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表題作「カブールの園」と「半地下」の2篇。
ともに在アメリカ日系人の言語や民族における葛藤を描く。
登場人物が80年代アメリカで差別や言語の違和感に苦しみ、後年とにかく精神疾患に陥る。ゲームや写真でしか知らないカリフォルニアやニューヨークではあったが、現地の空気が感じられるような情景描写に心理描写がリズミカルに重なり、心地いい。
色彩は現代的でクールだ。
民族意識や言語の裏では、「虚構をいかに生きるか」「自分の生きる現実はどこか」といった現代的なテーマもある。
両作とも幕切れが唐突で、もう少し先を読みたい気もする。
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世界の警察であったアメリカは過渡期に来ている。
トランプが支持されたのはその過渡期を認めず復権を目指しているからだと。
マイノリティである日系人は気にもされてないし、
アメリカンドリームも簡単じゃない。
カウントされてないおまめ(半人前)である日系人の光はどこにあるのか。
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SFを期待して読んだら村上春樹のようだった。なんというかカタルシスがなく淡々と物語が進む。ちょっと物足りない。
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宮内悠介の純文学とはどんなものか、と読み始めたらなんだかSFチックな設定もあって、やっぱりな、と思ってみたり、でも文章の肌触りはあくまでも純文学で、これはどのカテゴリーに入れるべきなのだろう、と考えたりした。しかし結論としては、そのどちらでもいい、ということになるのではないだろうか。
強いて言うなら、「マイノリティ文学」とでも呼ぶのだろうか。
収録されている2編は、どちらも「マイノリティ」を主題としている。血や人種としてのマイノリティ、言語や国籍としてのマイノリティ。世代として、表現として、文化として。主人公としての「わたし」と「僕」を、様々なマイノリティとして捉えている。
「カブールの園」の主人公の「わたし」は、web上でユーザーが音楽を自由に「混ぜ合わせる」システムを開発する企業に勤めていて、それが成功の糸口をつかむところで物語が締め括られる。
「半地下」の主人公の「僕」は、自分の内面を分かつ二つの言語を、自分の中で「混ぜ合わせる」ことに腐心している。
ある集団からマジョリティをより分けた後に残るものが「マイノリティ」だと解釈するのが簡単なように思えるけれど、
この「混ぜ合わせる」ということこそが、「マイノリティ」の本質なんじゃないだろうか。
二つの音楽(例えばイタリアのチェリストとパレスチナのDJ)を混ぜ合わせて、新しい音楽を作ること。
二つの言語(例えば日本語と英語)を混ぜ合わせて、新しい言語を作ること。
そういった、既存の何かが混ぜ合わさって作られた新しいジャンルこそが、「マイノリティ」と呼ばれるカテゴリなのではないだろうか。
何か新しいものを見付けると、人はとにかくそれをカテゴライズしたがる。そして分かった気になる。「分かる」とは「分ける」と同義だから。
けれど、そうやって「分けよう」とすることが無意味であり、無価値であると、
存在によって示そうとする文学なのだと感じた。
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話の中にアフガニスタンは出てきません。題名の由来は、話の中で語られます。三島由紀夫賞受賞、芥川賞候補作。著者は、SFから純文学までレパートリーが広い。
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「VRエレメンタリー」なるSFチックなガジェットが出てきたけど、全然SFじゃなかった。人種差別をただのイジメと思いたがる主人公の気持ちをスルーしたくはないけど、いかんせん、物語としては薄かった…
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日系アメリカ移民の生き様を主題にした中編2編を収録。今までの宮内作品とはちょっと違う純文学テイスト。
ちょっと俺にはなじまなかったかな、読めないことはないが、伝わってくるものが分かりにくく、読んでいても感情が動かなかったのが残念。
決して駄作ではないと思うので、趣味趣向の違いなんだろうなぁ。
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旅先のホーチミンシティで読んだ。
自分のいる場所と本の場所、グルグル回って、
深く読めた気がした。
自分の国籍とアイデンティティと、人生の、ちょっと切ない話。
残るのは希望。
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表題作は,アメリカで生きる日系人の女性が,母親(いわゆる毒親)との確執を克服する話.
もう一編の「半地下」はアメリカで孤児同然で生きる姉と弟の生活を弟の視点で描いた話.こちらはちょっと「青い」気がした.
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私の人生において、今日まで、日系アメリカ人のことを考えたことなんか、全くありませんでした。
「カブールの園」とは、日系三世のレイ(玲)が受けているVR治療を、ボーイフレンドのジョンが皮肉って名付けたもの。
カブールはアフガニスタンの首都で、イスラム教徒は豚を食べないので、そこの動物園には、豚がいる。レイは、小学校で豚の鳴き声をさせられていたのです。ジョンはVR治療に乗り気でなく、きみはきみのままでいいと言うが、母国人に、日系人の苦しみは分かるまい。まして、レイは、彼女の母と祖母を含めた三世代に続く苦しみを継承しており、それを如実に表しているのが、祖母や母が世話になったミヤケ氏(日系一世)の息子から、レイに託された「伝承のない文芸」です。これをレイは、ささやかな抵抗として翻訳します。その一部が以下になります。
「親の文字がそのまま子の文字にならないという寂寥感は、自らの國土において、母國語の表現に生きるものには感じられない事実であって、異國における日本の文芸活動は、伝承のない文芸といえるのである。」
これを読むと、正に、ジョンがレイを励ました内容に当てはまり、また、祖母の日本語の教育から逃げたレイの母の事実、母のために母の望む自分でいようと、自らを偽り、結果、母から逃げ出したレイにも該当し、自分の無力さを思い知らされます。これが三世代に渡る苦しみなのですが、ここで、思わぬ進展もあります。
仕事仲間の気遣いで長期休暇を取ったレイは、当時、祖父母が収用されていた「マンザナー日系人収容所跡」を訪れた後に、ロサンゼルスに住む母の家に行き、そこの冷蔵庫に貼ってある詩を見つけます。
加川文一の「鉄柵」で、内容の一部が
「汝の敵を見失ふことなかれ
汝をも失ふことなかれ」です。
なぜ、日本語嫌いだった母が、日系人の詩をと思うのですが、内容を見ると、やはり日系人としての意識を持っていたからこその、「汝をも失うことなかれ」だと思うのです。これが、レイの心にも響き、このあと、母と娘は和解します。
母は、日本語嫌いというよりは、アメリカの何にでもなれる風土に憧れて、大いなる力に誘導されていたことに、祖母が生きている間に気付けなかった事を、悔やみ、レイは、小学校時代の虐めを、「人種差別」では決してないと断言したことが、最大の偽りだったことを実感します。それぞれをお互いの会話で確認しての和解となるのですが、レイは、苦しかったのだろうなと思います。想像になりますが、生まれてくるときに、家族のルーツは自ら決められず、既に決定されている。そのルーツが差別をされるような存在、それが祖母や母も含めた日系人全てのように認めたくはなかったのではないでしょうか。そう思うくらいなら、まだ、虐めと解釈したほうが辛くないという考え方が逆に私には、グサッときました。
また、レイが物語の中で主題としていたのが、
「わたしたちの世代の最良の精神とは?」でした。
それの答えは、この先も分からないが、誰かにそれは宿っている。レイ自身は諦念を受け止め、ありうべき世代の最良の精神を守り通すこと。そのために、今の仕事で笑み���絶やさない。カブールの園が、VR治療から仕事に変わったことです。大学の友人達で始めた仕事は、日系人として要求されているわけではないけれど、レイは気にせず、楽しんで出来ているように、見えました。
この作品を改めて振り返ると、まず、どこまでがフィクションなのかと思うような緻密な構成に感嘆しました。取材力がすごいのか、知識量が豊富なのか。
とりあえず、VR治療はフィクションだと分かりましたが、他は、ドキュメントを読んでいるような、冷静で淡々としながらも、濃密な世界観を打ち出しています。加川文一や南加文芸は調べたら、本当に実在していましたし。そのリアルな世界での、日系三世代に続く苦しみを、変に感傷的にするのでなく、ありのままに書かれているのが、むしろ、痛々しく、じわじわと感動が内から湧いてくるのを、止められませんでした。
表題作の他に、もうひとつ中編の「半地下」が収録されています。こちらは、父の借金のために、日本からニューヨークに連れてこられた、祐也の青春物語と姉との思い出話になっています。祐也はアメリカに馴染みますが、父が行方不明になり、姉だけが幼い頃の頼りだった祐也の記憶が、十数年後の姉の死をきっかけに思い起こされます。泣きじゃくる祐也を見て、それが私には、日本人としての意識を取り戻したかのように見えました。ちなみに、タイトルの意味は、祐也や姉にとって、英語と日本語は決して両立せず、常にそのどちらかだけあった様が、半分だけ地上(意識上)に現れているように捉えたのだろうと解釈しています。
それとも、日本に帰国してからの、睡眠中に英語を無意識にしゃべってしまう発作を表しているのでしょうか? このとき、祐也は既に英語を話せなくなっているのに。
特に、表題作「カブールの園」が素晴らしかった。
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中編2編
「半地下」が良かった.壮絶でありながら当たり前の学校生活の中に溶け込み,あちこちが痛いと言う感覚に包まれながら読み終わった.子供時代のヒリヒリするような友情(?)が印象的だ.父親は逃げたのか死んだのかがわからないのが気になる.そして,姉の献身ともいえる生き方が悲しかった.
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思っていた内容と違っていた。
アメリカの社会問題が描写されている作品で、考えさせられるけど、少し難しいというよりは、文章表現自体が自分と合わず、全く頭に入って来なかった。飛ばしながらさっと読む程度になってしまいました。