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こういう本が良書だと思います。新書ながら、現代において多くのひとが共感できる内容なのではないかな。
タイトル通り、人間同士「わかりあえないことから」はじまる。そんなコミュニケーションを提唱している。
「伝わらない」からこそ、それでも必死に「伝えようと」する。なんて本質的なんやろうかー。
平田オリザさんの著書はとても興味深い内容が多いです。個人的には、かなりいいことを言うてます。
「みんなちがって、たいへんだ」がめちゃくちゃ印象的。
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「共感」の押し付け合いに懐疑的だったが「共有」と捉え、関係を発達させる能力の必要性に気付かされた。わかりあえないことを前提としたコミュニケーションとは何か、これから必要とされるその能力とは何か、について語られている。理論に支えられているだけではない筆者の体験からの結論に力がある。
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「コミュニケーションをデザインする」かなりの気づきだった。というよりも、あらためてこう明文化されると腹に落ちる。
リーダーシップに必要なことは、弱者のコンテクストを理解する能力、と言い切る。"強いリーダー"待望の風潮高まるだけによく響く。長年演劇を通して培った豊富な経験があるからこそ、身をもってそう感じるのだろう。
もう一致団結・ムラ社会で価値観一つにして成長目指す時代じゃない。「協調性より社交性」という主張に大きく頷いた。
バラバラで多様な価値観の集まりだというのを前提に、異質なものと向き合っていきながら高いパフォーマンスを発揮する。そんな組織が勝ち残るのだろう。
日常もっとも濫用されがちな言葉「コミュニケーション」を再定義する一冊。これは買い。
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「グローバル化の時代に生きる我々は、コミュニケーション能力を身につけなければならない」とあちこちで声高に叫ばれるが、「コミュニケーション能力ってなんだ」という疑問をちゃんと投げかけることが足りなくはないか。日本はとにかく世界の中で特異極まりない文化や言語を有していて、それと国際社会、主に西洋的な言語表現との共生をどう図るか、日本的であり容易に変えてはならない大事な部分は何か、といったことをまず冷静に考えなければならない。そして、硬直しガラパゴスと称される日本の教育のこれからのあり方とは。それらについて重要なヒントを与えてくれる良書。地に足をつけて「成熟国家」としての日本のあり方を考える材料にしたい。
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世間でもてはやされている「コミュニケーション能力」。はたして、どれだけの人がその言葉を説明できるだろうか。ある人は外国語での会話。ある人は人前で物怖じせずにすらすら発言する力。またある人は、空気を読む力。などと各々の意見はあるだろうが、本書を読めば、そのどれもが本質をついたものでないことが、明らかになるだろう。平田オリザが演劇の世界で長年にわたり培ったコミュニュケーションの真髄。今、日本人に必要なコミュニケーションとは何か?さらに、日本人固有のコミュニケーションの在り方とは?ビジネスはもちろん、教育の現場や、就職活動の参考にもなり得る本書。
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かすかに端を折りながらふむふむ読んだ。演劇畑の著者ならではの視点。"わかりあえないことから始めれば良い。"この照準の定め方、好きだなぁ。
本書を読む前は、コミュ力について、また、近頃の若者は論についてもやもやしていた。いまもまだはっきり分からないが、コミュニケーションの余白・冗長さの担う大きさを知り、目から鱗。微細な違いの認識こそが、わからないことをわかることこそが、他者の理解の第一歩なのか。
色んなことが色々書いてあって、演技についての他、日本や日本語の未来について等々まで広く思いを巡らせた。うん。時間を置いて何度か読み返したい。新聞の社説やオピニオン欄とも合わせて比較できたらよさそう!
因みに最も共感したのは"本当の自分なんてない"ということ。"仮面の総体が人格を形成している"。痺れる。
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コミュニケーション能力という捉えどころの難しい言葉に疑問を持っている就活生、疑問を持っていた新卒社会人にオススメの良書。
演劇というアプローチからコミュニケーションに関するワークショップを多数開いてきた筆者の経験を例に論を進めているので、イメージしやすく頷きながら読めると思います。
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これまで、目標としてコミュニケーション能力を向上させるとか人のことをコミュニケーション能力が無いなあとか言っていたけれども本質は全く違うものなのだということを理解することができた。
”論理的ではない相手のことを汲み取って対応する。”…ロジカルであるべき、コミュニケーション能力が無いことは悪、ビジネスを進める上では事実なのかもしれないが、コミュニケーションとは本来そういうものではないのだということを強く感じた。
さらに、教育についても興味を持つことができる一冊だった。教育に対しては相当に力を入れようとしている安倍新政権が発足したばかりであるので、どのような施策でどのような人を作り出していくことを目指すのか、注目したい。
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人と人は分かりあえない。国際化が進む中で、異文化間で分かりあえるよう求められる一方で、空気を読みながら内側での統制を図ろうとする日本社会や企業。なるほど。自分と違う考えや文化に出会わないと自分のことは分からない。そういう意味では、日本や自分の事がよく分かる時代に生きてるのかも知れない。
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「わかりあえない」ことから始めよう-現状のダブル・バインドを認めることから。
・「異文化理解能力」と「日本型同調圧力」の双方を求められている時代とい う認識
・「コミュニケーション能力が低い」のではなく、全体が向上した故のの「問題 の顕在化」
・従来型の「言わなくてもわかりあえる」日本型社会の「多文化共生社会」へ の変化、などなど・・・・。
演劇という手法を通じた教育方法を提唱・実践する作者からの言葉です。
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コミュニケーションという、知っているようで知らないものについて、今まで語られてきたものとは違うところから光を当てた良書。
就職活動中に耳にタコができるほど聞いた「コミュニケーション能力」という言葉。
一般的には「意見を相手に的確な表現で伝えることができる=話上手」であることを「コミュニケーション能力が高い」ということになるだろう。
僕はそういう意味ではオッサンが苦手だったこともあり、「コミュニケーション能力が低い」学生だったのだと思う。
この本を読んで、本来のコミュニケーションというものが、必ずしも「話すこと」にとどまるものではないということがわかり、あの時の自分が少し救われた気分になった。
人はみんなばらばらで、わかりあえない。
わかりあえないということをわかりあうということ。
大切なことがたくさん書いてあったので、きっとまた何度も読み直すことだろう。
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演出家の視点に立ってコミュニケーション能力とは何かを示している。コミュニケーションはコンテクストのずれをすりあわせ理解することが大事だという。価値観は多様化し協調していくことより社交性が大事。違う意見をまとめていく力が必要。コミュニケーション能力を身につけ、主体的に演じる子どもを育成するようにする。
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相手が何を言わんとしているのか。文脈に隠された言葉の真意を読むのは日本人が美徳とするところである。しかし個々に違った人間である。コミュニケーションにズレが生じることがあって当たり前。重要なのは、わかりあえないことを前提にそのズレをどう埋めるかである。日常のコミュニケーションでも実践したい。また、本当の自分なんてものは存在せず、人間は家庭、社会においてそれぞれの役割を演じているとする著者の主張は、平野啓一郎さんが『私とは何か』で提唱する「分人」という考え方と重なる部分を感じ、興味深く読んだ。
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演出家、平田オリザによるコミュニケーション論。どのようにコミュニケーションをとるかというただのハウツー本ではなくて、そもそも、コミュニケーションとは何かというところから、さまざまな角度で論じられている。
分かり合えることを前提としているのではなくて、分かり合えないことから、どう折り合いを付けていくのか。多文化共生の中、独自の言語を持ち、独自の文化を持つ日本人が、分かり合えないことからはじめられるコミュニケーションを演出家の視点から考えていく。
他者との差異を認識していくことの重要性が語られている。「みんなちがって、たいへんだ」。この大変さから目を背けてはならないとのこと。
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【目次】
第1章 コミュニケーション能力とは何か?
第2章 喋らないという表現
第3章 ランダムをプログラミングする
第4章 冗長率を操作する
第5章 「対話」の言葉を作る
第6章 コンテクストの「ずれ」
第7章 コミュニケーションデザインという視点
第8章 協調性から社交性へ
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ふだん自分は言葉を使って話しているというのに、その行為そのものにあまりに無知のようだ。例えば、会話と対話は、何が違うのだろうか?
自分が今、どういった意図でどういった話し方をし、話す内容を形作ろうとしているのかについて、意識化していく必要がある。人はたいてい無意識にしゃべっている。