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肉親の宿命的絆で結ばれた家族は、何かのキッカケデズルズル崩れていく。
白夜ってどんななんだろう色々想像した。
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私の通った高校の国語には、「課題図書」とよばれる制度があり、3年間の在校中に100冊を読み切るというものがありました。しかも、読んだ本の内容は中間・期末の試験で問題にでるのだから、読まないなんて点数を捨てる無謀な行為だと思われたのです。
そんな強制力の働く読書が楽しかったどうかはべつにしても、100冊の中で出会えてよかったなと呼べる本がありました。この『白夜を旅する人々』が高校時代の中でも一番強烈な印象を残している傑作なのです。
物語は昭和初期の東北。ある一家の兄弟が先天的にかかえる身体的障害から差別に苦しみながらも生きていこうとする著者自身の家族を題材にした魂の告白とも言える物語です。
家族という概念が一人一人のその構成員に与える影響、そして同じ血を分けた兄姉が自らの意志で目の前からいなくなっていく様子(失踪、自殺)が克明に語られていきます。消えていった者の心のありさま、残された側に重くのしかかる罪の意識。そうした人間のこころが引き起こす連鎖的な反応がいたいほどに伝わってきます。
昨今の日本人家族が抱える問題が既にこの昭和初期の東北の片田舎と相通ずるものがあるのは、何も家族内の虐待や対立が時代や社会の変化から生じるのではなく、あくまで人間の弱さや感情を表現することの難しさに求められることを明らかにしてくれます。
本の厚さに驚かれると思いまし、片手で読むにはつらい重さです。その分内容も重たいのですが、読み終わるのは早いと思います。「はまる」本です。
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けっこうな分量のある本だけど、一気に読める。
物語に出てくる長女と三女の身体的特徴を持った人と
身近に接していたこともあり、個人的には長女に感情移入して読んでしまったが、
本人だけではなく周りの家族も同じように悩んだり考えたりするんだなと、この本を
読んであらためて家族というものについて、考えた。
2008年の東京であれば、この家族もまた違った人生を歩めたような気もする。
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末の娘、れんの最終的な決断の引き金はありきたりな事だ。
ありきたりだがそれ以上の絶望はそうそう無いのだ。
その絶望が美しかった。
ゆっくりゆっくり確実に、希望が閉ざされていったと感じたのだろう。
若いときは世界が狭すぎる。
羊吉に最後に語りかける会話が素晴らしい。
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「琴引き給う君よ……か。それでいい。おまえたちはそうしていつまでも琴を弾いててけれ。おらは……おらは、もう、駄目(わかんんね)。」
2012/07/12-09/20
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戦時中の東北地方を背景に、色素欠乏症の子を含む6人兄弟の成長を描いた長編小説。
ハンディキャップのある兄弟をもつことの影響が、長い年月をかけてゆっくりと表面化していく。
家族の位置づけや、家族への愛のかたちを深く考えさせられる作品でした。
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昨年(2010年)逝去された三浦さんの長編小説です。自伝的小説のようです。 昨年の夏頃にそれまで病気がちだった三浦さんが創作への意欲を見せ書きたいと思っている題材について語っている記事を読んだのをきっかけにそれまで手にとってみたことのない、三浦さんの小説を読んでみようと思ったのでした。それがこの小説です。 しかし、その創作への思いも叶わず昨年のうちに逝去されたのでした。 本の帯には”読者リクエスト多数につき緊急復刊”とあります。 平成元年が初版なので今回の増刷がなかったら、確かに本屋さんで探してもみつからないものなのでした。
時代は昭和の初め、青森を舞台にして呉服店を営む山科家が背負った宿命を 追っていきます。その家には男の子が3人、女の子も3人、6人いるのですが長女と三女には色素欠乏の白子といわれる先天性の疾患がありました。何万人にひとりという確率の病気が一家に二人も出現したことが、裕福な一家の営みに少しずつ影を落としていきます。 年頃になり優等生だった次女にまずその矛先が向かい、総領の長男、そして先天性の疾患を持った長女が呑みこまれていきます。 東北の農村地帯に有る言い伝え、座敷堂子(わらし)が出ていった家はやがて没落する・・・それがこの小説を象徴しています。 年頃になった長女、二女に、自分たちが持つ血への不安と苦悩におののく夜「暮れるでもなく暮れぬでもなく、眠れるでもなく眠れぬでもない、寝苦しくて覚めぎわの白々しい夜」・・が訪れるのでした。 自殺、失踪と姉や兄が起こした暗い過去への旅路、作家三浦哲郎の創作の 原点といえるのでしょう。それにしてもこれほどの事を小説に仕上げてしまうのですから、作家とは因果な職業です。 三浦さんはその記事で確か、高齢の独り暮らしのお姉さんが最近亡くなった時の様子を万感の思いで述べていました。 姉は翌日食べるご飯を炊飯器に用意していた・・その姉の生き方を書いてみたいと創作への意欲を触発されたようなのでした。 これを読んで白夜の旅を終えた後にはどんな生き方があったのだろう・・と とても期待が膨らんだ題材だっただけに、本当に三浦さんの急逝は惜しまれました。 ご冥福をお祈り致します。
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完読後、著者の私小説であることを知って納得。読み応えかなりあり。長男と次女の目線で本編は進みますが、著者自身は末っ子だったのですね。その後の著者を書いたものがあればぜひ読んでみたい。
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六人兄弟の、末の弟が描く、家族の物語。先天性色素欠乏の娘が2人生まれたことで、遺伝的な不安が家族を覆う。その不吉さや生きにくさの中で、2人が自殺、1人が失踪してしまう。
背負った運命に抗えずに流され、命を落とす者と、残された家族の悲しみが胸に迫る。
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久々に夢中になった本。物語全体に漂う上品さ。
個々のキャラクターが強いわけでもないのに、しっかり把握できる。
みんなどこか自意識過剰。
物語全体に漂う上品さ。
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三浦哲郎さんの著書を初めて読みました。平積みにされた書店でたまたま手に取った。
重い内容で最後のあとがきを読むと、自伝だったのでなるほどなー。さらに次男も行方不明になっていたとは!
でも、すらすら読めた。残った羊吉の無邪気さがなんともいえない。一番かわいそうなのはお母さんだな。
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再読。服毒自殺を遂げた姉るいの心のことば、暮れるでもなく 暮れぬでもなく 眠れるでもなく 眠れぬでもなく ただ深い井戸の静寂に包まれて 寝返りを打つばかりの白々とした夜 …が印象にのこる。雪国をはしる馬橇の鈴の音が耳の奥から消えない。
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三浦哲郎さんご自身の家族の歴史がモチーフになっています。確か姉二人が自殺、兄二人が失踪だとか。
新潮文庫の「忍ぶ川」という短編集でご自身の身内の死を「恥」という感覚に結びつけて描かれていて、この感覚こそが想像力では絶対に補えない部分なのだろうなと思い、ショックを受けた。
今作で描かれている家庭は、東北の田舎町に住んでいる6人兄妹と父母に女中や乳母というわりかし裕福な家庭。三浦さんのご兄妹が実際どうだったのかはわからないけれど、今作では、るい、れん、ゆう、という姉妹がいて、そのうちるいとゆうは昔では白子とよばれた先天性の病気を抱えている。(アルビノというやつです)
無遠慮な視線にさらされて縮こまるように生きていたるいとゆう。しかし命を一番最初に絶ったのは、間にはさまれたれん。長男の清吾はれんの死のショックも冷めやらぬうちに恋人の苗が自分に妊娠も知らせずに中絶手術を受け、それの失敗によって命を落としてしまったことを知り、失踪。作品の最後ではるいが睡眠薬の過剰摂取により自殺し、その葬列を末子の羊吉が幼い目で見つめ、馬車に揺られるシーンが描かれている。
冒頭は逆に母が羊吉を生むために、清吾が産婆を馬車に乗せてくるところから始まります。
寂しい道で閉じられたこの作品。
白夜というのがまたなんとも効いていて、読んでいてつらくなった。
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短編を一通り読んでから、この長編を読んだので、じわじわとくる死と閉塞感がより強く味わえたような気がした。
もう一度、短編を振り返り、この長編の断片を思い出したい。
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再読です。
昭和初期の東北の呉服店の三男三女の物語。
先天性色素欠乏症(アルビノ)の長女と三女以外は
なに不自由なく暮らしていたけれど、年齢を
重ね、自分たちの世間での立ち位置を認識し、
次女は投身自殺、次女を溺愛していた長男は
失踪、アルビノの長女は服毒自殺をする。
著者はこの呉服店の三男にあたり
物語では0~4,5歳。この三男と
三女以外が細かく描かれています。
読みたいフレーズがあったので再読しました。