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民俗学の授業とかで読まされそうな本ですが、これがなかなかおもしろい!明治維新後の主に地方の村落はどのように機能していたのか。そしてそこでの人々の生活はどのようだったのかを著者が実際に村々を歩き、話を聞いてまとめたもの。無学で性にも開放的で、こんな時代もあったのかとまさにタイトルどおりの「忘れられた日本人」だ。
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テレビもねぇ、ラジオもねぇ、時計もねぇ。
土曜日も日曜日もねぇ。吉幾三の世界です。
時間に縛られ生きている現在の私たち。本書を読むと今ではとても考えられないような世界を知ることが出来る。
著者の宮本常一は代表的な民俗学者。この人が日本全国を歩き回り、各地の老人から聞き取ったお陰で、失われつつあった地方の伝承を今でも知ることが出来る。
しかし、現在は『忘れられた日本人』すら忘れられつつあるような気がする。
ところで、興味深かったのは「夜這い」。結構あったものなんだね〜。
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戦時中もフィールドワークを続けていたというのがすごい。
一般的な人類学の例にもれず、宮本常一も
観察者である自分が「エージェントから見られている」という視点は欠落しているものの、
彼らへの誠実さは十分に伝わってくる。
あとがきは結構泣ける。
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(2006.04.13読了)(2003.11.14購入)
藤原正彦さんが大学の読書ゼミで読ませている本として、「武士道」(済)「余は如何にして基督信徒となりし乎」(済)「学問のすすめ」「福翁自伝」「武家の女性」「忘れられた日本人」「山びこ学校」「きけわだつみのこえ」などをあげている。
藤原さんのファンとしては、付き合ってあげてもいいかなと思っているので、読んでみました。
漁村の古老、四国遍路、田植え、博労、木挽き、文字の読める農民、婆さんたち、色んな村を尋ねて聞き取った記録です。昭和初期までの日本は、どのようだったのかが分かります。私の小さい頃の生活とダブルところがあり懐かしいところもあります。私の生まれ育った地名が出ていました。通り過ぎただけのようですけど。
●寄り合い(対馬)
村で取り決めを行う場合には、みんなの納得のいくまで何日でも話し合う。はじめには一同が集まって区長からの話を聞くと、それぞれの地域組でいろいろに話し合って区長のところへその結論を持っていく。もし折り合いがつかねばまた自分のグループへ戻って話し合う。用事のあるものは家へ帰ることもある。ただ区長・総代は聞き役・まとめ役としてそこにいなければならない。(13頁)
●世話焼きばっぱ(福島)
村の中にある何も彼もを実によく知っていて、絶えず村の中の不幸なものに手を差し伸べているのである。それも決して人の気付かぬところでそれをやっている。夜一時二時頃隣村の不幸な女を訪れたり、また食うに困っている者に物を届けたり、また夜半訪れてくる他家の嫁の色々の相談に預かっていた。(39頁)
●観音講(福井)
年よりは愚痴の多いもので、つい嫁の悪口が言いたくなる。そこでこうしたところで話し合うのだが、そうすれば面と向かって嫁に辛く当たらなくてすむという。(43頁)
☆関連図書
「宮本常一が見た日本」佐野真一著、NHK人間講座、2000.01.01
「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」宮本常一著、平凡社ライブラリー、2002.12.09
著者 宮本 常一
1907年 山口県周防大島生まれ
大阪逓信講習所を卒業して、大阪の郵便局に勤務
大阪府立天王寺師範学校卒業後大阪で小学校教諭を務めた
1929年 上京、渋沢敬三のアチック・ミューゼアムに入る
その後大阪に戻り、小学校教師を務める
1939年 再び上京、アチック・ミューゼアム所員
1945年-48年 大阪府の嘱託として農業指導や農地解放を指導した
1952年 日本常民文化研究所所員
1965年 武蔵野美術大学教授
1981年没
『日本の離島』(日本エッセイストクラブ賞)
(「BOOK」データベースより)amazon
昭和14年以来、日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を克明に調査した著者(1907‐81)が、文化を築き支えてきた伝承者=老人達がどのような環境に生きてきたかを、古老たち自身の語るライフヒストリーをまじえて生き生きと描く。辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を歴史の舞台にうかびあがらせた宮本民俗学の代表作。
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名著です。
何度も繰り返し読んでしまいます。
民俗学のテキストとしても素晴らしいけど、読み物としても宮本常一氏の文章は一品だと思います。
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最近は 「〜の作法」、「〜の品格」などというタイトルをつけた本をよく目にする。価値の相対化が進む時代に生きる人には、確たる指針を示す本は受け入れやすいことだろう。だが私はそういう類の本を純粋な関心から読もうとした事がない。それは一つには自分の生き方として落ちている答えは拾いたくないと考えているからであるが、それ以上に、そもそもそれらの本が規定する「物事のあるべき姿」がいかにも胡散臭く感じられるからだ。
これは過去についての情報に対しても言える事だ。人間は自分の生きる時間においてのみ「生きる」事ができる。その前後の時間に起きた事象を語る場合、そこには本来的に正確さを求めることができない。しかしこの謙虚な認識が、現在世の中に溢れる「過去を切り取った情報」にどの程度反映されているだろうか。
一通り教育を受け、マスメディアの生み出す情報に触れた人は、概ね過去のどの時代に対してもある程度のイメージを持っている。しかしそれは恐ろしいことでもある。時代劇で描かれる人々の生活は、果たして手放しで受け入れて大丈夫なのか。戦国武将に詳しい人は多いが、彼らが一様にその時代の風俗にはさほど知識を持たないのはなぜか。こう考えると、私達が持つ過去への認識は全くいびつなものであり、個人として持つ分にはいいが、教えを請う他者に胸を張って紹介できるものではないと思うのが自然ではないだろうか。
本書は、そんなリアルな認識を読み手に非常に自然に与えてくれる稀有な一冊である。まず読み手は、ありのままの事実を知る事がこれほどエキサイティングなのかと驚かずにはいられないだろう。何せそこには日本の辺境に住む、明治・大正・昭和を生きた古老達の話、つまりは色褪せる事のない一次情報が文字通りそのまま載っており、当時を生きる人々の喜怒哀楽がそのまま伝わってくるのだから。
しかし読み手は次第に、その驚きは自分の持つ「知」がいかにいい加減な手続きの上に蓄積されてきたかという事実の裏返しから来ている事に気付く。巷に溢れている過去を切り取って単純化した情報は、情報としての誠意に欠ける事を作り手が意識しているからか、人々の「常識」から見て無理なく信じれる程度の物が多い。しかし事実をそのまま伝える場合においては、これまで人々が培ってきた歪んだ情報への遠慮など何一つ要らない。そのため誠意に満ちた情報の方がインパクトが強い事がままある。一次情報の塊である本書に引き込まれることで、今まで自分が得てきた情報は「許される程度の嘘」だったのではないかという思考が芽生えるのである。
かつての日本の村落の生活がどのようなものであったかという知的欲求に十分に答える力作であると同時に、知を得る際の姿勢を正してもくれる本書。情報が混在し、できあいの指針が支持されるような社会を生きる現代人にこそ読まれるべきだろう。
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日本の片田舎の訪ね歩いて調べた、民話などの総まとめ。
内容もさることながら、著者の語り口がすごい!!
ただの学者やライターには書けないだろう。情景が浮かぶような小説調の語りは美しい。
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山口県周防大島出身の民俗学者、宮本常一の足で「聞き集めた話」。
この宮本先生の、生涯歩いた距離は半端ではないらしい。
この「忘れられた日本人」では日本西部を中心とした、明治ごろの普通の人の実話が語られる。土地ならではの生活、風俗なども折込んである。
文字を持つ人、持たない人の差。流れ者ゆえの腰の低さ。思いやりにあふれた隣人との交流。などなど。本物にはかなわないなぁと、ちょっと涙することもあり、滑稽なところもあり…。
興味深く読みました。
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名著。
今では日本のほんのごく一部にしかないであろう、昭和初期の農村の姿を描き出す、貴重な書物である。
文盲の農民から、文字を持つ者まで、全国を渡り歩いて直接取材した筆者には、頭が下がる。
戦前の農民の生の声が聴け、昔の風俗を知ることができる。
昔の貴重な日本の姿を示してくれる書物は、そうそうあるものではない。
筆者が話を聴いた農民の多くは、自分で、文字で後世に残すということを考えていなかっただろう。
それを掘り起こして、1冊の本にまとめたというだけで価値がある。
女性同士が農作業の間にどのような話をしていたのか、男女の交わりはどんな様子であったか、ということや、どのような生業を営んでいたのか、科学技術が発展した今となっては考えられぬものばかりである。
そして、聞き書きなので、話し言葉で書いてあり、読みやすい。その点から言っても☆5つである
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明治時代の村にいる百姓やばくろうの生活史を著者が主に西日本を回って
聞いた話。
今までに読んだことのないジャンル(民俗学)で新鮮であった。
百姓が貧しいからといって心の中も決して貧しいわけではなく
村の慣習の中で楽しみや生きがいを見つけて生活しているのがわかる。
効率を求める進歩(特に新自由主義)が決していいことづくめでないことが
よくわかる。みんなほどほどに貧乏だし、重労働の田植えも雑談しながらの
娯楽であったようですし。。
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「忘れられた日本人」とは、文字によって伝えられることなく語りによって伝えられる日本人と捉えたらよいのであろうか。おそらく宮本氏が全国を歩き話を聴いて廻らなければいずれは忘れられてしまったであろう風俗。語られた内容を文字に表し記録した著者の偉業に心から敬意を表したい。
なかでも深く感銘を受けたのは対馬における「寄りあい」。村で取り決めをおこなう場合には、みんなの納得のいくまで何日でもはなしあう。多数決で決めるような乱暴なことをしない。そのような発想がないことに驚きを禁じ得ない。すばらしい文化ではないか。
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こういうのは好きです。
宮本さんは、本気で日本の民衆文化に興味のある人が書いたもの。
日本の農民や民衆について、ものすごいコミュニティの結束みたいのが強い。
人間関係の苦しいとことか、巧くいかないとことか、上手にやってて、村社会ってのはすごいんだなぁって思わせてくれました。
言葉で言わないと分からない、というのは良く聞くことだけども、彼等はぜんぜん言葉のコミュニケーションはしていない。アウンの呼吸というのか、そういう感じでなんでも巧いことやっていて、言葉で伝えるよりも巧く、合理的に関係を築いている点に感心する。
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断片的なストーリーの集まりのようにも見えるが、捉え方によっては、様々な問題提起を感じさせる一冊。
特にタイトルにもあるように、「忘れられた」人やもの、こと。それらに関する著述そのものは、進歩一直線の現代に対するアンチテーゼのように、僕は受け取った。
極めて温和な筆致であるが、それ故になお一層、そのような強いメッセージが伝わる。
宮本常一は、ほぼ日本全国に及ぶという広範な旅の軌跡とともに、その記録写真の膨大なことによっても知られる。単純に、「旅の学者」という立ち姿にも憧れる。
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辺境の地で黙々と生きてきた古老たちの存在を生き生きと描き,歴史の舞台に浮かび上がらせた宮本民俗学の代表作
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岩波文庫売上ベスト10の常連と言っても
過言ではない、はず。
明治~昭和初期の庶民の肉声を
自然なかたちで捉えている、
宮本の仕事の、ひとつの優れた成果
であることはもとより、
「マジで!?」必笑必驚の逸話満載。
よく、今の繁栄を築いたな~日本人。
別の国じゃねぇの~。
著者宮本のトボけた真面目さも
なんだか可笑しみがある。