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たいていはぼくのように社会に出ることがダメな人が歌人をやっているそうです。
入門書というより読み物として、おもしろい。
よくある下手な作品を添削するのではなく、上手な作品を「改悪」することで、どこがよかったのかを明らかにしてくれます。
紹介された作品がみんな楽しいんだけど、一つ選ぶなら、私はこれ
「お一人様三点限りと言われても私は二点でピタリと止めた」田中澄子
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良書。短歌の表現技法の紹介にとどまらず、「生き延びるための言葉」と「生きる言葉」に視点を展開し、人間の細やかな気持ちをすくいあげる。日常の中にある答えのないものや場所を愛でたくなる。
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ビジネスマン向けに開催された短歌講座がもとになっているらしいけど、三流ライターの私にとって、とてもためになること満載の内容だった。コミュニケーションって、少し立ち止まらせるくらいが印象に残るんだなあと改めて思ったり。
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初穂村弘購入にあたり、エッセイを読みたかったけど、先ずは本業からと思いたって購入。
純粋に短歌の面白味がわかった。
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目から鱗。
効率的でないこと、意味がないこと、お金にならないこと。短歌の世界で“価値がある”とされるのは実社会とは真逆だ。替わりのきくシステムが用意されている人生を「生きのびる」、唯一無二の人生を「生きる」といった表現もおもわず唸ってしまうほど、自分の中にストンと入ってきた。
生きるために大切にしたいことを考えるきっかけになる良書でした!周りにいる大切な人たちに勧めたい!
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穂村さん本職の短歌の解説本。
改悪例を並べて示すことで、短歌の視線の持ちようがわかる。
誰にでもすぐにわかるように伝える「生き延びる」ための文章との違い。
さすが日常生活の中の暗黙のルールで右往左往する穂村さんだなーと納得。
限られた文字数の中で選んだ言葉が広げるイメージ、世界、記憶。
ここでは触れてないけれど、
逆に、てらいすぎ、やりすぎ、ひねりすぎ、なパターンもあると思う。
そのへんの線引きもまた微妙で難しそう。
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短歌で「私」を取り戻そう。
社会的に正しい言葉を使えるように教育されてきた。でも,短歌は違う。社会的に間違っていて,価値がなくて,だから引っかかる。
これはビジネス書なのだそうだ。改悪例が並べられているけど,社会的には改悪例のように書く。正しく情報を伝えるために。子どもや留学生の言葉は短歌の世界の言葉。それは社会化されきっていないから。歌人というのは,二つの世界に生きることになる。
「生きる」と「生きのびる」の違いも面白かった。「生きのびる」のに何が必要かは明白。では「生きる」とは? 二つは対照ではない。「生きのびる」ことのうえに「生きる」があるんじゃないかな,私の場合。少なくとも同じではない。
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たまーに母が見ているのを横目で見るテレビ番組に、芸能人が俳句を作り、それをぶった切るように添削して、スカッとした歯に衣着せぬ物言いでランキングしていくものがある。直されたものは、確かに感心するほどに洗練されていて、整形のビフォア・アフターだってこうはいかない。その神髄を知りたくて、本屋でその人の本を買ってみようか悩みながら、本のサイズが大きいことにしり込みして、なんとなく通り過ぎることを繰り返している。
それで、短歌。これなら、文庫本。
慶應大学の社会人・ビジネスマン向けのワークショップとして行われた短歌講座の収録です。
そのビジネスマンに向って、短歌の価値は、社会的価値と結びつかないと言い放つ。つまり、「あんたたちの普段の価値観とは全く正反対なんだよ」と。
それを別の言い方で、「二重に生きている」と。
「生きる」ことと「生き延びる」ことは違う。「生き延びる」言葉は短歌にならない。生活に必要な以外の何かが、短歌にし、心を打つ。
そこで、この中では、添削ならぬ、「改悪例」を提示する。
ありがちな風景という、ありがちな作品。それじゃ、だめ。
「あるある」を喚起することで、相手に共感を抱かせるも、それは、誰もが経験しているけれど、はっきりと言葉にできない何かなのだろう。だから、いったん「脅威」を潜り抜けることが必要だという。
「煤」「スイス」「スターバックス」「すりガラス」「すぐむきになるきみがすきです」やすたけまり
これを
「煤」「スイス」「スターバックス」「すりガラス」「すてきなえがおのきみがすきです」
にしない。
鯛焼の縁のばりなど面白きもののある世を父は去りたり 高野公彦
こんまりさんが、「ときめかないものは捨てなさい」っていうけれど、ステーキでも、寿司でもなくて、鯛焼きのばりなんかに、ときめきはしないんだけど、なんか、思いが残る。捨てられない。そんな思いが短歌を作り出すんだよね、きっと。
中学校の先生で
生徒の名あまた呼びたるいちにちを終わりて闇に妻の名を呼ぶ 大松達知
というのは、すごくエロティックで、そこ、つなげちゃうの、っていうのと同時に生徒も妻も人間なんだよなあ、という、個々に戻る。
なんか、「そうなんだよなあ……」という感慨の中で、説明はできないんだけど、「これこれ、こういう感じ」って、実際を出してみせる。
「寂しい」とか、「好き」とか、「いとしい」とか、そういう言葉になるような上等なものじゃなくて、でも、こういうのあるよね、って、知ってもらいたい感じが短歌、かな。
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こういう創作論の本を読むのは初めてだったけど(この本は創作論とはちょっと違うかもしれないが)、すらすらと読めて楽しかった。凄く勉強になる。他の短歌の初心者向けの本は読者の短歌をここが良くないと言って歌人が添削していたが、この本は読者の短歌をこう変えると悪くなると言って、元の作品が如何に素晴らしいかを語ってくれる。優しい。
「生きのびる」という言葉と「生きる」という言葉があって、「生きのびる」というのはお金を稼ぐとか仕事をするとかコンビニでご飯を買うとかそもそもコンビニそれ自体のような、システム化されて洗練されていくものについて言っているが、それは短歌にはなりえない(しても面白くない)。何故ならそれは替えがきくからだ。反面、「生きる」ということ、蝶々の唇を探したり、裸足で雨の中迎えに行ったりは短歌になっていく。それは唯一無二のもので、何時迄も記憶に残る。しかし、人が長生きするためには、明日を生きながらえるためには生きのびていかなくてはならない。そこのバランス、悩ましいなと思ってしまった。食べるためにはお金が必要だし、お金を稼ぐには仕事はしないといけないわけだし、仕事のメールで短歌を詠むわけにはいかない。ただ、「生きのびる」ことだけに力を入れていると、短歌を詠めなくなる、詠んでも何だかしっくりこない、つまらないものができてしまうのかなと思ってしまう。
面白かった部分は
三十歳職歴なしと告げたとき面接官のはるかな吐息
という短歌を詠んだ方に対して、「この人は絶対就職できませんよ」と言い切っていたところ。歌人になるためにはどこか変わっている必要があるかもしれない。
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めーーーーーちゃくちゃおもしろい。わかりやすい。大好き。
「生きのびる」ための言語体系から「生きる」ための言語体系に、シフトする。言葉のチューニングを切り替える。
仕事で使う、端的で明確で無駄のない申し送りや記録。事実を明確に述べた論文。仕事の時間が終わったら、その世界から駆け足で抜け出して、鯛焼きの縁の「ばり」を大切にする世界に帰ってくる。今の職場は、「生きのびる」と「生きる」が、前より少しだけ近い気がする。
無駄なもの、効率の悪いもの、目的を果たしたあとの社会的には意味のないいわばゴミのようなものに目を向ける。高度経済成長に向かったベクトルをぐらりと揺るがす、これは穂村弘さんの革命的な主張。17年会社員をした穂村さんだからこその、この表現。大好き。
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いやいや、めちゃめちゃ面白いですよ。
『もしもし、運命の人ですか』を読んで視点が面白いなあ~程度の気持ちで短歌をよく知らない私が読んでも、ものすごく勉強になるし、おっ短歌書いてみるか?という気持ちになります。
短歌とか詩人って浮世離れしてるよね、と、漠然と共通認識的に思っていると思うんですが、それは「なぜ」なのか?がきちんと言語化されています。
曰く、短歌は社会通念的に価値の高い必要な「生きのびる」ことではなく、「生きる」ために必要な、共感や余韻を与える表現や観点を求める。
これは誰もが(万人に伝わるように表現するようにと)学校教育の中で矯正されてきたことと反対だから違和感がある、と。
読んでいてクスクス笑ってしまうような表現もあって、やけに軽妙だなと思ったらもともとは講義だったようで。いいなあ、通ってみたかったな。
この本のいうことを信じるなら、短歌的な世界を築くためには世界を閉じる必要があるように思います。昼はバリバリ働いて、それとは正反対のことに心を砕きながら、夜だけ短歌書いてます、みたいなことをできる人がいたとしたら、そんな人と恋をしたいよね。
ふわっと視点が広がる本です。
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短歌に興味を持たずに読んだけど、本当に面白い。生きると生き延びる概念はとっても大切だし、学べて本当に良かった。
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いただいた本。
生きのびる と 生きる は言い方は初めてだけど、こういう考え方は分かる。おもしろい、すてきで、ついには短歌をよんだ。
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現実に生きている私たちが大事にしていきたい微妙な感情や感覚を優れた短歌と、その改悪例とともに紹介。
「生きのびる」言葉と、「生きる」言葉の違いなんて考えもしなかった。
役に立たない言葉に価値を見出す世界。
実は、それはとても人間のこころを豊かにするのだとしたら役に立たない言葉なんてこの世には無いんじゃないかと思わせてくれる。
自分の感覚には無いものを突きつけられると感動する。
人々に「共感」されるためには「驚異」というゾーンを通らないといけない。この本は短歌だけでなく、何かを創るにあたっての説明書のような役割も発揮している。
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短歌の発想を社会的に解説した、短歌を作りたい人よりも、解説にもあるようにどちらかというとビジネスや発想力メインな構成。短歌の、ビジネス書。役立たないことが短歌のよさなのにそれを役立つんですよ、とあえて書いているところを、受け入れられるかどうか。短歌ビジネス入門とかにした方がいいのかなあ。
短歌は感覚で作るけど、そのよさを理論で理解しよう、みたいな。感覚派の人はしらけるかもしれない、理論派の人は理解できても作れない、というジレンマに陥るかもしれない。
小説とかの発想の理解にもつながるところがあるので面白かった。理解できるのと作れるのは別だなと思い知らされもする。やっぱり、短歌なんて役に立たないよね、と思ってしまえば短歌は思いつかない。役に立てようとする発想自体が、短歌から離れていくという、このもどかしさ。
やはり芸術は解説することは出来ても、そこに気持ちをいれるのは、方法論では補えない。
短歌が残るのは残したい感情があるからで、情報ではないから。短歌が生き延びるためには、私たちが生きなくてはいけない。私たちが生きるためには、生き延びなくてはいけない。生き延びたいと思うためには、生きなくてはいけない。生きるためには、短歌を生き延びさせなくてはいけない。
読むとつい詠みたくなる、それで自分の歌はダメだなぁとしみじみする、そんな本。