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宿命の越境者との題名のとおり、いつまでもアメリカ・日本・パリにおいて、自分の故郷は何処にあるのかを探し続けていた。。。
おしゃれだ。という理由だけでなく深い意味で「akari」作品に触れる事が出来るようになったきっかけになった作品。
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結婚式の引き出物は『AKARI』でした。業界は、イームズの次にイサムノグチを仕掛けたのですが、いまひとつもりあがりませんでしたね。
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日本とアメリカ、二つの国の間にうまれた芸術家イサム・ノグチ。今より厳しい差別や偏見、そして拒絶を味わいながら、その才能を開花させていく様を描いたドキュメンタリーの力作。彼の人生にはどこか帰国子女の葛藤に似たものを感じました。本だけでなく、彼の作品をぜひ見ることをおすすめします。
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この本を読んで、すっかりイサム・ノグチファンになりました。
22回講談社ノンフィクション賞受賞作品です。
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この本を読んで、すっかりイサム・ノグチファンになりました。
第22回講談社ノンフィクション賞受賞作品です。
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作品の幅広さと日本名に戸惑いつつ、おおらかでどこかユーモラスなフォルムでじわじわ気になってた人。まさかこんなにドラマティックな人生を送り、複雑な葛藤を抱えた人だったなんて。芸術家である一人の人間の熱い魂に圧倒される、力強いノンフィクション。上下巻。
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これを綿密な調査に基づいて制作したというのだから驚き。
芸術家、イサム・ノグチの人格形成を紐解く上でとても参考になりました。
フィクションのようなぶっ飛びノン・フィクション!
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日本人の父親とアメリカ人の母親の感性を受け継ぎ、父性愛に飢えた満たされない心の内を抱えながら、自らの芸術を求め世界中を廻りながら作品を生み出していく。時は第一次大戦と第二次世界大戦の激動の時代、日本とアメリカは対立して人種差別もあった時代、子どものころから差別を受けながらも、日本人の父親とアメリカ人の母親の間を心は揺れ動く。下巻もあります。
激動の時代を生きた一人の人間、一人の芸術家の成長を描いたノンフィクションとして素晴らしい本です。
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母の国、アメリカ、父の国、日本。
その生い立ちゆえ、生涯にわたって居場所を求めていた姿が痛々しい。
イサムノグチの芸術、人物がよくわかる。
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プレイボーイ、ハーフ、彫刻家。
これが私が知るイサム・ノグチのイメージだった。
スキャンダラスかつプライベートな面で彼に興味があったものの、しかしその作品はまだ一度として目にしていない…
この本も、彼のプライベートや内面を知りたいという思いから手に取ったが、彼の人生もさることながらアーティストとしての側面も見事に描かれている。
日米の狭間で苦悩し、アイデンティティに悩み、戦争に翻弄されていく中で、アーティストとしての生きていく。
時に恋愛を楽しみ、数々の有名女性と浮名を流し、結婚もする。お相手はフリーダ・カーロ、初代インド首相ネルーの姪、李香蘭こと山口淑子…
著者はイサム・ノグチが残した手紙や作品、彼に関わる人々との取材から丹念にその人生を浮き彫りにしていく。
当時の時代背景と同時に、父親ヨネ・ノグチ(詩人)、母親レオーネについても描かれており、ノンフィクションそして伝記として非常に興味深く読むことができた。
客観的事実を積み重ねた上で、著者の考察が書かれていると感じられる。
彼の人生そのものが興味深いからか、著者の技量か、一気に読了した。
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会ったことのない人がまるで隣にいて呼吸をしているよう。
実際に同じ部屋にいてその場面に立ち会ったり、制作活動を見学しているような錯覚を覚える。
資料や周辺の人物からの取材だけでこんなに生き生きと人を描けるものか。
ドウス氏の忍耐力、文筆力に脱帽。
イサムを難しい時代に異国の地で育てた母親が描かれている部分に、同じく国際結婚をした母親として共感を得つつ引き込まれた。
イサムにゆかりのある土地も自分の育った場所と近く、思いを馳せながら読んだ。
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ノグチは、彫刻家として名前はすごく有名だけど、その人生や人となりについては、「山口淑子と結婚してた人」とか「日本人とアメリカ人のハーフ」といったように、すごく部分的にしか知られていないような気がする。というより、それが、わたしの知っているノグチのすべてだった。この本を読むまでは。
しかしびっくりしたのは、ノグチの生い立ち。詩人の野口米次郎の息子だとは知っていたけど、私生児だったとは知らなかった。しかもこの米次郎のいい加減さときたら。ノグチの母親(アメリカ人)と関係しながら、別のアメリカ人女性にプロポーズしたり、日本であっさり日本女性と結婚したり。女へのだらしなさは読んでいてかなりむかつきました。はい。筆者も、書いていてかなりむかついていたんじゃなかろうか…と思われるような、容赦ない書きっぷりだった。
でもノグチが、そんなひどい仕業をした父親の国である日本なのに、おまけにいつまでもアメリカ人との「あいの子」だということで完全に社会に受け入れてくれない日本なのに、その文化に憧れ、第2次世界大戦中には日系人強制収容反対に奔走したというのが、不思議な感じでもあり、痛々しくもある。
ノグチのこだわりのひとつが、「彫刻作品が生きていて、作品の周りの空間に調和し、生命感を与えていること」だったところが印象的。わたしのよく知っているノグチの作品というと、広島の平和大橋。不思議な形だと子ども心に思っていて、それがイサム・ノグチの作品だと知ったときは、「え、こんな身近なところに、そんな有名な人の作品が!?」とびっくりしたものだが、ノグチのこだわりを知れば、それも納得というものだ。
気難しくて誇り高くて繊細なノグチ。若くてきれいな女をたくさん愛して愛を求めたものの、常に作品製作を第一としてきたノグチ。彼の弱いところやわがままなところなどもしっかり書いて、「ノグチはとても偉大で立派で高潔な芸術家でした」だけで終わらないところがいいと思う。下巻も読了。
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見たことのある作品のイメージとは違って生まれ育った環境に因るところが大きいんだけど、すごい屈折していて、なかなかとっつきにくそうな感じのノグチの性格。
でも彼の作品に多くのひとが魅了され、彼という個人を愛するひともいた。
自分らしく生きようとすることは決して自分にとっても楽なことではないのかもしれないけど、でも誰かの心に何かを残すことができるんだな。
彼の人生にはお母さんの存在が大きいから映画「レオニー」みたいなと思った。
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上巻の三分の一は、父ヨネ・ノグチについて書かれています。
詩人ヨネ・ノグチ〈本名野口米次郎〉という人を、寡聞にして今まで知りませんでした。
明治の8年生まれで、幼い頃から利発だった彼は15歳の時に英和辞典を持って上京し、兄の下で一年予備校に通った後慶応義塾に入学します。
しかしすぐに学業についていけなくなった彼は、なんと2年後にアメリカに向かいます。
学校へ行くのは嫌だ。試験は恐ろしい→アメリカ面白そう。
何かいろいろととばしているような気がしますが、とにかく彼は行動します。
渡航費は何とかしたものの、滞在費の持ち合わせのなかった米次郎は新聞配達や家事手伝いをしながら英詩に惹かれていきます。
当時の仲間は彼のことをこう言っています。
「彼は夢想家なのです。そう、彼はいつも甘い夢を見ています、故郷へ帰る日を賭けての夢をです」
米次郎の夢とはこうです。
「心ゆくまで一冊の本を読みながら、ゆっくりと休みたい。軽い労働の代償としてそうさせてくれるところがどこかにないだろうか」
実に都合のいい夢ですが、それを叶えるために米次郎は詩人ウォーキン・ミラーを訪ね、実際にそういう生活をなしとげます。
そしてそういう生活の中から詩を作り出すのですが、如何せん彼には英語力がありません。
なので、添削してくれる人を探します。
そうやって知り合ったのが、イサムの母レオニー・ギルモアです。
ビジネスのパートナーとしてレオニーに多くのことを頼りながら、ほかの女性たちとこっそり恋愛関係になっている米次郎。かなりいけ好かないひとです。
日露戦争が勃発して半年、米次郎は単身帰国します。
日本では「アメリカで成功した国際派の詩人」として歓迎を受けます。
が、日本で詩人としては成功できませんでした。
詩人というにはあまりにも日本語が不自由だったからです。
結局日本からアメリカに向けて英語の詩を発表するしかないことになり、レオニーとイサムを日本に呼び寄せるのですが、ほとんど一緒には暮らせません。
米次郎は日本人女性と結婚して、子どもがちょうど生まれる頃だったからです。
ほんと、いけ好かないひとです。
日本人の血をひき、日本で暮らしていても、戸籍上はアメリカ人女性の私生児でしかないイサム。
米次郎の仕事を手伝うだけでは暮らしていけないので、英語の家庭教師などの仕事をいくつも抱え、慣れない異国で一人子育てをするレオニー。
名士として活躍しながらも、イサム達の生活を一切援助しない父。
しかし父の死のほとんどは、相変わらず母が添削し、アメリカに売り込んでいるのです。
そんな両親の姿をじっと見つめるイサム。
イサムの屈託はここから始まります。
とにかくイサムを芸術家にしたかった母。
気性は荒いが繊細な心を持ち、手先の器用なイサム。
どう頑張っても日本人として完全に受け入れられることのないイサムは、アメリカ行きを熱望するようになります。
アメリカ国内は、日露戦争に勝った日本に対して危���感を感じ、排日の動きも日々激しくなっているときで、母としては日本で日本人として育てたかったのでしょうが、どんなに環境を変えても周囲になじむことのできないイサムを見て、ひとりアメリカに送り出します。
紆余曲折ありますが、イサムはアメリカで成功します。
しかし、アメリカでもイサムは自分の居場所を感じることができなかったのです。
日本人として日本にいながら、日本の文壇との間に距離を感じる父米次郎もつらいとは思いますが、イサムの場合は、アメリカで生まれアメリカ国籍であるにも関わらず東洋人として扱われ、日本にいれば外国人と扱われ、その孤独は計り知れないと思います。
が、しかし、助けてくれる人たちが常にそばにいました。
イサムが子どものころ近所に住んで何かと交流があったのが、岩倉具視の嫡孫岩倉少尉だったり、小泉八雲の未亡人セツだったり、少年時代の獅子文六だったりです。
イサムがアメリカに行ってからは父の知り合いである野口英世や舞踏家伊藤道郎(演出家千田是也のお兄さん)、インドの詩人タゴールやアイルランドの詩人イエーツなど、積極的にツテを頼っていきます。実に父は大物だったんですね。
イサム自身も画家の藤田嗣治、彫刻家アルベルト・ジャコメッティ、作曲家ジョージ・ガーシュイン、建築家バックミンスタ―・フラー等など、数え切れないほどの時代を代表する人たちと交流を深めていきます。
そして思うのは、自分は何ものであるのか。
そして、芸術とは〈彫刻とは〉どのようにあるべきなのか。
札幌市にはイサム・ノグチがデザインした公園、モエレ沼公園があります。
観光名所というよりは、市民公園寄り。
なぜ彫刻家が講演を作るのか。ずっと不思議ではありました。
モエレ沼公園にはプレイマウンテンという遊び山があります。この遊び山は、イサムが「彫刻をもっと日常体験と直接的にかかわりあうものにしたいと熱望した」すえのアイディアであり、公園造りのもととなっているのだと思います。
「未来の彫刻は地球そのものに刻み込まれる」
「人と空間の関連に根ざす彫刻」
上巻はイサム40歳。
インドの芸術、巨石の魅力に目覚めるところで終わります。
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図書館で。
そろそろ返却期限だし読むかあ…と手に取ったら面白くてそこからは一気読み。名前だけは知っていたアーティストですがこんな数奇な人生を送られたのだなぁと思うと…色々考えさせられました。
取りあえずお父さんが酷い。色々と。確かにこれは生のきっかけの種を撒いただけ、と言われても仕方がない。それにしても戦前、戦中、戦後にかけて米国に在住する日本人も、日本に在住する米国人も大変な思いをされたんだな、としみじみ思いました。戦争はイヤですね。
そして原爆記念碑の件を読むと日本ってイヤな国だなあ…とつくづく思わされます。個人では良い人は多いのですが団体になるとどうしてこう意固地で、排他的で、責任を取らない組織になってしまうんだろう。今も昔も変わらないなあ…。
そのうち牟礼にも、札幌にも行ってみたいな、と思いました。圧倒されるスケールの人物だなあとつくづく思いました。