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子どもの頃、私にとって「一番恐ろしいもの」は暗闇やお化けだった。
思春期を迎えた頃には、「結局は人間が一番怖い」と考えていた。
そして今、私が一番恐れているものは、「死」だ。
こうして書き、語り、考えるということができなくなること。
こうして死について考えている“私”さえなくなってしまうこと。
私にはそれが何よりも恐ろしい。
だから、よく「どうすれば死なずにいられるのだろう」と考える。
結局、「死とは?」「私(魂)とは?」そこに行きつかずにはいられない。
たとえば、未来に人体の全てが明らかになって、全てが機会、あるいは今の私が持つ、たとえば脳が、全く同じ形・構造・神経回路のものと入れ替わったとして。
その時、私は今の私と同じなのだろうか。
その時、“私”はいるのだろうか。
多分、この作品は、それに“ノー”と答えている。
舞台は、19世紀末。
フランケンシュタインをきっかけに生み出された“屍者”が全欧に普及し、戦場のみならず日常生活においても利用されるようになった世界。
彼らは人の姿を持ち、生命反応もあるけれど、生者とは決定的に異なる存在だ。
意思はなく、魂も持たない。
それもそのはず、彼らは死体の脳に電極を刺し、ネクロウェアをインストールしただけの、動く死体にすぎないのだから。
当然、屍者は生前の彼らとは全く別物のはずだ。
ヴィクターの手記によって魂をインストールされたと思しきフライデーもまた、エピローグの独白を見るに、以前の彼とは違うようだった。
だとすれば、永遠になくならない魂など、やはり存在しないのではないか。
ザ・ワンが復活させた花嫁も、やはり彼の"the one"ではないのではないか。
ワトソンは、二度と元のワトソンには戻れないのではないか。
答えを求めて本を開いたわけではないけれど、結局、疑問は深まるばかりで、何一つ分からないままだった。
きっと、一生死ぬということを理解できる日は来ないのだろう。
確かに、私はどうあっても死を経験することはできないのだから。
だとすれば、私はむしろ、いずれ辿り着くその日まで、ワトソンやバーナビー、バトラー達を先達に、選択の余地なき自由を、それでも選択していくしかないのかもしれない。
正直、そう書いておきながら、その意味が私にはまだきちんと分からないのだけれど。
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やっぱり円城塔の文章って全然頭に入ってこないんだよなぁ…まぁ私の脳みそのレベルの問題なんだとは思うんだけど。劇場版とは設定が異なる部分がそこかしこにあったから楽しめたけど、映像のクオリティがものすごい高かったから私は映画派。(大里化学でのバーナビー山澤戦ほんっと興奮したぁ…)
とは言っても他人の、しかも亡くなった人の作品を引き継ぐなんてどんだけ覚悟いるもんなんだろうか。完成させてくれたことに感謝、世に出してくれたことに平伏、天国の作者に合掌、って感じですかね!
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映画化の影響で読み始めたのだけれど、読み終わるまでに結構かかった。もともと読むのは早く無いしたくさん読む方でも無いですが、それにしても初めて聞く単語や設定が多く、特に後半、それらを飲み込むのに時間を要しました。
ただ全体としては感情をほとんど持ち込まなない淡々とした文章や(その中で感情を感じる文章には惹き込まれました)、練られた内容、用意された答え、クライマックスの疾走感と楽しんで読むことが出来たと思います。おもしろかった。
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読むのに三ヶ月ほどかかってしまい、結果的に2016年最初の読了本になった。それほど私にとっては難解な内容だった。
円城さんの作品にはじめて接したのは短編の「Four Seasons 3.25」だったが、そのときも読み切るのにたいそう時間がかかり「この人の文章は難しいな」と感じていた。こうして改めて正面からとり組むと、もう全然進めない。映画を観ていなかったら、話の流れをつかむことさえままならなかったかもしれない。あと、歴史上の人物がたくさん出てきたらしいのだが、あまり世界史が得意でない私にはほとんどわからず、自分の浅薄な知識を再認識させられた。
テーマは死者と生者の間によこたわる魂と言葉の意味、というように感じたが、自信がない。物語は、なにかひとつの答えや主張を示すのではなく、さまざまなことがらが疑問のまま収束しており、これはこれで納得できた。あとは、あとがきがとても冷静なのにどこか感傷的で、私の心の琴線に触れた。
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期待もこめての星4です。
ちょっと文章がわかりづらいところが多々あるんですよね。こちらの読解力が低いということではなく、書き手側の問題であるとは思うのですけども。勢力関係も混沌としているし、もうすこしシンプルにすべきだったと思います。
でも話の流れはとても良い!最後は胸が詰まりました。細やかな部分はわかりづらくて理解出来ていないと思うのにこうなるのですから、もっと洗練された文体になればさらに感動出来ると思います…!!
それから、日本での話はやはり上手いですね。そこでの戦闘シーンは臨場感がありものすごく楽しめました。のめり込んでしまいました(笑)
「屍者の帝国」。ワトソンとフライデーが、まるで、亡くなってしまった伊藤計劃を蘇らせた円城塔、その2人を示しているかのようで、感慨深いですね。円城塔さん、これからも読んでいきたい方です。
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夭逝した人気作家の未完の書を引き継いで完成させる。これはキツい仕事だろうなー。
しかし、この作品はそんな物語関係なしに面白い!
構築された世界の突拍子のなさと変なリアリティ。何より、このオールスターキャスト!彼らがさも必然的に動きだす!
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小説だからあたりまえに「うそ」なんだけど、それでも虚実綯交ぜと言いたくなるような見事、豪華な登場人物たちに終始胸が踊りっぱなしでした。
だってワトソンくんが主人公で、ドミトリーとかアリョーシャが出てきてリットン調査団に榎本武揚だよ!!!
内容的には貴志祐介の「天使の囀り」とかそれこそ伊藤計劃の「虐殺器官」的な感じ。こういうのめっちゃ好みなんだよなー。
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映画が意味不明だったので、虐殺器官、ハーモニーに続いて屍者の帝国を読んでみました。
そして、読んだ結果は意味不明のまま。
日本過ぎてアメリカに入ったころからページ読み飛ばしてたよ。
つーわけでよくわからんまま終わってしまったが、まぁいっか。
あまりにも意味不明だから解説サイト読んでもよくわからんのだ。
と、昨晩読み終わってわけんかんねぇよ、で終わりになったのだが、一夜寝たら違うことに考えが至った。
この本は円城から亡くなった伊藤へ向けた本だったのではないかと。
魂とは言葉である。そして、最後に屍者だったフライデーがなんらかの原因によって魂を得ている。
フライデーがやっていたのは大量の情報を詰め込み、大量の記録をつけていたこと。つまり、言葉である。
大量の言葉を使うことでフライデーは魂を得た。
このことから、亡くなった伊藤は本という言葉を残した。言葉が詰まった本にこそ伊藤の魂が宿っている。
そのことを円城は伊藤に対する餞けにしたのではないか。
そう、ふと思った。内容は半分わけんからんけど、永遠に残る言葉によって伊藤の魂の不変性を書き上げたのではないか。
そんなことを考えると、最後にフライデーが魂を得た理由が腑に落ちたのだ。
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2016年1月24日読了。
素晴らしい。描写も設定もストーリーも。ラストシーンの力には血が逆流するかと思った。
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雰囲気小説。確かに映像化すれば、独特の雰囲気のあるアクションあり、ミステリ要素ありの、なかなか興味深い作品になりそうだが、小説で読むと何が言いたいのかよくわからんまま終わった、という感じ。
私には合わず、読見終わるまでかなり時間がかかってしまった。ザ・ワンがぺらぺらよくしゃべるのがちょっと興ざめ。
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映画を先に観てたが、全く別の物語。
プロローグから円城塔が描いたこの物語は、冒険譚としての活力は抜群。ただ謎が入り組んでいて、間を開けると中身がうまく繋がらない。
何回か読み直さないとダメなんだろうな。
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半年以上かかって読了。カラマーゾフやフランケンシュタインやヴァンヘルシングが同時代で大暴れ。よくぞ集めた!
そして伊藤計劃がこだわり続けた「言葉」の概念に感嘆するばかりです。
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「歴史改変もの」に属するらしい屍者の帝国。ワトソンさんはワトソンさんらしく。ストーリーテラーに徹し、時に愚かな発言をたしなめられ、時に確信をつく。伊藤計劃らしさは随所にあふれているのに実筆はプロローグのみ。円城塔の恐ろしさを感じた。は、さておき。ヴァンヘルにカラマーゾフにバトラー。元ネタしってるとニヤリとすること間違いなしだが、どれも長編ですな。バーナビーがどうにもツボで「自分の属する組織のことくらい調べておくのが基本だぜ」根っからの軍人なのかね。「わたしはわたしの外側にあり、そして同時に内側にある」
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劇場版を見終えてから購入、約一年かけて読了。
エピローグに「■」が置かれたところを『ハーモニー』の例の部分を読んだときに近しい気分で受け取った。人を乗り継いでいく菌株、X、あるいは言葉、は私たち読み手だったのではないか……俺が、俺たちが略(ガンダム並感)という気持ち。菌株と同じ視点を読者が共有していたかのような。あんまりな言いようなので言い換えると、印字された文章、そうでなくても言葉、としてしか存在しなかったものが、私たちがそれを読むことによってようやく形を持つ=読者と言葉のあいだに「わたしなるもの」(ワトソンはじめ物語内存在)が立ち現れる、という解釈をした。フライデーの手記に対しての「将来的な読み手」としての私たち。私たちにはワトソン、つまり「わたし」のことが「見えている」。そのつもりでいるし、そう祈りたい。私たちの読み手はいったいどこにいるだろう。
ぼんやり劇場版をふり返ると、あれは舞台背景を同じくしたオリジナルだったのではないか、という思いがわいてくる。劇場版は劇場版で楽しめた人間なので今あれこれ言うのもお門違いだとは思うのだけれども、一点、フライデーという存在が物語内で持つ役割は書籍版と劇場版で違うのだから、あの独白をねじ込んで無理に書籍版を踏襲する必要はなかったのでは……とは感じるところ。劇場版は「Project Itoh」としての関連性を押し出したいせいか、『ハーモニー』に対する『屍者の帝国』という意味合いを強く感じる設定とストーリーであったなあと思う。本の感想に書くことではない。
伊藤計劃:円城塔の関係性をワトソン:フライデーの関係に落とし込んでいると読むのはどうなのか……という思いが強かったが、エピローグの独白とあとがきの引用文を何度か読むにつけ、事実そうなのではないかと思い始めてしまう部分もあり、それでいいのかと感じる自分もあり。
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勧めてもらって。
18世紀に、死体にデータを突っ込んで動かす技術が発達するというSF。死体だけど、結局ロボットとかクローンとかそういう方面の生命倫理の問題とかと重なるな、と思った。
実際の歴史上の出来事とリンクしていて、歴史好きは面白いのかもしれない。
著者の世界観炸裂というか、読者を置いていく感じがすごいんだけど、最後はなんか、哲学でしたね。結局宇宙は脳みその中にあるのか。