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著者の略歴にスリランカ仏教界長老と紹介されている。
自分のためているものを見れば、自分の描く未来像が見えてくる。
例えば、お金をやたら貯め込む人は「とにかく貧乏にならない」読みもしない本だらけの人は「本をたくさん読んで物知りになるか、古本屋になりたい」など。
何かをためたい場合、「なぜそれをためるのか」という目的を意識的にはっきりさせると良い。(何を、何の為に、どれくらいの量を、どれぐらいの期間)
「捨てる事は幸せなこと。ためることは暗くて何の意味もない」
「道徳を尊び、悪をやめ、善をためるように生き方をかえていかなくてはなりません。」
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「モノをためるのではなく、精神のほうに向か」う(p184).
「悩み苦しみが起こるたびにその出来事に対して執着を捨ててみる」(p192)。
わかってはいるけど、なかなかできない…。
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ためない生き方 ネガティブな心を上手に消す智慧。アルボムッレ・スマナサーラ先生の著書。過剰な自尊心や自己顕示欲、怒りや嫉妬、怨恨や後悔といったネガティブな感情を捨てれば気楽に前向きに生きられる。言うは易く行うは難しだけれど、頭の中で意識するだけでも変わってくるかも。
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未来を心配するから溜め込む。溜めている物を見れば自分の描く未来像が見える。どうなりたいか分からないから何でも溜める。
溜めたものは使ってこそ価値がある。溜めたものを使う時が一番幸せ。
お金は目的を持ってためて、使うべき時に使う。
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「本当に常識的な人は、コレクターにはならないでしょう。世の中には、ためたもので自分のアイデンティティを作る人がいます。」など、アルボムッレ・スマナサーラ長老は、一部の人に嫌われることを厭わないことを平気で仰います。でも、いずれも、少しでも仏教を支えに生きようと思った人なら当たり前のことです。
「諸行無常の世の中で、ものをためることほど空しいことはないのです。また、モノに支えられたアイデンティティほど脆弱なものはないのです。」では、私たちは、なぜ、ものに頼るのでしょう?それは、きっと、それが一番、簡単だからです。
アルボムッレ・スマナサーラ長老は、仰います。「ためたものをありがたく感じるのは、それを使っているときです。」そうです。何かに備えて、ためたものであっても、使いさえすれば、無駄になることはありません。災害のために備蓄したものでも。賞味期限切れにして、無駄にするよりは、必要な時に使って、補充しておけば良いのです。
必要なものを必要なだけ持って、それを使い切ることが大切ですね。
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人間の心は、ネガティブになるのがデフォルト。
ポジティブにするのは心がけ。そこからさらに気づきを経て、中庸に持っていく。
不安だから、ためこむ。でもためこむと、いつの間にかゴミ屋敷になってしまう。
ネガティブな心と向き合う智慧を授けてくれる本でした。
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貯める事に執着するとそれ自体が目的となり使う事が出来なくなる。適切に貯めて使うことが本来の目的であることは肝に銘じたい。
必要なものは自分から取りに行かないといけないが不要なものは勝手に溜まっていく。
これは物質的にも心理的にも同じ事が言えるだろう。
勝手に貯まる不要なものはその都度捨てなければいけない。放っておくとコピーされて無意識にまで侵食していくだろう。
溜め込んでしまう気持ちを抑えていける自分になりたい。