投稿元:
レビューを見る
なんなのよ、このラスト。馬鹿馬鹿しい。笑
男の人と女の人じゃあ、抱く抱かれるの意味が少し違うんだろうな、とちょっとだけ思ったり。
でもやっぱり、凸と凹があれば、そりゃあ、やることは1つなんだろうな。それでいいんだよね。
それにしても本当にラストのくだらなさと、哀しさに、笑えてしまった。
スブやん、あなたはそれで本当に幸せだったの?
投稿元:
レビューを見る
又吉さんの第二図書係補佐を読んで手に取った本。
濃厚な関西弁で、濃厚なエロ表現は分かりにくい部分もあったけど、粘つきそうなほど濃い人間味を醸し出すには効果覿面だったし、そうでありながらドロドロ汚くなり過ぎないのはテンポの良さゆえなんだろう。
エロを扱う職業についての本はいくつか読んだことあるけど、さらなる興味をそそる1冊になった。
ヒューマニズムと芸術、エロでどっちが強いか、どっちなんだろう。
投稿元:
レビューを見る
エロに情熱をかける男たちの滑稽さに呆れつつも憎めなくて、ありのままの人間臭さが魅力的な小説。時代と共にコンテンツは多少変わっても、欲するエロのあり方や欲望はほとんど変わらないんだなぁと思うと情けないようなほんのり愛しいような気持ちになる。また、今回はエロを提供するエロ事師の男たちの話だったので、次は働く女側の物語が読みたくなりました。そうすると見え方が変わるだろうなぁと思う。
投稿元:
レビューを見る
日活映画で小沢昭一と坂本スミ子で映画化された紹介をテレビでみて内容に興味を持ったのが中3くらいの時。
なんとなしに当時の風俗事件エロ映画っぽかったので行ってみようかと思いそのままスルー。高校2年時に野坂昭如原作って本屋に展示されてた文庫本を購入。当時、体制批判家ってイメージでイレブンピーエムによく出演されてて、タレントとしての好感も持ってた。ちなみに似たようなキャラで小中陽太郎がいたがこっちはヘドが出るほどキライだった。題名からくる三流エロ小説とは違って好きだった梶山季之っぽい内容ではないかと購入した。読後に唸った。スブやんに共感を持つというよりオレもこんなになりたいって今後の将来展望の選択肢に入れちゃった(上位に)。ヒモみたいな生活しながら片手間に理想のドール開発なんて最高。文体がまた独特で「雨の中・・・は・・・だった」ってハードボイルド風の文体が後に私の作文に大いに影響を与えた。ピカレスクロマンって小悪党がゾロゾロでてきて悪さをするから好き。少なくとも、荒野をめざす青年やモスクワにさよならしたり重いタビを背負ったり同棲して悩んだりするようなグズラよりよっぽどカッコイイ。最後にボッキするシーンは涙も出た(ウソ)。偽善家でない人柄がっていう評価をイチバン嫌う人だろう。偽善家でもありアウトローであり反体制であり云々でほめられるのなんてクソクラエって言うはず。同時期にホタルの墓も見たが生涯絶対に再読しない本のヒトツになり以後この人の作品読むのを止めた。でも後にどこか雑誌の対談で、在りもしない妹を作ってフィクションして直木賞をもらったって述べてたのを見て一層好きになる。「しとど雨にぬれて・・・」のイントロや「リャンピ~ン・・・リャンゾー・・・」って仲間を呼ぶくだり等の印象深い表現が今でも字自体が脳にうかぶ。後年にビデオ屋で映画を観た後それから野坂昭如と小沢昭一がかぶるようになってしまった。またまた後年小沢昭一氏が弊店にお買い物立ち寄られた際、このひと絶対モテル(女くどいたらベッドイン確立100%)人だと感じた。色っぽいのだ。余談の余談だが坂本さんみたいな女性(トランジスタグラマー)食い物と男と欲望にだらしない女性は今でも私の一番の好み。おそらく野坂も坂本タイプが好みのはず。野坂の名文句「プレイボーイやパンチのグラビアにでる別嬪タレントヌードより大衆食堂で注文聞きに来るオバサンの裸連想したほうが絶対に興奮する」って名文100選のトップに位置する。先日、この人の訃報はショックではあった。私の中の青春がまた一個消えた。
投稿元:
レビューを見る
自分が中学生くらいの頃には既に文庫化され、興味はもちろんあった訳だが、これまで未読。なんとなくこのようなテーマは自分には難しく、敷居が高いもののように思われたからだ。
読んでみて、やはりこの歳になってから読んでよかったと思った。若いころに読んでいたら、おそらく本書の価値の半分も理解できなかっただろううと思うのだ。投獄を覚悟してまでもエロ事を追求する主人公の矜持というものに嫉妬さえ感じるくらいだ。
野坂氏といえば、田中角栄に対抗して新潟三区から立候補して、雪の中でビールケースの上に立って街頭演説している映像を思い出す。もうこういう人は出ないのだろうか。
投稿元:
レビューを見る
1966年の作品。エロを仕事にしている男たちの話。
又吉さんがおススメしていることもあり、読んでみました。
関西弁と独特の文体がいい味が出してるけど、正直、読みづらい。
ネットもない、性が解放されていない時代、エロを様々な方法で売ろうと駆使している姿が滑稽であり、貪欲であり、一生懸命であり、なんだか物哀しい感じもしました。
投稿元:
レビューを見る
又吉が紹介していたので、Amazonで買ってみました。
男性の欲望が渦巻くお話。
男っていつの時代も性に対して貪欲だな、といった感じです。
古い文章ということと、関西弁ということで、僕にはとても読みにくかったです。
投稿元:
レビューを見る
面白かった。解説は澁澤龍彦。独特の雰囲気で関西を舞台にエロ事師たちを描く。独白ではないけど、会話とか内省的な感じがメインで描かれている。これで一回読み終えた。面白かったけどこれなんやろう? という感じもする。再度読むかはわからない。もう少し年取ってから読むと違う気もする。作者が33歳の時にこれを発表したわけだけど随分、おっさんくさい作品なんですよね。四十半ばから五十過ぎくらいで読むとまた違うのかもしれない。不思議な感じのする面白い作品だった。
投稿元:
レビューを見る
昔の文体なのか関西弁なのか、読みにくいかなと思ったけど、飽きもせず読了。これ、自分が生まれる前に書かれた話か。面白かった。エロに一生懸命な男たちと、仕事に一生懸命な男たち。最後は、さすがにこの本の登場人物と一緒に、笑うてしもた(笑)
投稿元:
レビューを見る
あなたが作家を目指しているとしましょう。
読んだ人が感動するような作品が書きたい―。
立派な動機です。
テーマも明確。
筋立ても固まりました。
もちろん、力量は十分にあります。
さあ、では、執筆に取り掛かろう。
ちょっと待ってください。
その前に、本書「エロ事師たち」を読みましょう。
打ちのめされます。
登場人物は、ブルーフィルム(ポルノ映画)の制作に勤しむ裏社会の男たち。
一筋縄ではいかない、一癖も二癖も三癖もある男ばかりです。
より過激で刺激的な作品を作ろうと、男たちは官憲の目をかいくぐりながら暗躍します。
たしかにエロい。
グロテスクでもあります。
でも、文学的な香気が確かに漂っている。
野坂33歳のデビュー作。
脱帽するほかありません。
昭和48年生まれの自分が物心ついた時には、野坂は既に「テレビの人」でした。
それが原因で、ずっと彼の小説をスルーしてきました。
もっと早く読んでいれば良かったですね。
本書が文学だとすれば、自分の文学観はいかにも浅いと認めざるを得ません。
文学は、自分が考えているよりももっと深いところで蠢いている何かです。
もちろん、どんな文学があってもいい。
ただ、本書を読めば、文学の深さと広さが、ともに6センチは大きくなるはずです。
共に頑張りましょう。
投稿元:
レビューを見る
お上の目をかいくぐり、世の男どもにあらゆる享楽の手管を提供する、これすなわち「エロ事師」の生業なり――享楽と猥雑の真っ只中で、したたかに棲息する主人公・スブやん。他人を勃たせるのはお手のものだが、彼を取り巻く男たちの性は、どこかいびつで滑稽で苛烈で、そして切ない……正常なる男女の美しきまぐわいやオーガズムなんぞどこ吹く風、ニッポン文学に永遠に屹立する傑作。
投稿元:
レビューを見る
西川美和さんの「名作はいつもアイマイ」に出てきて、興味を持って読んでみた。
標準語では表現できない作品だといえば、そんな気もする。
僕は兵庫出身なので、それなりに大阪弁を使ったことはあるんだけれども、時代のせいか、地方のせいか、ちょっと知っているのと違う言葉遣いだった。
乱行パーティが描かれていたが、ホントにあんな風なかんじで成立したりしているんだろうか。野坂氏の想像なんだろうか。直感的には、ありえないんじゃないかと思うけど…
しかし、野坂さんとえいば、ちょっとどもりながら、テレビで大島なんとかさんという呼び名は監督だけどなにをやってるかわからない人と口論するへんな人という認識だったが、作家でもあったということがよくわかりました。
投稿元:
レビューを見る
カバー絵がちょっと下品だが、中身の文章はとても魅力的だ。
関西弁のやりとりが心地よいリズムで押し寄せて来る。
ついつい時間を忘れて最後まで読んでしまった。
カバー絵でとても損をしていると感じた。
投稿元:
レビューを見る
谷崎潤一郎賞候補に挙がり、純文学とは何か?を考えた一冊。
性にひたむきなダメ男達が、無い頭を試行錯誤しながら(たまにちょっと頭が良い)馬鹿な事に突き進む会話劇。
悔しいが終始愉快で話の展開も退屈せず楽しめた。陰毛が落ちてるに違いないと、女子学校に拾いに行く所など頭を抱えたが、他作では絶対に読めないシーンだろう。
投稿元:
レビューを見る
名前は知っていたが,野坂昭如の作品を読むのは初めてである。当時は作家のみならず広範囲のタレント的な存在だったようだ。
本作はデビュー作だというが,既に安心して読める滑稽さが感じられる(新人らしさというか,危うさがない)。自らをエロ事司と名乗る「スブやん」とその周辺の人々。戦後と現代をつなぐ部分として見逃せない。
解説を先に読んだのだが,なんと澁澤龍彦の文だった。「ひたすら観念のエロティシズム,欠如体としてのエロティシズムにのみ没頭する一種独特な性の探求家」と評している。
全体的に,悪趣味だがユーモアが散りばめられていて,読んでいて面白い。
ある種タブー視される「臭いもの」の描写が,何気に多いのではないか。何気に,というのは,特に情感込めたわけでもなく,気を惹きつけようという意図も感じない,にも関わらず,時間の流れの中に存在感をズシンと構えていることから。
堕胎と水葬が軍隊ラッパに乗せられて,死骸の脇で麻雀しながらオナニー体験談で盛り上がって。グロテスクを吹き飛ばしかねないおかしさがそこに横たわる。しかし時代を考えると,焼けた灰を纏い生きる人々なのであり,ある種の慣れともいえる。
不謹慎ではあるがどこか下品なりの論理を感じさせられる。
p146「〜そやけどエロ事師の本領はなんというても女やで。〜みんな女房もっとる,そやけどその女房では果たしえん夢,せつない願いを胸に秘めて,もっとちがう女,これが女やという女を求めはんのや。実際にはそんな女,この世にいてえへん。いてえへんが,いてるような錯覚を与えたるのが,わいらの義務ちゅうもんや。〜目的は男の救済にあるねん,これごエロ事師の道,エロ道とでもいうかなあ」
ちょっと前にインポだと言われた人間の口上と考えると余計にツッコみたくなる。しかも死んでからようやくビンビンにたったし。
サド侯爵が高らかと読み上げるようなものを,本作の語りでは大阪弁の会話と地の文の交錯でうなっている。それにしてもスブやんは,人々に夢(?)を与えるごとに自身の欲求が遥か向こうに遠ざかってしまっているようだ。かすかに逼迫しているような気もする。
性そのものへのアイロニーというか,ある種人生そのものへのアイロニーを感じた,特にオチ。終盤のパーティでの人物紹介なんかは「ソドム百二十日」を想起せずにはいられない。エロティシズムの観念自体は過去の文学作品にあるテーマであるが,こうも透明な文章は中々ないかもしれない。変に美化しない,悪趣味に誠実,そこが良い。