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またしても自分にとってはピンポイントだったという気がする。
承認の問題系にどうしても囚われてしまっているみたい。何とかして抜け出したい。
いくつか自分としてのメモ。
・親和的承認/集団的承認/一般的他者の承認の区別
無条件の親和的承認は得難く、集団的承認は得やすいが偏狭な視野を導く危険性があり、一般的他者の承認は手応えがない(がゆえに誤って信じこんでしまうこともある)。よって三者のバランスを取ることが必要。
・母親による親和的承認が過剰だと、親和的承認をあきらめることができず、他の承認を求めることに進めない。親にすがるか、別の人を見つけるだけで同型を繰り返す。
・逆に希薄だと、他の承認を得るために過剰な努力をするようになってしまう。
・自己承認が希薄であるからこそ、他者承認を強く求めるようになる。他者承認を求める行為が挫折することによってヤケになりある種の気分屋が生まれる。
・時代全体の流れとしては、自由の観念が生まれる→自由と社会的規範の葛藤が生じる→(大きな物語の崩壊)→自由と他者承認の葛藤→(未来)努力や道徳といった一般的他者の道徳の普遍性を紐帯にして結ぶ?
・当為に気づいたら、当為を明確にして、その原因を突き止める。その当為を取り除いた欲望に気付く。ともかく無意識に目を向けるのが大事。
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承認への欲求がかつてないほどに高まっている。そんな時代である。しかも人々が欲する承認は「見知らぬ他者」からのものではなく「身近な他者」によるものであると著者は説く。自らの生きる意味・存在価値を常に希求する人間の根底には、無意識にせよ常に誰かに認められたいという潜在的な欲望が横たわっている。身近な他者からの「親和的承認」を得ることに奔走する人々の背後には、近代社会の到来における価値観の多様化によって「自由への欲望」と「承認への欲望」の両立に苦しんできた近代人の姿がある。最終的には親和的承認へと傾斜していく欲求を自覚し、「自己了解」と「一般的他者の視点」の獲得に能動的に取り組むことでこの「自由と承認の葛藤」の問題を解消できると著者は言う。個人的には「一般的他者の視点」の獲得するためのヒントとして著者が挙げているのが道徳的行為であり、それのみを原点として果たして肥大化した承認不安を乗り越えられるのかは疑問に感じたけれど、人間の根源が結局承認への欲求にあるということを多面的にあるいは経時的に考察し、その本質を掘り下げることができるという意味で非常に参考になる一冊でした。
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認められたいという気持ちに振り回されてる人は多いけど、気持ちの大きさに負けて目の前のことがきちんと分析できてないからなのでは?と思う今日この頃。
承認欲求の強さから、冷静になれない人におすすめ。
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新書だなといった感じです。
なので展開にいちいち突っ込んでいたらキリがないのは仕様ですが、ところどころ著者の着想に刺激を受けることもあった
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<メモ>
・ 身近な人間だけに認められたい若者
・ 今は社会の価値観が多様化してきているため、何をしたら認められるかわからなくなっている…コミュ力重視の社会
不可欠な「他者」の存在
1.親和的承認・・・ありのままの私、無条件の愛 ex.家族・友人・恋人
存在そのものへの承認、自分ではどうにもならない(片思いなど)
2.集団的承認・・・集団への貢献、知識・技能
集団の人間が評価する行為、求められる役割を果たすなど努力で手 に入れられる ex.学校・会社
3.一般的承認・・・見知らぬ大勢の人
献身的な人も無意識に「一般的他者の視点」から内省している
家族で疎外されている人が仕事を頑張ったり、仕事がうまくいかない人が恋人に甘えたり。
自由への欲望と承認への欲望の葛藤
自由を捨てれば自己不全感に陥り、自由に生きても承認を捨てれば生きる意味を見失ってしまう
↓
両立するためには「自己理解」と「一般的他者の視点」が必要。
自由とは「自己決定による納得」
他者への同調を辞め、まず自分がどうしたいか考える。納得のいく自己決定のためには、自分をよく知る必要がある。
「~ねばならない」「~すべきだ」という義務感で自己不全感が生場合、そこに承認不安はないか、親への承認不安に基づく自己ルールが存在しないか分析する必要がある。
一般的他者は、利害関係のない中立的な他者。身近な人間だけでなく、様々な価値観を持った他者を理解する。「見知らぬ他者」からの承認を確信して自分の行動に自信を持つ。
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家族や仲間間において、自分の考えや感情を過度に抑制し、本当の自分を偽ってみんなに同調し無理やりに承認を維持する空虚な承認ゲーム。それには必ず自己不全感がつきまとう。ありのままの自分を受け入れてくれる安息の居場所はない。若い世代にこの現象が多いとのこと。承認の対象を見知らぬ他者に広げようとしない。そのとおりだった。
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【「空虚な承認ゲーム」からの脱出】
承認欲求の話です。
心理学的なことばかり書かれているかと思っていたので、こんなにわかりやすいとは驚きました。
社会学の知識が少しある方はさらにわかりやすく感じるかも知れません。
昔は特定の価値観が共有されていたので、承認欲求は割りと低めだったらしいのですが、近代社会は宗教的な価値観の絶対性はゆらぐし、交通が便利になってしまって海外からの考え方もたくさん手に入るようになってしまって、何を信じればいいのか分からないと言った状況らしいんです。
だから、新型うつ病などと呼ばれる新しい症状が出たりすることから顕著なように承認不安の時代となってしまって、他人の承認を得ることに必死になってしまっている。
といった感じの内容です。
僕は浅野いにおさんの書いた『ソラニン』で承認欲求の例を解説しているところが一番印象に残りました。
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「認められたい」の正体は、人間としての本能。自己価値への欲望。と第二章で結論付け、最終章である第五章でそこからの脱出方法を考察している。二章で結論付けられたことについて、三章でそうなる過程を詳しく説明。
個々の価値観の多様化によって、どうしたら認められるのか、つまり「認められるためには何をしたらいいのか」が不明瞭になり、その結果承認不安が強くなる、というのが現代。
もともとは親和的欲求としての親の承認を得ようとし、それが学童期から集団的欲求としての友人の承認、壮年期からは一般的承認への欲求と変わっていく。その過程で「一般的他者の視点」も成熟していく。それぞれの欲求は互いに補完し合う関係性にある。「一般的他者の視点」が成熟しないと、承認不安からの脱却が難しくなる。
自分の決定に納得するように考えてから行動することで、自分の意思で決定したことになり、自由の意識は保たれる。
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承認不安からの脱出について著書は、場当たり的なコミュニケーション力の向上ではなく根本的な解決策を提示している。
自己了解と一般的他者の視点だ。
自己了解によって自分自身の欲望に気づくことが出来れば、その欲望からかけ離れた行動をやめるにせよ、欲望を抑えて行動するにせよ、自分なりに吟味したうえで納得のできる判断(自己判断)をすることができる。自己決定による納得感は自由の最も重要な本質契機。
一般的他者の視点はアダム・スミスの言う公平な胸中の観察者にほぼ相当する。
これは経験により培われる。他の考え方を持った人々にも耳を傾け、ネットや書籍を通じて様々な価値観を理解し、何故そう考えるようになるのかその理由、動機を考えること。その繰り返しが、一般的他者の視点による判断力を培う。
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タイトルのインパクトで購入。
How to本的な内容なのかと思いきや、先行研究の意味や成果を確認しつつ、結構根本的なところから議論していて、しっかりした内容。
しかもわかりやすい!
認識論や現象学の本はほかにもたくさんありますが、例えで出てくる話が身近で、一番解りやすかったです。
他の方も書かれていましたが、ソラニンの話しは印象に残っています。
ブクログでの評価はあんまり高くないようですが、凄くいい本だと思います。
竹山さんの他の本も読んで見たいです。
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根拠を示さずに、「今は◯◯な時代である」という風に言い切る表現が目立つように感じて冒頭から違和感をもち、読む気を失くした。
でも買ったので一応最後まで流し読み…。
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面白かった。
現代社会は、価値観の多様化に伴い共通の価値観が揺らいでいる。そのため社会承認よりも身近な人の承認を重要視するようになり、承認を得る可能性が狭まり承認不安に満ちてしまっている。見知らぬ他者を排除するという危険にある。
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「自らを縛ることによって認められるとは。生き辛い時代だなぁ…」
人から「認められる」ということは、自分が存在する意味を見出し、この世に生きている証ともなる。人の「認められたい」という気持ちの正体を、乳幼児の母親との関係から社会の価値観の変化、さらには精神病理学にまで亘って考察する。
感謝されたり、共感されたり、褒められたり、人から認められるのは嬉しい。利害関係がない「人に認められるということ」=「承認」は、決してお金では買えず自分が望んでも容易に手には入らないもの。だからこそ得がたい価値がある。
かつて宗教や道徳観など皆が大きな価値観を共有していた時代に比べ、価値観が多様化している現代はどうすれば人から認められ、嫌われずにいられるか常に周囲を気にせずにいられない「承認不安」にある人が多いのだという。
著者によれば「承認」のステージには家族や恋人、友人など身近な人々の内での「親和的承認」、職場や学校、コミュニティーなど自分が所属するグループの中での「集団的承認」、世間や社会など不特定多数の中での「一般的承認」の3段階がある。
自分に置き換えて考えてみると、家族や友人などは、自分の欠点なども含めてあるがままの自分、ある意味無条件で「居てくれるだけでいい」というレベルなので、家族関係によほど大きな問題を抱えるのではない限り不安には陥りにくい。
「一般的承認」とは例えば「困っている年配者を助けた」など多くの人が「それは善いこと」だと認める行いが新聞などに取り上げられるなどのケース。自分の行いが肯定されれば嬉しいし、新聞に取り上げられることによって「社会に認められた」と考えることは可能だがそれが生きる張り合いや意味につながるかと言えば疑問符がつく。
では「集団的承認」はどうだろう。会社で仕事がうまくいったり、自分の行動によって「助けられた」と上司や同僚に褒められたり感謝されたりしたらそれは実感として嬉しいし、またがんばろう!という気持ちになるに違いない。
つまり三つの「認められたい」ステージのうち自分の生きている意味を最も実感できるのが「集団的承認」を得たときであり逆にここでの承認が得られないとき、人はしばしば「自分が世界から見放されたような」承認不安を感じることになる。
さらにここでやっかいなのは、一つの集団やグループ内にはその中でのみ共有される価値観が存在し、そこでの承認を得ようとすると自分の本来の気持ちや考えに反して共感してしまったり迎合してしまったりということが起こり、そこに「自由と承認との葛藤」が生じる。しかもこうしたグループ内の価値観はそのリーダーや指導者の交代によって変化するものでもあるため、つねに周囲の空気を読み、どうすれば周りの人から認められるか、嫌われないですむか配慮しないではいられないという。
かつてのように時代や国レベルの宗教や思想の縛りがなく自由であるはずの現代においても「私たちは、周囲の人間に同調し、自由を抑制して生きている。そうしなければ他者の承認を得ることは難しい、と感じているから���。」と著者は言う。本書ではそうした「認められたい」気持ちの正体を探り、最終的に自分の「認められたい」欲求をどのように受け止めて承認不安から脱出するかが書かれていく。
例えば集団的承認に不安がある場合なら、まずそこでの自分の本当の気持ちと向き合ってみること。決して自己満足ということではないが、たとえそのグループ内で他者の承認がえられなくても、精一杯やってみて自分なりに納得がいったなら、より一般的な承認や別の価値観とも照らしあわせてみることで、それは自身の価値として自己承認し、むやみに他者の承認を求めて杞憂しないでいられるようなトレーニングが必要になるのかもしれない。
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自己承認と近い人からの承認の話。価値観の相対化とイメージとしての他者からの正しさの認識が情報化とともにわけがわからなくなる。どうすればいいのかなあ。引用が多くて話についていくのが大変。
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親和的承認、集団的承認、一般的承認の3つに承認を分け、
人間の成長段階における各省尾人の役割について論じていた。
また、近年の「空虚な承認ゲーム」の原因・本質についても論じている。
共通の価値観の崩壊、がキー。
共通の価値観が崩壊した今だからこそ、昔は両立できなかった「自由」と「承認」の両立を目指すことが可能になったと言っている。
それにより、どうすれば人に認められるのか、何が世間様から見て正しい事なのか、ということを画一的に示すことが難しい生きづらい現代社会に対し、光のありかを示している。