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位牌もお墓も、日本には外からきたもの。仏教が葬儀をするようになったのは、禅宗が儀式を中国から輸入した後。中国では、儒教、道教の影響を受け、仏教が葬儀を扱うようになった。と、常識なのだろうが、知らないことをたくさん学んだ。この本の後、神道を扱った本に飛んだが、最近、神仏を扱った新書類が多いこと。
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[ 内容 ]
無宗教といわれることの多い日本人。
だが、葬儀を行ない、時をさだめて墓参し、礼をつくして先祖を祀るのは、私たちの多くが霊魂の存在を漠然とでも感じているからだろう。
葬儀のかたちは古代中国の先祖祭祀に由来する。紀元前二世紀、葬式の原型が儒教によってつくられた。
以来二千数百年、儒教・道教・仏教が複雑に絡まりあい、各宗教が「先祖を祀る」という感情に回収されていく。
本書では、葬儀と位牌の歴史をたどることによって、民族の死生観を考えてゆく。
[ 目次 ]
第1章 忘却のかなたへ―位牌の起源を求めて
第2章 儒教の葬儀から―位牌の先がけか
第3章 道教の葬儀から―位牌をささえる心情
第4章 仏教の葬儀から―位牌の成立まで
第5章 近世日本の葬儀へ―位牌の伝来と普及
第6章 魂のやすらぐところ―位牌という装置
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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良書。
現代の日本の葬儀や、神社お寺を含む宗教観が、儒教道教仏教の影響が絡み合って日本化されているということを丁寧に書いている。
位牌というのは死者の魂の依代(よりしろ)である。依代は位牌だけでなく、さまざまなものに用いられた。現代でいうところのお墓もそうだし、折口信夫の論文を引き合いに出して語られた、かつて葬列で使われたさまざまな葬具も、依代である説明されている。
依代としての葬具や祭具や仏具が用いられるということは、死者の魂、という存在が大前提であって、昔の人はそれを大真面目で信じていたのだ。いや、信じる以前に当たり前のように畏怖していた。現代人の宗教離れは、単に霊魂の存在を信じれなくなった、というところに根本原因がある。科学万能主義、唯物主義の時代である。
だけれども、私たちは、周りの人の死に接した時に、自分自身が死にかけた時に、未曽有の大災害に見舞われたときに、非情にして理不尽な仕打ちを受けた時に、自分たち人間よりもはるか大きな存在を仮定せざるを得ない。そうしなければ心が折れてやっていけない、そんな時に、霊魂というものがいるのかもしれないと、感じさせられるのである。
さて、この本、とても良書なのだが、随所に書かれるセンチメンタリズムと、中途半端な脱線が少々鼻に突いた。
それでも、霊魂の依代の位牌の生成過程や意義を中心に据えて、儒教、道教、仏教と言う3つの角度からのアプローチ、そして現代的な問題へと、とても有意な構成ですばらしいと思いました。
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日本人特有の死生観や日本の仏式葬儀の成り立ちが、平易な言葉で書かれている。わかりやすい。
当たり前にしている事ほど、それが特別なことだと認識しづらいのかなと思う。