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本書はご本人曰く、初の「文芸もの」。
「言葉」が隠蔽しようとしているものが何であるのかについて。
「言葉」に強いこだわりを持って、紹介された何篇かの詩や言葉。
「ここで取り上げた詩作品の素晴らしさを読者と共有できるだけでも、この本を著した甲斐がある」とまえがきにあったけれど、共感したり、「国境を越えた文体」に圧倒されたり。どれも思わず書きとめておきたくなるような18章だった。青年時代の平川さんにもお会いできたようで、嬉しかったので★★★★★
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「言葉」についての感性が磨かれる一冊。
普段は意識せずに使用している言葉の深さと限界を感じることができる。
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ブルキナファソの友人がいる
彼の話す言葉はフランス語とジュラ語
もちろん、
私は話せない
でも、出逢った時から
なにか惹かれるものがあり
「言葉」にかんしては
それほど苦労したということがない
むしろ、うまく伝えられないところを
楽しむほどのところだったような気もする
日本語で話し合える友人がいる
日本語であるがゆえに
時には 最良の表現を探せども
うまく見つからないことが ままある
言葉は難しい
言葉はおもしろい
「大事より些事が大事」
深くうなづいてしまった
生きていく上での極意とも思った
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言葉と詩について書いてある本書の内容に共感できる。引用する詩は難しいものが多いが、筆者の視点が分かりやすい。▼「嘘」(P164~)……後ろめたさという制御……この人(安倍総理)の言葉には何か決定的に重要なものが欠落しているとしか思えないのです。いつも、自分というものを棚上げにしたところで、相手を打ち負かす道具としてだけ、言葉が存在しているということであり、後ろめたさなしに、嘘が言えるということなのでしょうか。これほど言葉をぞんざいに扱うものに、どうして信を置くことができるでしょうか。▼詩人とは政治家の対極にある場所から言葉を発するものです。ひとつの言葉に、自らの全重量を載せるようにして、言葉を紡ぎだそうとするもの。
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仕事には、ワークという言葉以外に、コーリング、ヴォケーションという英語がありますよね。後者は、天職と訳すべき言葉であり、わたしたちはひたすら天職を求めて生きているのだろうと思います。
鍛えられた言葉は、いつも、見えるもの、存在、充足、正確さというものの背後に、見えないもの、不在、欠落、遅れを導き入れるのです。そうすることによって、「いま・ここ」の世界は、「いまでない・ここでない」世界によって成り立っていることを教えてくれます。
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詩というものにふれたことがない。言葉を徹底的に削ぎ落とした詩が俳句なんだと思っているが、そういう概念みたいなものを考えるだけで、そういったたぐいのものにほとんど関心を持ったことがない。そんな人間に詩の解説をされても、よくわからないというのが本音ではあるが、この作者が言葉を紡ぎ出す時にどれだけ考えて書いているのか、その丁寧な文章から推し測る事ができる。
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人類は言葉なんてなくても生きていけるが、様々な言葉を生み出し世界を分節していった。今我々に必要なのは言葉のもつ温かみなのかもしれない。
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安保闘争の頃の詩人何人か オーデン 平成天皇 司馬遼太郎はナショナリズムとは何でないのかを語っているがでは愛国心とは? リービ英雄 羽田浦地図1984と小関智弘さん 鈴木志郎康 「完全にコントロール」の嘘 鮎川信夫 吉本隆明
「日本封建制の優生遺伝子」振り返ると半世紀前、封建的なものからどうやって自由を得るか、は切実で、ひょっとすると他の例えば「何で生計を立てるか」のような現実的なテーマ以前に差し迫ったことだったように思われる。封建的なもの、権威主義的家族主義などはかなり解消されたように見えても、その一番忌避したかった要素が実は少しずつ形を変えて、「都合の良い上下関係で解釈した他者との関係性の中で図々しくも設定した自分の価値」にすがるような、おぞましいものになっているのかもしれない。戦地で親友を亡くし、内地で枕元に焼夷弾落とされ、それでも生き残って戦後の社会を築いた世代にあった良質な深みを、コロナ後の社会はまた掘り下げてゆくしかないのかもしれない。
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まだ自分にはここに書かれている詩たちを理解するのは難しい感じがした。
でも、「伝わらないところで言葉が鍛えられる」というのは、なんだか納得できるような気がした。
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読み終えて、言葉を鍛える ならば、本当に多く人が紡いだ言葉を読み、それを自分の中で咀嚼し、アウトプットし続けなければ…鍛えられるものではないなあと思いました。
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“「言葉」が指示しているものやことがらの意味についてというよりは、「言葉」が隠蔽しようとしているものが何であるかについて書いてみようと思ったのです。”
という著者の思い。
荒地派、W.H.オーデン、鮎川信夫 etc. etc.. これまで触れたことのない詩人の作品を引きながら、言葉についての思索が繰り広げられる。
We must love one another or die.
(われわれは愛し合わなければならない。しからずんば 死あるのみ)
という詩の最終行を、
Because we are going to die anyway
(われわれはどっちみち死ぬんだから)
と書き換えたW.H.オーデンについての章が、今のこの時代に響く。著者は、
「世界は愚劣さに満ちており、その世界を構成している人間も希望を語れるような存在ではない。希望を語る語法ではなく、絶望を語る語法が必要なのだ。何故なら、われわれにはまだ絶望が足りないからだ。」
と突き放すが、耳に心地の良い響きだけが真実ではないという、著者なりの「思いやり」なのだと思う。
翻って、昨今巷に溢れかえる情報にしてもそうだろう。
われわれは自分に都合のいい声にしか耳を傾けようとしない。我々に届くその言葉は果たして本当のことを伝えているのだろうか? 言葉は意を尽くそうとすればするほど、— その意、そのものも疑ってかかる必要もあるが — 言葉の表面上の意味とは異なるものが上塗りされていくようで、非常に気味が悪い。
むしろ、伝わってこないコトの中にこそ真実があるのかもしれない。
著者も警告する。
「言葉が何かを明らかにするよりは、何かを隠蔽することもあるのです。いや、こちらの方が、言葉の本来の役割であるかのように感じるときもあります。」
言葉は発する時もそうだが、読み取る時にも、その能力を鍛えておかないと、容易にその言葉を操る輩の意のままの場所に連れていかれかねない。
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「理解できるものは理解し、理解の困難なものは、そのままのかたちに〜自分の理解の領域にないものを、ただちに許すべからざる異質なものとして拒むという態度をおとりにならないで下さい」
この言葉がすごく刺さった
また「天皇は言論という道具を奪われている」の一文にも動揺した
普段の生活で天皇陛下のことを考える機会になんてめったにないけど私たちと変わらない一個人なんだとハッとさせられた
言葉、大事にしようとすればするほど嘘っぽくなって心の内に感じてることと若干ずれてて表現できない露出できないことに悲しくなる
小池昌代のりんごのひとつの重さだけで「あのひと」の不在を表したことにぞくっとした
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「年を取るほど計画性がなく愚かな人間が愛おしく思える」
言葉がうまく通じないその分だけ、思いは通じるということもある これは本当にその通りだと思います…