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カウンセリングへ行ったら置いてあったので買ってきた。
たまに、子どもを虐待させて死なせる事件があると、その母親はきっと知能障害かなんかがあるんだろうな、私も何かが違っていたら、この子みたいに夕方のニュースになってたのかな、と思う。
普通の人は許せない、だとか胸が痛む、だとか言うみたい。そしてそういったケースが見逃されたのが残念だとかなんとか言って忘れ去る。
219ページに、「子どもを虐待させて死なせてしまう母親は、子との間に愛着関係を持っていないDタイプ(人間理解に障害のあるタイプ)の母親」とあって、やっぱりそうだったんだなと思った。
私が今日まで生き延びたのは、比較的経済的に恵まれている家庭だったからだろうな。
私は幸運だった。夕方のニュースデビューは嫌だもの。
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これまで著者が論じてきた母親に起因する子供の心理発達の話の総覧的な内容。
ざっくり言うと、母親には普通の親(Aタイプ)、未熟な親(Sタイプ)、障害を持った親(Dタイプ)の3パターンがあって、それが子の心の有り様を規定するというもの。
この本が出た当時、とうとうSub-Adultの概念を成書にしたのか、と思った記憶がある。
AタイプとDタイプに関しては個別の成書があるので、これを読んでAタイプに興味を持たれた方は『子は親を救うために「心の病」になる』を、Dタイプに興味を持たれた方は『消えたい』を読むことをオススメする。
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ボウルビィの愛着理論がこの本ベースになっている。幼少期に特定の養育者、多くは母親だが、その人物と親密な関係を維持し、感情を共有し、基本的な欲求を満たしてもらうことで、「この世は生きるに値する」という世界への感覚を獲得する。それが愛着理論である。
著者のオリジナルな点は、愛着関係において子どもだけでなく母親の要素にも注目した点である。考えてみれば当たり前だが、世の中には他人の気持ちを察することが苦手な人、他者を無自覚に操作してしまう人などもいる。当然そういった人も母親になることがあるだろう。
その場合に、子どもは幼少期に獲得すべき愛着を得られなかったり、あるいは親に反発することで社会に出ていくための自立心をはぐくむ反抗期を経験することが出来ず、学童期であれば不登校や摂食障害、成人したら適応障害やうつ病などの問題を抱えることになる。
著者の具体的な事例も複数紹介されており、経験と理論に裏付けされた内容でとても得るものが多かった。
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2歳までに母親に、「安心」と「甘え方」を教えてもらったかどうか、で子供の人生の生き方が決まってしまう。
最初から最後まで、訳のわからない涙が溢れ出てきて止まらなかった。
いつまでも解けない母と子の問題が、母親のタイプ別に事例を交えて、とても分かりやすく1冊にまとめられていると思う。
「愛着障害」=「母子間に愛着関係が成立しなかったこと」
母親の3つのタイプ
●Aタイプ(正常成人の母親)
<愛着障害なし 愛着関係を作る能力◎>
母親は親としての責任を持ち、この気持ちを理解し、共感的に応答し、十分に甘えさせることができる。
子どもは、失敗しても安心して積極的に公園で遊び回る。
(例)公園で転んだ子どもの傷を見て、「痛かったね、痛かったね、かわいそうに。でも、大丈夫、ほらこうしておけば大丈夫」と簡単な傷の手当をする。
2歳までの愛着関係の成立◎
20歳までの反抗期の成就◎
→安定した成人の心(困難を乗り越える力)
●Sタイプ(親として未熟な母親)
<愛着障害なし 愛着関係を作る能力○>
母親は子の気持ちを理解するが不十分で、子をあまり甘えさせない。最後まで子に寄り添えず、子育ての責任感に欠けるところがある。
子どもは少し母親を気にしながら、気をつけて公園で遊ぶ。
(例)公園で転んだ子供の傷を見て、「何やってるの、まったく!はしゃぎすぎなんだよ!ほら傷を見せて!」と怪我をした子の不注意を叱る。
2歳までの愛着関係の成立○
20歳までの反抗期の成就×(反抗期で問題が出てくる)
→自我同一性(アイデンティティ)の障害を抱えて悩む
●Dタイプ(対人理解に障害のある母親)
<愛着障害あり 愛着関係を作る能力×>
母親は、子の気持ちが理解できず、継続的な母子関係を作れない。生まれつき、他人の気持ちを理解できない能力的な障害を持っている。(軽度知的障害)
子供は、公園に連れて行ってもらえず一人で遊ぶ。愛着障害が生じる。
(例)子どもが転んで怪我をしても、親は無関心。子供は、泣かずにじっと傷をみつめて一人で痛みに耐える。
2歳までの愛着関係の成立×
20歳までの反抗期の成就×(そもそも反抗期がない)
→愛着障害を抱えて悩む
女大生の摂食障害の例、ひとつをとっても、母親のタイプがA・S・Dで治療法が全く変わってくる。
心の病気の鍵はすべて母親が握っているのだ。
Aケースは、母親の治療だけで娘の摂食障害が治ってしまう。
Sケースは、子どもと母親で別々の治療が必要となる。
Dケースは、母親は治らないので子どもだけの長きに渡る治療が必要となる。
どのケースも、精神的疾患の症状がでる原因は、過度もしくは継続的な「緊張」と「我慢」である。
「甘え」て「安心」出来る基地(空母)がないため、心が不安定になる。
母親が子どもの「緊張」と「我慢」に気付き、「ずっと辛かったね」「心配させてごめんね」「いっぱい我慢させて辛い想いをさせてごめんね」と寄り添うだけで、症状は自然と消えて無くなっていく。
さて、私の母親は、間違ってもAではない。SかD。
SかDで悩むところで、私自身、まだ享受できてない部分があるのだろう。(Dと思いたくない気持ちがある)
親に甘えられるか(A)、甘えようとしても最後まで甘えきれないのか(S)、そもそも甘えられないのか(D)
答えはD。
母親に自分の気持ちを理解してもらったことはほぼない。
公園に遊びに連れてってもらった記憶もない。
いつも家で一人で遊んでたし、転んで怪我をしたら、涙を流しながら、傷をじっとみつめて耐える子どもだった。
(母はそれを我慢強い大人しい子に育てたと今も自負している)
実際、私はうつ病になり10年闘病してきたが、母親はうつ病の治療に関わろうとしたことは一切ないし、うつ病に至った詳細も経緯も治療方法すら、何も知ろうとしなかったし、自分に原因があるだなんて思いもしていない。(家の方角が悪いとか、悪霊のせいだと本気で思ってる)私の苦しみや気持ちや症状に全く無関心である。
ちなみに義母もDである。
Dの母親に育てられた者同士、夫婦として一緒に暮らしているが、私も主人も、Dの子どもはやはりDなのである。
3回流産して子宝には恵まれなかったのだけど、認めたくないけれど、それで良かったのかもしれない。
私は子どもを通じて自分の満たされなかった幼少期をやり直したいが、主人には到底無理だと思う。「言うこと聞かない人間は殴って恐怖で支配するしかない」というセリフを主人から聞いたことがある。
今でも、生き辛さを感じるのは、「安心して甘えられる存在」がいないということ。
40過ぎても、私はまだ母に甘えて安心したい気持ちがあって、(それができて自己愛がやっと成立する)でも、母親がDである限り、それは一生不可能なことである。
自分一人のなかで、母と子を演じて愛着関係を再構築しなければならない。
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母になる。
母性などかけらもないと思っていても、
産めば、子育ては始まる。
よい母だったかどうかはともかく、よい母でありたいとは思ってきた。
時に、母としてどうしようもなく機能しない人も一定数いるのだと思う。
子の人格を作る上で一番影響を与えるのは母だとしても、きっと、それ以外の大人、友人、社会的環境によって人は形づくられると思いたい。
そうでなければ負の連鎖。
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涙が止まらなかった。封印して我慢していた患者の気持ちが溢れ出す場面が描かれている。
自分の満たされなかった気持ちを認識すること。そこからはじまる。
母親のタイプ別でカウンセリングの手法もかわる。 軽度発達障害の母に育てられた子が子を産み愛着を取り戻すケース。愛着を再構築できることに人間の強さを感じた。
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元々自分が母との関係に悩んでいて読んだが、Aタイプの愛着関係を築けたと気づけた。また、Sタイプ、Dタイプであっても、エリクソンの発達課題のように思春期を再び実践する治療などがあることも勉強になったし、過去には戻れないためより親との関係を客観的に見つめて親から得た不利益を受け止めてもいいんだ、と気づきになった。
自分自身にとっては、親との関係を洗い出せ、いいことも悪いことも自分で受け止めて、できる範囲で前向きなものにしたいと思えるようになった。