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言っていることはそれほど特別なことがあるわけではないのだけれど、言葉がのびやかで、読んでいてしんどくない。この軽やかさはこの人の持ち味なのだろうなあ。
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わかりやすい文章。英語で読むべきだったかな。。
女らしくって、日本的発想と思ってたけど、意外と万国共通やったんやなぁ。
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何かの講演会での言葉をまとめた本だったようだが、さすがに、物足りなかった。ウェブで記事落ちてたら読むくらいの分量しか無いので、読書が苦手な人や、詩的な文章が好きな人におすすめ。
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一時間で読了。
すばらしかった!アメリカーナも読んでみたい。
訳者も素晴らしい。偏ったフェミニストでは無いところがいい。ナイジェリア出身の黒人女性が穏やかに問いかける語り口が良い。
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図書館で。
暫くの間ずっと貸出中だったからどれだけ厚い本なんだろう?と思ったら演説をまとめたものなのですぐ読める本でした。
フェミニストと言う言葉に対するイメージが悪いのは何故なんだろうなぁとは思います。女性の方が歴史的にも今も男性に比べて不当な扱いを受けているという事は程度の差こそあれ、女性だったらそうだよな、と納得するとは思うのだけれども男性でどれだけの人がそれをわかってくれるかと言ったら難しいだろうな、と思います。
ただ、女性だって男性の、社会や家族からかけられているプレッシャーを本音の部分でわかってあげられるか、と言われたら難しいだろうなぁと思うわけです。
男性が、女性が、ではなくその人の得意な分野や秀でている面で協力しあって共存できる社会というものを作ることが一番大事なんだとは思うんですけどね。そう言う意味では女性も男性も互いを尊重して認め合う必要があるとは思います。
まあとはいえ、一部の男性が女性という性を徹頭徹尾、否定するのは何でなんでしょうかねぇ?とは思います。彼らは自分は木の股からでも生まれたかもしくは父の頭から生まれたとでも思ってるんですかね?そういう意味ではやはりフェミニストが増える事の方が世界的には重要かもしれません。
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非常に具体的でわかりやすく、核心をついている。文量が少なくて読みやすいので、普段本をあまり読まない大人や中高生におすすめ。
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この本はアフリカのナイジェリア出身のチママンダ・ンゴズィ・アディーチェさんがTEDスピーチ(動画で見られる)で語った内容を翻訳したものだ。
彼女は「人間を取り巻く環境は1000年前と明らかに違うのに、性別による役割は変わることなく人々に観念として根付いている」と語っている。
なぜ女だから、男だから'こうするべき'という考えにとらわれ続けてしまうのだろうか。
男も女もジェンダーの問題があることを一緒に考えよう、と伝える彼女は、新時代のフェミニストだ。
彼女が書いた、「アメリカーナ」も読んでみたい。
図書館便りで紹介した。2018.1.18
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フェミニストって何?って聞かれるとワンピースのサンジみたいな感じじゃない?って思っていた私にとって、フェミニストとは、をちゃんと教えてくれた本。
この頃女性専用車両についてSNSでもめたり色々あるけど、皆この本読んだらいいんじゃない?アフリカの女性の方の本だから、そんな文化あんのかーと他人事が少し入りつつ読めるので、男の人もわがままな日本人女性の主張!みたいな感じじゃなくて気軽に読めると思う(誤解を恐れず言うと、同じ言語・文化を持つ男女ではお互い少し貶す気持ちが出てしまうと私は感じる)
本を読んだ私から女性専用車両のことをいうとすると、女だけ特別視するのはおかしい、じゃなくて女にも電車を安心して利用してもらうため、という男女の平等を図るため になるかなぁ
男の人が痴漢されるケースは女の人に比べて明らかに少ないと思うし……
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ナイジェリア、レイプ被害者が落ち度ばかり批判されるのも、金を持ってるのは男だと決めつけられて女が無視されるのも、売春の買い手が透明化され女だけが責められるのもみんな日本と全く同じで驚き!
アメリカでもこのTEDトークが大評判だったってことは世界のどこでもそうなのか?
女性差別は差別のラスボス、Woman Is the Nigger of the World
女性差別が文化や伝統ならば、そんな文化は変えていくべき、っていうの、日本人としてその通りだと叫ぶ。我らが生きているのは、救命のために土俵に上がった女性が穢れだと塩を撒かれる国!
トキシック・マスキュリ二ティーに言及してるのも良かった。男も女もみんなフェミニストじゃないと。「男性性」の強要は男性の加害性を高めるとともに、男性の人格を壊すものでもある。
でもそれでもその男性性は既得権益層と表裏一体だから捨てれないんでしょー。カミソリ社ジレットの既存の男性性に疑問を投げかけるCM、荒れに荒れたもんねー。どうしたら解体できるんだろうね
本書がフェミニズムの怒りを否定してないのがよかった。怒りには世界を変えるポジティブなパワーがある、その通りだと思う。そうじゃないと報われない。
化粧が嫌いでブラが嫌いで性差別的なジョークが嫌い、っていう古典的なフェミニスト像、正直それで何が悪いと言いたい。我々には頭があり心があり言葉がある。社会に忖度して黙り続ける必要なんてない。
あと男も女もみんなフェミニストじゃないと…ってのは、「男性学と女性学は同じコインの裏表!両輪でないと意味がないよねほんとそれな!」と思う反面、
フェミニズムを「既存の男性性、女性性に問題意識をもつみんなのもの」に拡大したら、女というだけで意思決定の場から排除され足を引っ張られ続けて、性犯罪やフェミサイドといった身体的危険に晒され続けている女性は…??みんなのものにしたら、一番力無きものからは奪われて終わりでは…??フェミニズムが都合のいい男性性の解体だけに使われて捨てられて終わるだけでは…??
「フェミニズム、攻撃的で嫌だと思ってたけど、男性性の解体も視野に入れてるんだね。これで男も生きやすくなるね!良かった!女性差別の解消や女性蔑視への批判?それはツイフェミの叫ぶエセフェミニズムだ!」みたいなね
でも、なるべく多くの層を取り込まないとムーブメントにはなりにくいし、とっつきやすさも大事だし…
みたいなジレンマ。
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フェミニストという言葉を聞いて、居心地が悪くなる人は男性女性限らず多いような気がしている。しかしこの本には臭い物に蓋をし続けない人の言葉が書かれている。
解決できればマシな世の中になるかもしれない。そう信じて活動してる人がいる。1時間程で読める本なので男性女性問わず全ての人に読んで欲しい。それからどう考えるかは個人の自由だけど。
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男も女もみんなフェミニストでなきゃ。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ先生の著書。フェミニストという言葉は素晴らしいけれど、日本ではどこかネガティブなイメージも残っている。フェミニストを自称する男性は他の男性から変わり者扱いされることもあるようだし、フェミニストを自称する女性は自己主張の強い面倒くさい人間というレッテルを貼られがち。でも、男性も女性もより幸せになれる世界を作るためには全員がフェミニストになることが一番の近道。フェミニストという言葉を改めて考えさせらる良書。
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ネットで繰り広げられる攻撃的フェミニストの言説にかなりの違和感があったので、大学でフェミニズムを研究していた妻に話をふったところ紹介されたのがこの本。
解説にもある通り、実に語り口がしなやかで攻撃的なところが一切ないのが好感がもてる。フェミニズムは過去の歴史的な流れから女性側により多くの抑圧があるということを踏まえた上で、男性も同様に「男性らしくあること」から解放されることが良いという主張はとても説得力がある。
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ジェンダーの問題は、私たちがありのままの自分を認めるのではなく、こうある「べき」だと規定するところにあります。もしもジェンダーによる期待の重圧がなくなったら、私たちはどれほど幸せで、自由で、個々人が本当の自分でいられるかを想像してみてください。(p.56)
フェミニズムはもちろん一般的にいえば人権の一部ですが、漠然とした表現である「人権」を使うと、ジェンダーという個別の限定された問題を否定することになります。何世紀もその人権から排除されたのが女性であることに気づかないふりをする方便になります。ジェンダーの問題が女性に的をしぼっていることを否定する方便になってしまいます。(p.67)
文化の重要性とは何でしょうか?文化は究極的に、一つの民族の保持および継続を確実なものにするために機能します。わたしは自分の家族のなかで、祖先の土地で、その伝統内で、私たちが誰であるかという物語にいちばん強い関心をもつ子供です。わたしの兄弟はそれほど強い関心をもっていません。なのにわたしには参加する権利がありません。(p.75)
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https://www.youtube.com/watch?v=hg3umXU_qWc&vl=en
2012年
「フェミニスト」という言葉は、ときに「テロリスト」のように誰かを非難する言葉として使われる。「フェミニスト」という言葉は、ネガティヴな重荷を背負わされている。
「何かをくり返しやっているうちに、それは当たり前のことになります。何かをくり返し見ているうちに、それは当たり前のことになります。」p.21
権力や名声と伴う地位にいる男性ばかりを見ていたら、そういった地位につくのが男性であることが「当然」と思えるようになっていく。ステレオタイプが私たちの思考を限定し、形成していく。
同一の仕事をしていても、男性は男性だからという「理由で」、女性よりも賃金が高い。世界は男性が支配し、権力は男性が独占している。
千年前の人類は、生き延びるためには身体が強靭である必要のある世界に生きていた。そのため、身体的に強い人が指導者になりやすかった。例外もあるが、一般的には男性の方が身体的には強靭だ。千年前の世界なら、支配者が男性であってもうなずけた。
しかし現在では、私たちはまったく異なる世界に生きている。現代の指導者に必要なのは、知性や創造性や革新さだ。こういった特性には男性と女性との間にある生物学的な違いは関係がない。
女性より男性の方が重要だという価値観の浸透している社会で、女性が無視されたとしてもその女性を無視する人に悪意はない。現在機能しているジェンダーは非常に不公平だ。人類の52%を透明人間にしている。
「わたしは怒っています。私たちはみんな怒るべきです。怒りにはポジティブな変化をもたらしてきた長い歴史があります。でもわたしには希望もあります。自分たちをより良いものに作り直す人間の能力を信じているからです。」p.34
怒りを感じたら怒るべきだ。それで脅かされるように感じる人を脅かせばいい。女性は「好かれる」ことを特別大切なこととして育てられる。
「ジェンダーが世界のすみずみで問題になっています。そこでわたしは今日、これまでとは違った世界を夢想してプランを練りはじめたほうがいいと呼びかけたいのです。もっと対等な世界を。自分自身に誠実であることで、より幸せになる男性たちとより幸せになる女性たちの世界を。これが私たちの出発点です。私たちの娘を違うやり方で育てなければいけないのです。私たちの息子もまた違うやり方で育てなければいけないのです。」p.41
男性は人間性を抑圧されながら成長する。男らしさという堅い小さな檻に彼らを閉じ込めている。「強い男」であるためには本当の自分は隠さなければならない。男らしさとお金が結びつき、物質的手段で男らしさを証明しなければならないプレッシャーも有害だ。男性が強く男らしくあらなければと思えば思うほど、彼らのエゴは脆くなっていく。
そして男性の脆いエゴの欲求を満たす役を背負わせるために女性を育て、彼女たちに甚大な危害を加えている。女性の人生の目的は結婚だと信じさせ、一定の年齢まで結婚していないなら人間的に欠陥があるとみなす。そのために間違った選択をしても、結婚や人間関係を維持するための妥協をすべきなのは、どちらかというと女性だと教えている。
「私たちはみんな社会的存在です。社会のなかで生きることによって、その価値観を内面に取り込んでいくのです。」p.49-50
「ジェンダーの問題は、私たちがありのままの自分を認めるのではなく、こうある「べき」だと規定するところにあります。もしもジェンダーによる期待の重圧が無くなったら、私たちはどれほど幸せで、自由で、個々人が本当の自分でいられるかを想像してみてください。」p.56
「わたしはもう女であることに弁解じみた態度をとらないと決めました。女であることでそのまま敬意を受けたいのです。当然そうあるべきなのですから。」p.65
文化は共同体の保持および継続を確実なものにするために機能する。その文化を作るのは人々だ。女性に十全な人間性を認めない文化は、女性に十全な人間性を認める文化に作り替えなければならないし、それは可能だ。
「私自身の、フェミニストの定義は、男性であれ女性であれ、「そう、ジェンダーについては今日だって問題があるよね、だから改善しなきゃね、もっと良くしなきゃ」という人です。」p.79
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とても短く、シンプルで読みやすい1冊
(もともとTEDでのスピーチ?トーク?であったものに
加筆したとのことで、本を読んでいるというより
講演会などで話を聞いているようなわかりやすさもある)
母ひとりに育てられ、
フルタイムで懸命に働いても
同等の仕事をしても
同じだけのお給料や肩書きを与えられることがなかった
女性を身近で見てきたし、
それが自身の学習環境にも影響した私にとって、
ジェンダーはとても大切な社会問題だし、
リアルにさまざまなことを感じている。
それでも私は男嫌いではないし、
友人には男性も女性も同じくらいいる。
性別では分けられない立場にある人も。
それは私が友人を選ぶことについては
重要なことではない。
常にあたまの片隅にある私の信念は、
この本の最も強いメッセージによれば
"フェミニスト"に分類されると思うし、
私はそのメッセージに共感するので、
そうであるならば、今日から堂々とフェミニストでありたいと思った。
「わたし自身のフェミニストの定義は
男性であれ女性であれ、
"そう、ジェンダーについては今日だって問題があるよね、
だから改善しなきゃね、もっと良くしなきゃ"という人です。
女も男も、私たち「みんな」で良くしなければならないのですから。」