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テーマが絞られている分読みやすい
2017/03/22 08:35
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投稿者:さくら - この投稿者のレビュー一覧を見る
「やさしい人」とはどんな人だろうか。言葉の持つ意味は昔と今で大きく異なってきている。
もともと日本で使われていた意味での「やさしい人」は今自分の周りにどれだけいるのか、そして自分は他人に対してどれだけその意味での「やさしい人」であるかを改めて考えさせられた。
共感できる部分が多々あるが、テーマにあまり広がりと深さが感じられないので★3
ただその分読みやすさはある。筆者の融通の利かない硬さもおもしろい。
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本当の「やさしさ」とは何か考える必要がある。個人的には「やさしさ」というより他人への興味・関心が減ったことによる放置・放任が増えたのかなとも思う
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筆者の言う自分のための優しさ、ニセモノの優しさがはびこっているのは事実だと思う。
しかし、それが子供達の心の弱さの原因になっているかは、その根拠が不明確である。アメリカでは褒めて育てるの揺り戻しが来ていると言っているが、その根拠も不明確である。
子育てについては様々な言説が溢れていて、親も戸惑っていると思う。明確なエビデンスに基づく議論が必要ではないか。
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やさしい人の人気が高い。傷つけないよう気を遣う。だけど、叱るより楽だしぶつかるのを避けてるだけで、相手のことを本当に考えてるわけじゃないのでは。気になるのは自分が人からどう思われているかだけでは。本当のやさしさは、自他への厳しさを伴うものだ。
後書きによると、明快な回答を示せたわけではないけれど、やさしさについていろいろ考えてみました、考えるたび新たな発見がありました、とのこと。まさにその通りの本だと思いました。
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自分が他人に行なってる優しさすら、思いやり故なのか自己愛故なのか曖昧になってる部分が多いので、優しさに真正面から向き合ってみようと思いました。
自己愛で固められた優しさを振りまく人にはなりたくないな。
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新書は9割タイトルで読むかどうかを決めるのだが、なるほどと思う所はあったが、今の私にはさほど必要なかったかも。自分を殺してまで相手に合わせることを、まったくしなくなったので。本書で問題視されている“やさしさ”は相手の気持ちに立ち入らず、自分も相手も傷つけない見かけだけのやさしさである。確かに学生の頃はこの“やさしさ”を重視していたが、いつの間にどうやって克服したのか記憶にない。私は抜け出すことができたが、脱出できないまま人間関係に悩み疲れている大人も多いのだろう。我が子がそういう大人になって欲しくはない。
友達親子は論外だが、子どもの将来のためを考えて厳しく叱れるだろうか。つい自分の都合で声を荒げてばかりの毎日を反省。
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【背景】
①なぜ読むか
以前、この本の要約を読んで記憶に残っていた。
②何を得たいか
日本社会の“上っ面”な人間関係の一要因を考察するきっかけ。
③読後の目標
身近な人間関係への応用。
【著者】榎本博明
【出版社】PHP新書
【重要語句】
やさしい、厳しさ、閉塞感、友達、ほめる、タテマエ、「間柄の文化」、レジリエンス
【要約】
【メモ】
ほめる≠やさしさ
留年はかわいそうなのか
【感想】
書かれたのは2016年。現状との若干のミスマッチは否めない。むしろ、当時の状況を示す指標としては参考になると思った。
また、この本は、若者批判によりがちではある。社会人歴数年の私から言わせてもらえば、年上の管理職に対し「お前ごときが私に注意するな」と思うことは多々ある。“叱る”行為の中の優しさは、相手を育てるだけの気概がなければ成立しえない。古い表現だが、筋を通す、仁義を尽くすような人であれば叱られても良いが、責任を転嫁するような無能な管理職や上司は黙ってヘラヘラしとけ、と言わざるを得ない。ある意味で昭和的な優しさが足りないとは思う。人情が足りないというか…
本書でも使われる「やさしさ社会」を作ったのは、我々の世代だけだろうか。否、そんなことは無い。物質的な豊かさを重視し、精神的な豊かさを放棄したのはどの世代だろうか。そのような教育、社会を作ったのは誰だろうか。この著者を含めてだが、ヒトと特に自分の子供たちと、ちゃんと向き合ってきたのか。自分や今(当時)の社会ばかりを優先し、子供や未来のために本当に必要な関係を築いたのか。
現代社会では、「多様性」という言葉が多用される。みんな違ってみんないいよね的な“やさしさ”が蔓延っている。そもそも、今さらそんなことを口にするのもバカらしいし、その違いを優先して既存のシステムや文化を全てキャンセルすることは許されるのか。保守的との指摘はあるかもしれないが、それは人類が、日本人が積み上げてきた文化、ひいては人類そのものへの挑戦ではなかろうか。
私は自分の軸に沿って、優しくありたい。