電子書籍
指南書ではなく対談本です。
2022/01/09 22:11
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投稿者:akihiro - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の紹介文を読んで、一般人にも小説を書くことを薦める本なのかと思いましたが違いました。実際は、柴田、高橋両氏にとっての読み方、書き方、訳し方について対談した内容になっています。表題と紹介文に語弊があると思いますが。。
内容については、知らない作家や作品がたくさん出てきました(文学に詳しい方ならわかるのでしょうが)。例えば、第一章でバーセルミについて色々と話をされていますが、バーセルミがわからないので輪にいるのに会話に入れない人みたいな気持ちで読む羽目になりました(笑)
ただ、英文学や近代文学についての両氏の捉え方など、そのような特徴を見出すこともできるのか、と興味を持って読めました。本書で初めて知った作品も、いくつか読んでみようかなと思いました。
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面白い!!
小説・評論を書くコードは同じだとか、
小説は書けても詩は書けないとか、
文章そのものに興味がある人は楽しめると思います。
小説にも3種類あって、
1.コードをコードのまま書く(起承転結・物語)
2.コードを用いつつも、それとは異なる次元のテーマ描く
3.コードを破棄する、またはコードはコードだとネタ晴らししちゃう。
さらにいえば、コードの仕組みを解説したり、脱構築したり、実験しちゃったりする。
というもの。
こうわかりやすく書いて頂けると一目瞭然。
私は、あきらかに2・3が好きで1にはあまり乗れません。
あまり実験的過ぎてもダメなのですが・・・。
好みの幅が狭いんですね。。。
まだ読み途中ですが凄く面白かったので、
柴田元幸さん訳の「パルプ」を早速アマゾンマーケットプレイスで購入しました笑
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予想していた以上に、高橋源一郎が「実のあること」を言っている。かなり勉強になる。
また日本文学はかなり「進んでいる」。
復習必。
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文学とは何かあまり考えたことはなく、物語性のほうについ目がむいていたけど、言葉を使って何ができるか、どういう境地までいけるかという芸術なのだなあと感じた。
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対談形式なので、とても読みやすい。
小説の書き方の指南書かと思ったが、そうではなく両者が思う小説のことについて書かれている。
著名な作家、翻訳家のお二人の対談で、やはり高度な内容なんだけれども、もっと読んでいたかった。
本書で紹介されている本は、ほとんど読んだことがないものばかりだったので、興味をそそられるとともに、それらの本を読んでから本書に出会っていたら、もっと違ったんだろうなと思った。
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生活にストイックな点で、鴎外と村上春樹は似ている?
アメリカ文学は自己意識の文学だったけれど、グローバル化の進行で、日本文学とも意識の上での差がなくなった?
ごくわずかしかアメリカ文学に馴染みがないので、柴田さん、高橋さんというアメリカ文学の偉大な読み手を通してみると、また違う日本文学像が見えてくる。
日本の文学が、現在の「ニッポンの文学」にへんしつする結節点にいるのが中上健次なのだとか。
言葉が壊れているというのがその徴なのだそうだが…。
翻訳文のリズムとか、言葉の壊れ方などは、どういうことかわかりにくい。
できれば作品を引用してほしいところだ。
最後の方に、二人がそれぞれ選んだ海外小説30、現代日本の小説30が挙げられていた。
…外国文学をあまり読んでいないはずなのに、読んだことがある作品や名前だけでも知っている作品は海外小説の方が多かった。
いかに普段自分が読んでいる小説がテキトーなものばかりなのかが分かる(苦笑)。
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この中に書かれている色んな作家の人たちの本が読みたくてしょうがなくなったw借りて片っ端から読んでみよう!
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小説を読む=書く=訳す、は全てイコールで結ばれる。
●本当のことを言うのが文学だというのは、実はまったくの嘘なんですね。でも、よく考えてみたら、これは文学に限ったことではなくて、この世界こ構造は基本的に「本当のことは言わない」ということなのかもしれない。つまり「コード」というのは、そういうことですよね。
●文学の面白いところは、世間と一回切れているようで、実はむちゃくちゃ影響を受けている、つまり、通俗そのものであるところなんですね。
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柴田元幸と高橋源一郎が小説について対談している一冊。
柴田元幸の名に惹かれてこの本を買ったワタシのような人間からすると、喋りたくて仕方がない高橋が柴田という最高の聞き手を迎えて思う存分喋っているという印象。もう少し柴田に語らせて欲しいところだ。翻訳という行為を視覚化すると「ここに壁があってそこに一人しか乗れない踏み台がある。壁の向こうの庭で何か面白いことが起きていて、一人が登って下の子どもたちに向かって壁の向こうで何が起きているかを報告する」というイメージだ、という柴田の名言も飛び出しているのだから、もっと引き出してくれたらさらに面白い対談になったと思う。とは言え、対談の中身はなかなか濃い。日本文学礼賛し過ぎでは、と思うところもなくはないが、この二人がそう仰るのならそれもアリ。
後半で、二人がそれぞれ選んだ海外小説30冊と日本の小説30冊を紹介しているのも嬉しい。読みたい本が増えてしまったのは悩ましいが。
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琉球大学附属図書館OPAC
http://opac.lib.u-ryukyu.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB12259270
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柴田元幸さんの翻訳のお仕事に触れたのは、オースターのニューヨーク三部作とミルハウザーをひとつ、といったくらいです。印象としては、「透明な触媒」としての翻訳、です。翻訳者の癖というか、翻訳者自体の声や匂い色、もっというと人となりって、どうしても翻訳された作品からかすかにではあっても感じられがちだと僕は思っていて。それが柴田さんの翻訳だと、翻訳者は薄いフィルターとしてだけあって、外国人の作者のほうを大きく、そして近く感じるんです。翻訳者の存在が、無色無臭っぽい。
柴田さんは翻訳を、原文が自分の中を通り抜けていく通過時間がゼロに近ければ近いほどいい、という考え方を本書で明らかにします。なるほど、体現なさっているなあとしっかり感じさせられるのでした。そして、村上春樹さんとお仕事仲間です。このあたりは、同志、と表現しても良いのかもしれません。
いっぽう、僕にとって高橋源一郎さんのイメージは「競馬に詳しい人で、どうやら作家だ」というところからスタートしています。高校生の頃に日本テレビの深夜番組に出てらっしゃって、その頃の僕は現代作家にうとかったですし、ネットもなかったですから、彼がどういう人なのか知る由がなかった。なので、先入観として、作家の仕事は二の次の人なのかなあと見えてしまっていました。それが、だんだん年月の経過とともに、競馬に詳しい人、というよりも、作家、としての色合いのほうが僕の目には濃くなっていきました。
本書を読むと、序章こそ言わんとしているものがよく伝わってきませんでしたが(序章は、文庫へ版を変えたときに最終章の位置から移したものなので、全体を踏まえて抽象的に述べられている言葉だからはっきり飲み込みづらかったのかもしれません)、エンジンがかかってからは明晰な眼力で「小説」を透徹して見ていることに、読んでいてびりびりくるくらいです。小説のコードに従う従わないか、コードを全否定するのは原理主義であり自爆テロみたいなもの(理想主義で、なおかつ完璧主義なのを原理主義というのですね)、近代文学において強い敵と戦うのが文学のテーマだったがある時期から戦う相手である「権威」が無くなってしまった、自他の分別をはっきりした非対称性の文学とその反対の対称性の文学(対称性の文学のほうが現代日本の文壇で勢いが増してきたのですが、そもそもアメリカ文学のほうでは対称性の性格が強い文学が主流)、リーダーフレンドリーの良さと悪さ……などなど。
しかしながら、これほど厳しい美的感覚で「小説」をとらえてしまうと、自己規制や禁止条項だらけになってきて、書けるものの範囲が狭まりそうです。高橋さんの論理は筋が通っているし、ひとつの立場として見事な高さにまで築き上げられている(そこにはかなりの労力がかけられているでしょう)。だからこそ、オーソリティを持った意見として受け取りやすい。そして、そう無条件に受け入れてしまうと、高橋さんと同じ苦しみを背負ってしまうことになります。
だから、読者は(そして書き手でもあるならば)彼のような見事な論理と美意識も、単にひとつの視座にすぎない、と踏まえたほうがいいと思うの���す。本書で語られた、ほとんど隙のない文学論も、文学へ一方向か二方向から強い照明を当てたに過ぎないと言えるかもしれない。上手な光の当て方であっても、自分は自分として、また違った光を文学へ当てて眺めていいのではないでしょうか。高橋さんは、綿矢りささんの短編に非常に感銘を受けたと述べていますが、その感想は、これまでの彼の視座からは見えなかったものが世に出てきたことへの驚きを多く含んでいました。
つまりは、彼を驚かすためには、彼の視座を忠実にトレースしててはいけない。というか、書き手は自分なりに自由であっていい部分はあるので、反論の言葉が見つからないといって、飲み込まなくてよいのです。
といった前提で読む、高橋さんによる大江健三郎論がおもしろい。「言語のセンスがとても変わっている」のは、僕もはじめて読んだときに、文章を追えなくてなんだこれはと思ったから、つよく頷いたものでした。大きい狂気を抱えている人、というのもなるほどと。理知的な人というようなイメージで見られがちですが、高橋さんによれば、無意識のほうがずっと強い人だということでした。
僕はまだ、高橋源一郎さんの小説作品に触れたことがありません。でも、好奇心はつよく持っていますから、そのうち何か手に取ると思います。柴田元幸さんの翻訳作品ではブコウスキーの『パルプ』が積読なので、こちらも楽しみなところなのでした。
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もっといろんな本を読みたいと思った。
文がコードで書かれている、という考えはたくさんの本を読んだ人だからこそ出てくる発想だな。
読み、書き、翻訳が、固体、気体、液体であるという考え方も面白かった。
これだけいろいろなことがわかって本を読んでいくのは、余計なことを考えちゃうっていうのもあるけど、分類分けとか楽しそうだなって思った。
海外のこの作家と日本のこの作家は似てる、とか。
読んだことない作品がたくさん出てくるけど、二人の会話をもっと聞いてたい。
出てきた作品を読んでみたい。