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初ベルクソン、時間かかった。
笑いは身近だから一回自分でも考えてみて、また読んだら面白いかも。
解説もよかった。
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「笑い」は知性のものか感性のものかでいうと、知性のものだという。
感性(感情性といったほうがいいのかもしれない)が強ければ、
つまり愛情や憐憫の情が知性をまさっていれば、
滑稽な場面でも笑う場合ではなくなる。
愛情をもっていても笑えるのは、愛情をひととき忘れるからだそう。
つまり、「笑い」は硬直性にたいして知性的に起こるものだという。
そして緊張を忘れた人が柔軟にものごとに対処できずに
硬直性へとはまってしまうのだと。
駆けていてつまずいた人が笑われたとして、
その笑われた根拠は、その人の不本意さにある。
そしてその不本意さは、硬直性がまねいた失敗、ということになる。
そうベルクソンは語るのだが、
緊張が硬直性を招くことだって多いし、
ここで使われる緊張という言葉には注意が必要かなと思いました
(巻末の解説で、このあたりについては上手にほぐしてくれていました)。
また、笑いをもたらす欠点の持ち主は、笑われたことで自らを取り繕おうとする。
つまり、笑いには、笑った人が笑われる人を矯正する作用がある、
言葉を変えると、「習俗を懲戒する」という機能があるんです。
でも、です。
瑣末な場面での笑いのもつ懲戒作用はそれほど悪くもない懲戒かもしれないけれど、
行き過ぎた笑いだってあって、その場合、正しくない笑いが懲戒作用を行使してしまう。
無自覚に笑いが主導権を握っている前提っていう世の性格は今も強いと思いますが、
笑いを疑わないことは牧歌的だとも思う。
このあたりについては、本書の終わりの方で、笑いは悪意でもある、と書かれていました。
笑いは、欠点をつついて「そこはおかしいよ」と知らせもするけれど、
正義だというものでもないのです
(ああ、そうだ。「いじめ」には笑いが密接に絡んでいますよね)。
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おかしさに基づく笑いについて講じた書。
それが成立する諸条件について考察する際の助けとなる。
本書はおかしさ、すなわち不調和に基づく笑いをテーマに考察をしているが、漱石の「草枕」にみられる東洋的な超然的歓びに見出される構造とも共通する部分が見られることに気づく。