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物事を自分で考えることを教えてくれる本です。
橋本さんの本は一貫して「自分で頭を使えるようになろう」
みたいな感じを受け、自分もそうなれたらいいなぁ〜と
思う日々です。
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わかったふりをすることはよくない。
わかったつもりになることも同様。
「わからない」から始めること。そこから始まる。それがスタート地点。
わかるのは自分なので、自分が納得するまで考えなければいけない。
効率が悪い方法かもしれないが、上っ面をなでてわかったつもりになっても無意味。
地に足をつけて、ひとつひとつわかっていくしかない。
考えるのは頭ではなくて身体。ハラにおちるまであがく。
そうすることで「わかった」ことが自分のものになる。
その意味では主体的に生きることについて語った本であり、実存主義の本。
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まえがき
第1章 「わからない」は根性である
第2章 「わからない」という方法
第3章 なんにも知らないバカはこんなことをする
第4章 知性する身体
(目次より)
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「わからない」ということを機軸にして、自分の世界を作り上げていく、これこそ、弁証法の極意ではないかと思ったです。彼は、「真の哲学者」と呼んでも良いのではないでしょうか?
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[ 内容 ]
「わからない」ことが「恥」だった二十世紀は過ぎ去った!
小説から編み物の本、古典の現代語訳から劇作・演出まで、ありとあらゆるジャンルで活躍する著者が、「なぜあなたはそんなにもいろんなことに手をだすのか?」という問いに対し、ついに答えた、「だってわからないから」。
―かくして思考のダイナモは超高速で回転を始める。
「自分は、どう、わからないか」「わかる、とは、どういうことなのか」…。
そしてここに、「わからない」をあえて方法にする、目のくらむような知的冒険クルーズの本が成立したのである。
[ 目次 ]
第1章 「わからない」は根性である(「わからない」という恥 「わからない」を「方法」にする方法 ほか)
第2章 「わからない」という方法(私はなぜ「セーターの本」を書いたのか 「わかる」とはいかなることか ほか)
第3章 なんにも知らないバカはこんなことをする(基本を知らない困った作家 天を行く方法―「エコール・ド・パリ」をドラマにする ほか)
第4章 知性する身体(この役に立たない本のあとがき 知性する身体)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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最初の方は何を言っているのかわけわかめだけど、後半まで読んでいくと作者が何を言わんとしているのか大分わかってくる。
そこで「あ、最初はそういうことが言いたかったのね」ということに気づく(わかる)。
それでいいのである。
作者は自ら言わんとすることをこの本の構造そのものから示してみせた。
飾らない橋本治はとても魅力的。
随筆の傑作。
(2007年02月17日)
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著者本人も認めているが、くどい文章に疲れて前半で諦めモードに・・・。しかし!ブクログのレビューを読んで、後半もしっかり読まないともったいないと思い直し、読み進めたところ、確かに面白かった。脳がいかに司令塔的な存在か、みたいなことを説く本は多いけれど、ここでは「つまらないことで威張りたがる中間管理職に絶対の権限を与えてしまう」として、身体の重要さと経験主義が主張されているところが興味深かった!私も最近、脳バンザイみたいな感じだったので・・
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■この本を知ったきっかけ
本屋でみつけて
■読もうと思ったわけ
前から著者の本をよんでみたかったのと、帯の「初のビジネス書」というのに興味をもって
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タイトルに惹かれて購入.
教育に携わりたい身としては「わかる」や「わからない」といった言葉に対して鋭敏でありたいと思うし,こういう本は読んで損はないなと感じた.別に教育云々が書いてあるわけではないが.
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いわゆる伝統的なマニュアルが失われた二十一世紀という時代の新たなマニュアル。つまり、とにかく自分の頭で考えて、自分の体で体験する、という著者自身が体現している信条がこの時代にいかに有効かを説明しています。この考えは、著者の著書にも貫かれ、自分の言葉で自分の考えを語っているという姿勢にも反映していますので、説得力も十分あります。ただ、独特のクドイ口調に好き嫌いが分かれるかもしれませんね。
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「わからない」を方法にしてしまう、という考え方は衝撃的だった。恥や失敗を恐れず、「わからない」という手段で新たな可能性に挑む姿は前向きで明るい。21世紀をどう生きるべきか考えさせられる。新しい視点を得られる内容だが、全体的に話が冗長だと感じた。
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「多才」なひとはその才能数だけ挫折を知っているという。
そう、たくさんのことにチャレンジするのは、移り気なのではなく自分自身を手さぐりで探求し続けているから。いい評価をもらおうがけなされようが本人の意志にはあまり関係ない。
しかしまぁー新書は読みにくい。ホットであることやサプライズであることが売りだから(と私は思っている)、文章は洗練されていなくて読みにくいことばかりだし内容もザラザラしてる。ひとつ言いたいことが見いだせただけでもめっけもんかも。
それに著者の、自己・他己評価がしつこ過ぎて目ざわりなレベル。たとえ話はとてもわかりにくい。140字にまとめる習慣のついてる現代人には、好まれるタイプの読み物ではないだろう。
タイトルにのような「方法」が見つかるわけではない。この著者が「わからない」を口癖としていることだけはわかったが…
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すぐ「わからん」という奴はただの卑怯者だとずーっと思い続けてきたが、本書を読み、改めようと・・・。氏独特の思想と思考が非常に身に染みた。氏のレベルを大きく下げると自分の発想に近い気がした。よってそこは都合良く解釈し、今の傾向をブラッシュアップしたい。ただし、深さが全然足りないので、時間をかける。これがつらい。すぐ次に行ったり、結論を求めてしまう。そうではないということを本書は指示している、と捉えた。何度も読み、深めよう。
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【概要】
「わからないからやらない」は「わからない=恥」という認識や,一度「わかった」ゴールに辿り着いた経験から面倒臭さを感じているから.
しかし,「わからない」時,人はそれまでの肩書き・虚栄心を捨て,何事かに立ち向かわなければならない.「わからない」を方法にするとは,何も有効な方法がなく「仕方なし」の状態であって,つまり,「覚悟する」ということである.
「わからない→わかる」というプロセスは「わからない」を掘り起こし,「できない自分」を探し,「至るべきゴール」を明確かつ具体的に把握すること.決して「わかる・できる」を拾い集めることではない.
しかし,脳は「知っているができない」レベルまで来ると「わからない・できない自分」を排除しようとする.
「わかる・できる自分」は身体が「自分のやるべきことはいかなることか」を理解することである.脳は身体を「無能」呼ばわりするが,それは「わかる・できる自分」になるには時間がかかるためであるので,脳がするべきことは「自分の無能を認めて許す」ことである.
【感想】
本書はわからない問題をどのように分割し,解決していくか,といったハウツー本ではなかったという意味で期待はずれだった.
ただ,「わからない」に対する私の今までの姿勢が間違っていたとわかり,
「わからない→わかる」のプロセスは「自分がどうわからないのか?」頭に問うことで方向性を定め,「行動できるかどうか(目標設定やアウトプット)」まで落としこむことだと解釈した.
私のせいで,とても当たり前の主張に落ちてしまったが,「脳に頼らず身体の知性に頼る」考え方や,「わからない」という覚悟や挫折は自分で切り開くしか無いという現実を受け入れることは筆者のおかげて楽観主義に受け入れられ,新鮮だった.
しかし,筆者も認めた「くどさ」のため,とても読みづらく,大変だった.
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生徒が、初めにマスターするのは、教師という「他人のやり方」なのである。それが「基本のマスター」であって、学ぶ側の人間は「他人のやり方」を、自分の特性に見合ったものとして変えて行かなければならない。「自分とは違う他人のやり方から自分に見合った個性的なものへの転換」なのである。「学ぶ」とは、教える側の持つ「生き方」の強制なのである。「その生き方がいやだ」と思わせてしまったら、その教育は崩壊する。ただそれだけのことである。学ぶ側は、手っ取り早くノウハウだけを学びたい。