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バンビは可愛い。でも角の生えた鹿はちょっと怖い。
鹿の剥製っていろんなところで何度か見たことはあるけど、それほどじっくりと目を合わせたことはない。なぜだろう。それはきっとあの目のせいだ。あのガラスの目が私の中を、いや私を通り越して向こう側を見ているからだろう。そんな鹿がある日突然話しかけてきたら…
ここに出て来る5人はおかしい人なのか。首だけになっている「死んでいる」鹿に悩みを相談し、会話し、慰められ、励まされている彼らは、おかしい人なのか。
いや、私もここに入るよ。私も私にしか見えない誰かと私にしか聞こえない声で会話をしている。悩みを相談し、会話し、慰められ、励まされている、私はおかしい人じゃない。誰でもそうだろう。
ただ、不穏な世界へと落ちていくか、そこで踏みとどまるか、それだけの違いだ。
黒木渚。この不穏な作家をこれからも追いかけていきたい。
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孤高のミュージシャン、幻の処女小説、遂に文庫化!
女子高の寄宿舎に暮らす少女タイラに、ある夜、声が聞こえる―。結婚詐欺師、恋に悩む女、剥製職人……彼らの抱える「孤独」に交感する声の主は。魂の叫びを聞け! 戦慄の処女小説刊行。〈解説 山田詠美〉
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歌詞がとても好きなのでとても気になっていた小説。
あともう一冊も読んでみたくなりました。なるほどね。
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著者の楽曲の歌詞にも強烈なインパクトを受けたが、小説もなかなかに刺激的な世界観をもって読者に襲いかかる。
音楽、文学ともに将来が楽しみなアーチストである。
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壁に飾られた頭だけの鹿の剥製。深く孤独を感じた時、ふと眼について話しかけてみる。その何気ない呼びかけに、鹿の剥製たちが応え始めた――。
小二から施設で暮らし、全寮制の女子校へ進学するも友人を作らず孤独に生きようとする少女タイラ。結婚詐欺を生業とし、婚活サイトを利用して女性を漁る多田野マシロ。面倒くさくて重くてわがまま、重度の恋愛依存症で男に逃げられる少女あぐり。3人の主人公たちはそれぞれ孤独の底で突如鹿の剥製と会話ができるようになる。鹿との会話を通して、3人は目を逸らしてきた自分の本当の望みに気付いていく。そして物語は狂気の剥製師、夢路へ繋がる…。
ミュージシャンとして活動する黒木渚の、小説家としてのデビュー書下ろし小説。2915年に発表した2ndアルバム「自由律」限定版の付録として発表され、2017年に文庫本として刊行された作品である。
とにかく読みやすく、内容も難しくない程度に練られていた。全六章の内、第四章まではそれぞれ別テーマのライトな短編のように書かれている。それぞれの章は単独でも十分面白いのだが、第五章からの展開はその後本を閉じれなくなってしまうほど。第五章から突然、章全体を貫く一本の糸が妖しくグロテスクに艶めき始める。程よい爽快感と程よい後ろめたさのブレンドが丁度良い。
著者の本職はミュージシャンらしく、検索してみると少し青臭さを感じるような曲名が並ぶ。そのテイストは本作中の端々にも表れており、斜に構えながらも小さな光をしっかり見出し生きていく、そんな著者の姿勢を感じさせる。
「未熟者は、時に盛大に傷つきながら、それでも耐え忍ぶしか道はないのだろう。
なんて不条理で荒っぽい世界だろう。それでも、こうして肩を並べて『くそったれな毎日だ』と言い合える相手がいるならば、悪くもないかも、と思えた夜だった。」
主人公たちが会話する「壁の鹿」とは一体何か。作中では、自分を映す鏡としてカウンセリングの役割を担っているのでは、という多田野マシロの推論以上の言及はない。なぜ剥製なのか、自己の投影なのか、具体的な謎解きは読者の想像に委ねられる。
考えてみると「剥製」とは不思議なものである。生けるものを殺し、その後また生きているかのように再現する。視覚的には「生」を持つが、その内側は空っぽである。孤独に蝕まれる主人公たちが、見た目だけは「生きている」剥製に話しかけるのも無理はないのかもしれない。そしてその空っぽの中身に彼らが何を詰めるのか。彼らが詰められるものは「自分自身」しかない。無意識に自分自身を投影してしまっているのだろう。
本作は、自分を映す鏡のような存在の重要性を教えてくれる。私たちの鏡となるものは必ずしも剥製やカウンセラーに限ったことではない。音楽や美術や小説等、「自己表現」と呼ばれる行為そのものが「自己内対話」であり、それにより生まれた作品や行為が自分を映す鏡としての役割を果たすのではないかと思う。
不思議で、素敵で、グロテスク。本作ぐらいの心地よい毒気が一番万人受けしやすいのかもしれない。同時に刊行されたという単行本『本性』にも期待し���い。
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レンタカーの中、朝のFM番組から流れてきた「砂の城」という曲(詩の感性)に衝撃を受けた。誰かに似ている気もしてネットの口コミを読むと椎名林檎の名が現れる。確かに似ているとは思うが、椎名林檎のこともよく知らないからよく分からない。
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剥製の鹿と会話ができるなんて、ファンタジーだなあと思ってたけど、どんどん違和感がなくなって物語に入り込んだ。でも後半はなかなか…読み進めるのが辛い重苦しさもあり、読後は妙な納得感と達成感でした。
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この本は偶然、古本屋で見つけて、惹かれるように手に取った。ここに登場する主人公たちはどこか歪んでいる。そんな彼女たちのもとには偶然か必然か、目の前に〈鹿の剝製〉が現れる。そして皆が言うのだ。私は、僕は、あの時、確かに〈鹿の剝製〉と会話した、と。〈鹿の剝製〉とのひと時は、彼女たちが奥底にしまい込んだはずの思いを吐き出させる。この本を読み終えたとき、誰しもが自分にとっての〈鹿の剝製〉について考える。もちろんこれから出会うことにもなるかも。六つの短編としても、〈鹿の剝製〉で繋がった一つの物語としても面白かった。