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新薬師寺の香薬師如来像は三度の盗難に遭い、もう70年余り行方知らずだ。昨年、この像の右手首から先だけが発見され、その経緯をまとめたのがこの本である。
綿密で地道な取材ぶりに頭が下がる。
しかし、右手が見つかった経緯だけを手っ取り早く知ろうとして読むと、少しつらい。枝葉末節があちらこちらに太く広がっている。どれも感動的な話だ。しかし、右手をめぐる謎解きは複雑でわかりにくい。
しかも、右手は"発見"されたとはいえ、”大人の事情"はオブラートに包まれたまま。最後の肝心なところで、修験者である著者の夫の自慢話が出てきて、煙に巻かれた感が否めない。前半の香薬師像の由緒に関わる部分が感動的なのだけに残念だ。
少し愚痴ってしまった...。しかし、落ち着いて考えると、知る人ぞ知る存在だった右手があやうく記憶の闇に消え去る寸前、著者が光を当ててくれたと言えるだろう!
そんな香薬師像の由緒とこれまでの経緯を著書から拾い出し、以下のとおり、まとめてみた。(読解力不足で間違いがあったら、ご指摘ください。訂正します)
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香薬師像の由緒
新薬師寺の寺伝によると、白鳳を代表する香薬師像は、光明皇后の念持仏だった。聖武天皇の病気平癒を願った光明皇后が、天平19年(西暦747年)、新薬師寺を創建。丈六七仏薬師が横一列に並ぶ巨大な金堂の中尊に胎内仏として、香薬師像がおさめられたと伝わる。つまり、香薬師像は現在のご本尊の薬師坐像(平安初期)よりも古く、新薬師寺の根幹をなす大変重要な仏様であることが推察できる。
創建からわずか33年後の宝亀11年(780年)、新薬師寺の巨大伽藍が雷による火災で消失してしまう。木造の七仏薬師も焼けてしまうのだが、銅像の香薬師像だけは胎内から救い出され、それ以来、新薬師寺で大切にお守りされてきた。しかし…
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三度の盗難
明治23年=1回目の盗難
ずっと時代が下った明治23年。香薬師像が盗まれてしまう。このときは、ほどなく近くの神社で発見される。右手首から先が切り離された状態で打ち捨てられていたそうだ。右手をつなぐ修理が行われ、お像は再び新薬師寺に安置される。
明治44年=2回目の盗難
ところが、明治44年、香薬師像は再び窃盗犯の手に落ちてしまう。右手と両足が切断された痛ましいお姿ではあったが、大阪・住吉の田畑で発見された。右手は再度、お像に接続され、見つからなかった両足は木製のものを作って補われた。
昭和17年、竹林薫風と水島弘一がそれぞれ、お像を石膏で型取りする。この頃までに右手は古傷のためか脱落していたようで、三度目の盗難の前に右手だけが盗まれることがあったため、水島が銅で右手と両足を補作し、お像本体に取りつけた。盗まれた右手は近くに捨てられているのが見つかり、その後、お寺で保管されていたらしい。
昭和18年=3回目の盗難
昭和18年、香薬師像が三度目の盗難に遭う。肝心なのは、このとき、元々の右手部分は盗まれず、寺に残された��いう点だ。しかも、現在の新薬師寺住職にはその事実が伝えられていなかった。香薬師像は今も見つかっていない。
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右手の行方
昭和25年?=右手が佐佐木家へ
昭和25年、文芸春秋の佐佐木茂策が、水島の型取りした石膏を使って、香薬師のコピー像3体を自費制作。新たに鋳造された1体は新薬師寺に、1体は奈良の観音院に譲り、1体は自らの手元に置いて、亡き妻、佐佐木ふさの供養とした。
どうやら、この際に、右手が佐佐木に渡ったらしいのだか、その辺りは明らかになっていない。
佐佐木は右手の土台を作り、丁寧に木箱におさめて保管していた。右手の価値を理解し、かつ財力のある人でなければできないことだと私は思う。
昭和37年=久野・水野両氏が右手を目撃
昭和37年2月、佐佐木家に仏像調査に訪れた久野健と水野敬三郎が、佐佐木の後妻から右手を見せてもらう。この時に水野が撮影した写真が最近になって、右手の身元確認に大きな役割を果たすことになるのだが、右手の存在はこの後、口外されることなく、50年余りの年月が過ぎ去ってしまう。
平成12年=右手が佐佐木家から東慶寺へ
平成27年=右手が東慶寺から新薬師寺へ
平成27年5月、著者と新薬師寺住職が鎌倉市の東慶寺を訪れ、右手が保管されていることを確認。平成12年、佐佐木茂策の墓のある東慶寺に遺族が預けたのだという。あくまでも東慶寺は預かっているだけで、所有者は佐佐木家なので、東慶寺は佐佐木家の間で念書を交わすことを希望。27年10月になって、遂に右手が新薬師寺にお戻りになった。
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以上、簡単にまとめたつもりだが、なかなかややこしい。香薬師像とその右手が複雑な歴史をたどったことがわかる。
なお、佐佐木茂策が大切にした香薬師コピー像は現在、東慶寺に譲渡されており、私も東慶寺で拝したことがある。観音院に渡ったコピー像は三共製薬会長を経て、今は奈良国立博物館に。数年前の『白鳳』展で拝んだ方も多いだろう。
最後に、いまだ解けない謎―――香薬師如来さまは今どこにおられるのだろう? この疑問を宇宙の闇に投げかけ、そっと溜息をつく。
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「いつかきっと、お帰りになるに違いない。」
昭和18年、奈良・新薬師寺に安置されていた国宝「香薬師如来立像」が何者かによって盗まれた。その仏縁に導かれたともいえる著者が、光明皇后の念持仏であり白鳳仏の傑作として人々を魅了し愛されてきた香薬師像の行方を追う。
高さ80センチ弱、童顔ながらも凛とした口元、全体に丸みを帯びた身体、流麗な衣のドレープなど向き合う人を魅了せずにはおかないこの薬師像は、しかし明治から昭和まで3度にわたって盗難に遭い、右手や両足を切断されるなど受難のみほとけだ。昭和18年三度目の盗難後、その行方は杳として知れず今に至っている。
産経新聞の水戸支局の記者であった著者は平成5年茨城県笠間町立美術館にその複製仏像があるのを知ったことを機に、この香薬師像に深く関わっていくこととなる。本書では香薬師像のプロフィールに始まり、歌人・会津八一や新薬師寺住職・福岡隆聖など薬師像をこよなく愛した人々のエピソード、三度にわたる盗難事件の顛末、二人の彫刻家による薬師像の複製作成の経緯が語られ、最終章では探し続けた薬師像の失われた右手をめぐってドラマチックな展開を迎える。
光明皇后の慈愛もかくやと思わせる麗しく愛らしい薬師像の行方は本書を読めば、著者ならずとも無関心ではいられなくなる。どかこの市井の蔵で埃をかぶっているのではないか、海の向こうへ持ち去られてしまったのか、あるいは山中にでも打ち捨てられて埋もれてしまっているのではないか、考えずにはいられない。それだけに、薬師像の右手をめぐるクライマックスには、何か香薬師が自ら歩いて人々の前に帰ってこられたような錯覚に陥る。
昭和18年に行方知れずになったまま幻となる運命だった国宝・香薬師像。著者の精力的な取材は奇しくもその香薬師をこの世に再び迎えるための一条の光となった。「香薬師像に必ずお会いできる。二十年以上の取材を通じて、私はそう確信している。」著者は言う。その取材ぶりと香薬師の仏縁に手を合わせたい。
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「国宝香薬師盗難事件」は、戦時中の新聞にも報じられ、仏像ファンたちに大きな衝撃を与えた。2度盗まれて戻ってきた像だったが、今回ばかりは発見されず、未だ行方が分からない。
この行方不明の香薬師を見つけ出そうと、元産経新聞の記者である著者が取材を開始。新薬師寺住職の全面的な協力を得た調査では、まるでミステリー小説を地で行くような展開に。その結果、衝撃の新事実が発覚。ついに、「本物の右手」の存在をつかむ……。 美術史的にも非常に意義のある大発見までの経緯をまとめた、衝撃のノンフィクション。