」と語り、自分達の死に意義を見い出そうとしていたのである。
本書は、執筆直後にはGHQの検閲で出版が出来ず、小林秀雄が白洲次郎にGHQとの交渉を依頼したのだというが、実際に初版が出版されたのは1949年、決定稿とされるものが出版されたのは1974年のことである。
現在では一部に創作が加えられていることが判明しており、何故その必要があったのかという疑問は禁じ得ないが、日本海軍の象徴・戦艦大和の最期の出撃に参加した海軍士官の思いを知る作品としての価値はあろう。
(2010年5月了)
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慣れない文語体で時間はかかったものの読了。
死の覚悟を持って特攻するも、大半がやられ、相手に与えた損害も多くないというのは、なんだか虚しい。
死ぬつもりで出航したにもかかわらず、たくさんの戦友たちもともに大和は沈み、自分は生き残っている。生の喜びよりも、後ろめたさが大きいとは、なんと複雑な気持ちかと思う…。
日本の期待を背負って作られた戦艦大和の最期が特攻作戦とは…。
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映画「男たちのYAMATO」を見て、この有名な本のことを思いだし、読んでみました。
著者は21歳の海軍少尉として戦艦大和に乗りこみ、その撃沈を生き延び、終戦直後、わずか1日でこの小説の初稿を書き上げたということです。
大和の最後を描いたこの作品、映画の幾つかの印象的なシーンは、この小説からそのままとられています。たとえば、長島一茂演じる臼淵大尉が、激しく言い争う士官の間に割って入って語るときの言葉とか、特攻作戦を伝える特使にくってかかる若手艦長のシーンとか。
映画では、戦闘シーンは15分程度だったと思いますが、実際には約2時間、壮絶な(というか制空権、制海権が失なわれた海を行く大和へのほぼ一方的な)戦闘が繰り広げられ、そして巨大戦艦が爆沈した後、放り出された乗組員たちは重油の海の中を2、3時間漂い、ようやく僚船に救出されます。
この作品は、その戦闘の経緯を描いたドキュメンタリーです。
文語体、カタカナという、われわれには読み慣れない文体で書いてあるので、とっつきにくいところはありますが、それゆえに独特の臨場感と緊迫感があります。
雲ノ切レ間ヨリ大編隊現ワル 十数機ズツ編隊ヲ組ミ、大キク右ニ旋回
正面ニ別ノ大編隊 スデニ突撃隊形ニ入リツツアリ
「敵機ハ百機以上、突込ンデクル」 叫ブハ航海長カ
雷撃、爆撃トモニ本艦ヘノ集中ハ必至
艦長下命「射撃始メ」
高角砲二十四門、機銃百二十門、一瞬砲火ヲ開ク
護衛駆逐艦ノ主砲モ一斉ニ閃光ヲ放ツ
(p72 開戦)
第二波去ルヤ踵ヲ接シテ第三波来襲
左正横ヨリ百数十機、驟雨ノ去来セル如シ
直撃弾数発、煙突付近ニ命中
塚越中尉、井学中尉、関原少尉、七里少尉ラ相次イデ戦死
機銃指揮官戦死ノ報アトヲ絶タズ
艦橋ヲ目指シテ投下サレタル爆弾ノコトゴトクガ外レ、コレヲ囲繞防衛セル機銃群ニ命中セシタメナリ
魚雷命中、左舷ニ二本
傾斜計指度僅カニ上昇ヲ始ム
(p87-88 間断ナキ猛襲)
治療室ニ辿リ着キ、 傷ヲ縫合スル
軍医官二名、全身ニ返リ血ヲ浴ビ、マナジリヲ決シテ「メス」ヲ揮ウ
応急治療室ニハ浴室ヲ使用ス 湯水ノ流ルル「パイプ」ニ、血ヲ通スタメナリ
他ノ室ナラバ、ヤガテ血ノ海トナリ、血ニ溺ル
室ノ一隅ハ、天井ヨリ堆キ坂ヲナシテ死体ノ山ナリ
(p148 救出)
戦争について書かれた作品の中で、一度は読んでおくべき作品だと思います。
最初は読みにくいですが、一度読みはじめたら止まりませんから。
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有名な本だけど,初めて読んだ。
吉田氏は大和の最後の天一号作戦に副電測士の少尉として乗り組んだ方。大和の生き残りだ。
文語体で漢字カナ交じり文だけど,改版で新仮名づかいになっているのはいまいち違和感。旧仮名でいいのにね…。
引用のとこは旧仮名。p.15のこれは手紙の引用
“便箋ニ優シキ女文字ニテ誌ス 「お元気ですか 私たちも元気で過してゐます ただ職務にベストを尽して下さい そして、一しよに、平和の日を祈りませう」”
かなが旧仮名でカナが新仮名というのはどうも違和感。でも改版当時(1981)はもうこの方が売れる,という判断だったのだよねぇ…。
GHQの検閲がなくなってようやく世に出た初版のあとがきに何か感じ入ってしまった。
"戦歿学生の手記などを読むと、はげしい戦争憎悪が専らとり上げられているが、このような編集方針は、一つの先入主にとらわれていると思う。戦争を一途に嫌悪し、心の中にこれを否定しつくそうとする者と、戦争に反撥しつつも、生涯の最後の体験である戦闘の中に、些かなりとも意義を見出して死のうと心を砕く者と、この両者に、その苦しみの純度において、悲惨さにおいて、根本的な違いがあるであろうか。"pp.167-168
"このような昂りをも戦争肯定と非難する人は、それでは我々はどのように振舞うべきであったのかを、教えていただきたい。我々は一人残らず、召集を忌避して、死刑に処せらるべきだったのか。…戦争を否定するということは、現実に、どのような行為を意味するのかを教えていただきたい。単なる戦争憎悪は無力であり、むしろ当然すぎて無意味である。誰が、この作品に描かれたような世界を、愛好し得よう。"p.168
21歳の若き少尉として大和に乗り組み,多くの戦友とともに艦を喪い,九死に一生を得た著者は,終戦直後にこの作品の初稿を書き上げたという。それは彼という人間の内から出てきた真実の声に違いない。戦争への反省は,文学の仕事ではなくて,批評の仕事だろうと思う。
戦後の観点からの批判を加えることをしない「戦争記録文学」が当時は格好の非難の的になったこと。
事実とデータを提示して,東電や政府を論難することのない早野先生が御用学者呼ばわりされるのも,これのミニチュア版なのかも知れない。