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【SFの鬼才が描く、アメリカの現在】サンフランシスコで暮らす移民三世のレイは、旅の途中にかつて日系人収容所であった博物館を訪れる。日本と世界のリアルがここに!
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『カブールの園』は日系移民収容所について書かれていたので興味があって読んでいて、二編目の『半地下』もアメリカが舞台だがショービジネス化したアメリカプロレスについて書かれているが、言語とアイデンティティを巡る話。プロレス好きな人たちは読んだらどう感じるのかな。
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ほぼ米国を舞台にした日本人の物語2篇。アメリカンドリームを掴める国というイメージがまだ残っている米国。ただし、そこに住む日本人は果たして夢を追えたのだろうか。米国での日本人が差別を受け、虐げられ、それでも日本人であることから逃げられなくて、どうにかなってしまう。「カブールの園」を読んだ時点では日系人の過酷さが伝わってきた。そして「半地下」を読んで、“過酷”という言葉で表現するのが失礼に思うくらい何とも言えない悲しさに襲われた。
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なんか読みづらい
脈絡がない
オチがない
時間軸がグラグラ
死んだというくだりの後にその人物が生きてたり
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著者初読み。マイノリティ、言語関連、大都会に生きる若者の煌びやかな面と生きにくさなど現在の問題を映し出されているかのような印象。日系人から見たアメリカに対する視点、マイノリティだからこそ感じる心理描写などが上手く表現されている。日系人強制収容の歴史的背景から紐解く、世代の精神とは何かを考え出したり、一枚の詩から見えてくる、胸の内などからも日米の見えない繊細なものが感じられる。ニューヨークに生きる少年少女の心情などが描かれている半地下の物語はドラッグの怖さなどをレーガン氏らが伝える文が印象に残る。
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日系移民として虐げられたトラウマを抱えながら生きる主人公。母との確執。その母もまた祖母との確執を抱えていた。移民の真実。表現。生きることの意味。生き方の意味。いろいろと考えさせられる作品でした。
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端的な無駄のない単語と文章で、世界を切り取って貼り合わせて、再構築していこうとするような、そこにある、というだけで苦しくなる小説。
「カブールの園」も「半地下」も、言葉と思考と伝達の「血のように濃い」関係性について、2つの言語を行き交う主人公の視点で描かれていて、これが「小説(言葉と思考と伝達の業を既に内包してるもの)」という形で書かれていることが、あまりにすごいことだと思う。
カブールの園
アメリカ日系移民というマイノリティとして、母と子というどこにでもある歪んだ関係を持つ者として、過去と現在をどう受け止めて、今私のいる「カブールの園」をどう生きていくのか。
過去の人が残した「伝承のない文芸」に導かれ、音楽の「クレジットを継承」しながら「ミキシングを再発明」するアプリケーション(ソフトウェア?)を未来に向かって作り出していく主人公。
最後の数行はちょっと拍子抜けな気がするけど、半地下より分かりやすくて、抜け感があって、少し力を抜いて読める。
半地下
テーマからはあまり感じられないけどないけど、小説の構造がSF的な気がする。「フィクション」と「この世」の間で生きること、というお話のテーマと、小説の構成自体が同じ形をとっている。日本語と英語、プロレスと姉の死、ドラッグと友人の死、ネットと現実、好きな人との時間と彼女が暮らす世界、私小説と小説などなど、それらの要素が「半地下」という「戦場」で組んず解れつ戦っていて、その戦い最中の記録のような臨場感が苦しい。
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太平洋戦争の時の米国での日系人の扱いに関する話に、また出会ってしまった。
歴史が繰り返さなければ良いんだけど、、
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『文藝春秋』で先の芥川賞の詮衡講評を読んだ。「しんせかい」が受賞作のわりに評価がパッとしないのと較べ、本作の講評が悪くない印象を受けた。数人の詮衡委員が受賞作より文字数を使って本作について語っている。ダメとした講評の中にも、例えば小川洋子は、「実に巧み」、「安定した作品」と言い(ただその上手さが、私には弱さに感じられ、と締めくくるが)、うるさ型の村上龍は、受賞作を「つまらない」とし、本作を”「つまらない」とは思わなかった”と評す(村上は候補5作品の内、この2作にしか言及もしていない)。
そんなこんなで、今回の芥川賞に関しては俄然、受賞作よりこちらを読みたいと思った。
米国のIT企業で働く日系3世の女性プログラマーが主人公。日系人として差別(いじめ?)に遭った子供時代、母親との確執、多民族国家の中で生きながら、自身のルーツについて考察していく。
1月に上梓されたが、多民族、マイノリティ、移民排斥などアメリカで現政権が誕生してからの熱いトピックスを含むだけにタイミングや良し。当人も日経の書評記事(3/4付)の中で「期せずして時宜を得てしまい、複雑な心境」と語っている。その記事の中、本書のテーマとしてはこうある。
「多民族共生の夢を抱き続ける主人公の思いは、自分がこの小説を書いた動機でもある」
IT企業で働く主人公は国境や言語を越えて人々が繋がることが出来る音楽プログラムを開発する。それが多民族共生の夢への処方箋というのがオジサンにはちょっとピンと来ないところ。仮想現実での解決というか、現実逃避というか、その方向性はまだ大きな理想(幻想?)と感じる程度にしか理解できない。勿論、本作品の言いたい結論はそこではないが。
本作以前はSFをものしていたらしい著者(帯の煽りも”SF界の異才による”とある)。音楽ソフトの他、主人公が受けている診療もVRをを駆使したもので面白い。幼少時代に問題がある患者の治療として、卒業アルバムなどから情報を取り込み、インタビューとAIで不足を補完し、VRで本物そっくりの小学校を再現し、従来の認知行動療法を組み合わせ治療を行うというもの。それが既に実用化段階にあるのかは知らないけど、近未来には”あり得る”と思わせる治療法だなあ。IT技術を駆使した近未来的なことは面白く書いてある。
そんな幼少期のトラウマを持つ主人公を通し読者に共感して欲しいところは恐らくマイノリティゆえの体験、心理、乗り越えなければいけない試練。そうしたものを日々の暮らしと、休暇で訪れることになったマンザナー強制収容所跡(大戦時の日系人が強制収容された場所)での感慨を主人公と共に体験してもらうことだろうか。作者の略歴などから見ると子供時代の差別などは実体験かもしれない。
日本は国としてあの大国に楯突くようなことはしないだろうけど、移民マイノリティとして戦時下は強制収容所送りなった歴史、現代においてもアジア人として少なからずの差別が存在し続けることは、しっかり覚えておく必要がある。
短い作品ながらも、こうした過去の歴史、知りえなかった現地で暮らす日系の人(子供たち)の心理など、面白い要素がちりばめられた作品だった。
マイノリティゆえに脅かされるアイデンティティではあるが、そうして常に意識させられることで確固たるものにもなっていくのかもと、民族意識にかんしてはほとんどぬるま湯ゆでガエル状態の我が国に暮らしていると思ってしまう。
乗り越えなければならないハードルは高いけど、またそれを逆手に取ってしたたかに生きてもいける面も見せる。音楽プログラムを売り込むフェアでのプレゼンテーションは日系人である主人公と黒人同僚が受け持つ。そんな彼らがこの社会に溶け込んでいる姿を見せ、”リベラルな企業風土をアピール”するというのだ。
そのために見た目は違っても、”アメリカ人の目をしている”ことが大事だとその同僚は言う。こうした表現は想像では書けないのではないか。実際にそういう体験をしたか、現場にいてこその表現だと感じた。
いずれにせよ、多民族国家で生き抜くのは、やはり大変そうだ。
確かに核となるような、ズシリと胸にくる訴えはなかったが、今のあの国のマイノリティの現状や、移民政策に思いを馳せるのに手頃な短編という気はする。瑞々しさもあって、芥川賞(候補作)らしい作品なんじゃないかな。
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アメリカの日系移民収容所のことが書いてあるものを初めて読んだ。日本人でなく日系人。新しい視点を得た。
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宮内悠介にはこういう文体と感傷がよく似合う。むしろこうでない宮内悠介には何の魅力も感じない。
だがしかし、この話は面白くもなんともない。
「カブールの園」と「半地下」の2話を収録。
どちらもひどくつまらない。
独りよがりが過ぎる。
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とある漫画に出られてて、読んだことないなあ、と少し興味を持ったところで、三島賞受賞のニュース。
こちらは芥川賞候補でしたか。もともとはSF作家さんで、直木賞候補に挙がった作品もある、と。オモチロイ。
文体や雰囲気は好きなので、SFの方を読んでみたい。
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アメリカの日系人を描いた小説と聞き、期待して読んだのだが、日系人の苦悩というより、心によりどころを持たない現代人の苦悩という感じ。アメリカ日系人の苦悩なら『ノーノーボーイ』を読んだ方がよくわかる。
子どもの頃は、人種差別をもとにいじめを受け、親ともうまくやれず、大人になってIT関係で成功し、ヴィーガンの恋人ができても心の隙間は埋まらないという話は、人種差別を別にすれば、普遍的な物語。じゃあ共感できるかというと、さほどでもないんだな。
何故かと考えてみると、全体にカッコつけた感じがあるからではないか、と思う。主人公の語り方、生き方が、いかにも苦悩してますよ、私は、という印象。文章もまた。「人の記憶は、時間をかけてネットワークから海に変わる。喪失という一抹の救いとともに。」(P35)なんて文章は、カッコつけててなおかつ浅い、結局カッコ悪いと感じる。
この感想は「半地下」でも同じ。こっちは「俺ってワルでしょ」的な。昔の村上龍みたい。
漫画のような、ストレートすぎる力みある文章を書く原田マハなんかは、まあエンタメだからいいかと思うのだが、純文学(って今は死語?)ならば、もう少し表現に工夫が必要では?
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アメリカで暮らす日系3世の女性の苦悩を描いた表題作と、幼くしてアメリカに渡った少年が主人公の2編を収録。
芥川賞候補となった「カブールの園」は、幼い頃のいじめのトラウマから抜け出せない女性が主人公。原因は日系人であることでの差別だが、根底には喜怒哀楽の激しい支配的な母親との確執が大きい。
設定は異なるが、人種も言語も異なるマイノリティの苦悩を描いた岩城ケイの『さようならオレンジ』を思い出し、そちらの力強さのほうが印象に残りそう。
初めての作家だったが、SF大賞や直木賞候補にもなっていたことを後から知った。今後はどの路線でいくのかな。
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世代が被る所為もあり、宮内さんの作品は共感できる部分が毎度多い気がします。
こちらはSF要素が無い、宮内作品としてはさらりと読めるもの2本立ての一冊。相変わらず静謐でクールな文章でありながら、最後の一文で印象を増す作品です。
「カブールの園」より「半地下」の方が割と好きでした。日本に帰って来てからのアレやコレも書けそうな雰囲気もあるし。姉さんカッコいい。
「ワックスをかける」「ワックスを取る」でどうしても笑ってしまう…。