紙の本
お菓子に輝きを感じていたころ
2017/04/19 20:31
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投稿者:るう - この投稿者のレビュー一覧を見る
子供のころのお菓子の思い出が蘇ってくる一冊です。作者さんのお気に入りだった妖精のカードがついてくるチョコなど贅沢な時代があったのですね。比べてみると今のお菓子は子供に阿り過ぎ?
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2009.11.03. 長野まゆみさんの幼い頃からのエッセイ。よくここまで細かに記憶してるものだと思う。こうして美意識は培われたのか、とも。
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母世代の話だったので、時折母に話を聞きながら読みすすめた。
『少年アリス』誕生秘話を知る事が出来てとても嬉しい。
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著者とは時代が違うのに懐かしいことこの上なかった。
小さいとき食べた英字ビスケットとか紐付き飴とか思い出した
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本とあまり関係ないのですが、じつは前から長野氏は萩尾望都さん好きなんだろうなーって思ってたので、文中にて触れられていてひとりニヤニヤしてしまいました。
わたし、長野氏の文章に出てくる食べ物に食欲はわかないので、食べ物系の文章が多いこの本はそんなに楽しめなかったのが本音です。
でも、食欲はわかないけど、小説に出てくる食べ物のセンス(字面とか取り合わせとか)はすきです。
たとえば新世界に出てくる、珈琲に花のつぼみを浮かせて蜜を混ぜるっていうものとか。衣食住の単語も世界観に合う当て字や創作単語を使うのが好みでした。
(最近は近現代の舞台が多い所為か単語もひらがなに開いたものが多いですね…
初期の『漢字や仮名を組み合わせて模様を作るように文章を書いていた』ころの作品がなつかしいです)(※『』部分はうろ覚えですがデビュー間もないころの本人のコラムより)
ところで、日本十進法の分類、914.6(現代日本のエッセイ)か596(食に関するエッセイ)だろうなと思ってたら
国会図書館の分類は913.6(現代日本の小説)…
なんでだろーって思ったら、初出の文藝の時点で『書き下ろし小説』と銘打たれてましたね。
小説(私小説)と随筆のジャンルの分別がよくわかりません。
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時代背景を追いながら、当時のお菓子について語られている。
現在の甘党と昔の人の(麦茶に砂糖を入れるような)甘党では、甘さの量もかなり違うのね。
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名前の通り、その時々の「ごちそう」をまじえた長野さんご自身の回想録。
ご年齢を存じ上げなかったのですが、父母より年上の方なので、正直よく分からなかったのでした……。すみません!
初期の作品こぼれ話的なものもあるので、ファンには楽しめるかなと思います。でも、やはり、同年代の方が読んだ方がより楽しめるのだろうなーと。
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長野さんの作品は小説4・5冊しか読んだこと無いけれど、
清んでいて「生きている」臭いが漂わない美しさ、
硝子や人形といった人工物を連想してしまう文章を書くイメージ。
壊れる時も"メキッ"とか"バキッ"じゃなくて、
ぱりん、と軽みのある音を立てそう。
そんな印象が薄められた本作。
人間味のある"食"にまつわる内容で
しかもエッセイ調だからかもしれない。
だけど、自叙伝なのか小説なのか線引きが曖昧で
ノスタルジックな駄菓子が対象ですら洒落た印象を受ける
描写とエピソードは可憐な雰囲気。
彼女の生活の中で創作活動の比重が重みを持つにつれ、
反比例的にお菓子のポジションが軽くなる。
長野さんにとって「創作」と「お菓子」は
同様に甘みをもつものなのかな、と感じる。
残念ながら私と著者との年代のギャップがあり
共感しづらい箇所はあるものの、
お菓子絡みの個人的年代記を追う過程で
時代の推移もほのかに読み取れるのも面白い。
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年とともに懐かしいお菓子の数々が、筆者の記憶とともに書き綴られています。
「少年アリス」になったかもしれない(?)、銀の実と鳥の話が載っています。
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たしかに「お菓子手帖」なんだと思う。が、思っていたイメージとちょっと違う。この人の作品を読んでいればそうは思わないかもしれないけど。
なんか、説教されてる気分になるので、自分にはあっていないのだと思う。
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請求記号:F/ナガノ
資料番号:011105350
「おいしい本」②
1959年生まれの作者が,誕生から小説出版までを,記憶に残るお菓子を中心に振り返る自伝風小説。
味はもちろん,見た目のかわいさやキラキラした包み紙,心をくすぐる響きの名前まで,お菓子の持つ甘やかな魅力を存分に堪能できます。
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夢のような、ノスタルジックな、お菓子たち
昭和34年から54年まで。ひとりの少女の誕生から成人までと、その時代を彩るお菓子を中心にした文化史を詳細に描いた、まるでエッセイのような小説。
私は生まれていない時代のことですが、夢のようにおいしそうなお菓子たちの話がなぜかノスタルジックです。
これは、昭和のこの時代だかこそ成立する話であって、現代で書こうとすると、とても難しいのではないかと思う。なぜなら、お菓子もそうだけれど、今の時代というのは、あまりにモノ・情報に溢れていて、ひとつのサブカルチャーを共有することすら難しいから。
長野まゆみの作品は、いつも印象的な食べ物に彩られています!
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“チョココルネも好きだった。硫酸紙のフタがついているのをはがし、そこについたチョコクリームをお行儀わるくなめてから、本格的にたべはじめる。ちかごろは透明のフィルムでフタをしたものが多いが、硫酸紙でふさいであるのが、正調である。
わたしの場合は、うずまきのしっぽをすこしずつちぎって、それでチョコレートクリームをすくいながらたべる。
邪道である。鯛焼きのように、ちゃんと頭から食し、うずまきのしっぽのクリームのないところを、さいごに味わうのが正しいたべかたである。しかし、その作法どおりにたべていると、すぐに満腹になって、うずまきのしっぽにたどりつかない。しっぽこそが、うまいと思っていたので、チョコレートクリームに飽きないうちに、さっさとたべてしまうというわけだ。のこったチョココルネがどうなっていたのかは知らない。母がかたづけていたのかもしれない。”
自伝風。
甘くて美味しいものが物凄く食べたくなってしまった。
“かつて新宿の伊勢丹に<バビントン>というティールームがあった。
(中略)
ここでは、極上のマフィンとスコーンを食すことができた。あの味に二度と出逢えなくなると知っていたら、もっとありがたさをかみしめながら味わっておいたのに。なんだがいつも、友だちとあれこれおしゃべりしながら、いつのまにかたいらげていた、というようなしだいで。
とにかく、焼きたてで出てくる。マフィンはもちろん、アメリカ式カップケーキ型ではなく、ひらたくて丸いかたち。二枚にひらいてトーストしたものが出てくるけれど、フォークかナイフのさきをさして、さくっと半分にしたのだろうとわかる切り口だ。ハム&チーズマフィンは、縁がちょっと焦げているくらいに熱々の焼きたてで出てくる。
スコーンの、ざっくりした焼きあがりも格別だ。シロップとマーマレードとクロテッドクリームがついてくる。いまや、スコーンを売る店はいくらでもあるけれど、どれもこれも甘食を思いだす口あたりだ。ぽろぽろとくずがちらかるのはだめ。スコーンそのものに、あれこれフレーバーがついているのもだめ。チョコチップいりやナッツいりなどもってのほか。<バビントン>のスコーンは、シンプルに小麦のうまみを味わうことができ、ざっくりしていながら、しっとりと香ばしく、クリームやシロップとよくなじんだものだった。
この店でマフィンやスコーンをぱくつきながら、子どものころに読んだ『パディントンのクリスマス』(M・ボンド作『くまのパディントン』の続篇)で、“ママレードサンドイッチ”と翻訳されていたパディントンの大好物は、たぶん、これのことだったんだ、と思ったものだ。”
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とりあえず不二家がよく出てくること w お菓子の話題だけあって興味深いの連続でした。あと,イギリスっぽいおしゃれをしたくなった♪(もうすぐ秋) 終盤・賢治の考察で,透き通った感じに触れたくなった!宮沢賢治借りてみようっ
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長野まゆみさんのお菓子随筆集。
お菓子がキラキラしている。
思っていたよりずっと年齢が上ということがわかって驚いた。
戦中戦後を過ごした人なんですね。
少年アリスってそんなに前に書かれた話だったんだ…。
これ、さらーっと読んでしまったのでしっかり内容覚えてるわけでも
ないけど、二回読む感じでもない。
でも何年かしたらまた読みたくなるかも。