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2021年4月 橋田先生がお亡くなりになったとの報道があったが
結局 先生の思い描いた通りの終焉をお迎えになられたのだろうか?
作中で何度も「私には心配してくれる人がいない。生きていることを望んでくれる人が誰もいない。」と何度も書かれてありましたが、本当にそうだったのでしょうか?
ボケてしまう前に安楽死 周囲に迷惑をかける前に安楽死
理想的だけど、私もそうして欲しいと思うけど、他の人に当てはめて考えようとすると そんな簡単にはいかないわよって酷い思いが湧いてくる。
今 私は50代を迎えたばかりだが、30年後もう一度読み返してどんな思いを抱くのか確認したい本だと思う。
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死と向き合うのはとても勇気がいることで、死ぬことは忘れながら生きている。でもこの超高齢化社会で、生きることが辛かったり周りを苦しめてしまう(無理心中とか)ことを考えると選択肢のひとつとして選べることには価値があると思う。
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橋田壽賀子さんの著作、ブクログ登録は2冊目になります。
橋田壽賀子さん、どのような方か、ウィキペディアで確認しておきます。
橋田 壽賀子(はしだ すがこ、1925年〈大正14年〉5月10日 - 2021年〈令和3年〉4月4日)は、日本の脚本家、劇作家、タレントである。本名:岩崎 壽賀子(いわさき すがこ)(旧姓:橋田)。位階は従三位。静岡県熱海市名誉市民。
本作の刊行は2017年なので、書かれた時の著者の年齢は92歳位になります。
少し前に、橋田壽賀子さんは、安楽死に賛成の立場をとられていることを知り、衝撃を受けたものです。
が、今は、私も賛成です。
本作を読むと、著者が、生前、安楽死について深く考えていた姿が浮かんできます。
本作の内容は、次のとおり。(コピペです)
92歳「渡る世間は鬼ばかり」の人気脚本家が語る究極の往生論衝撃の問題提起で2016年「文藝春秋読者賞」受賞!著者が「終活」を始めたのは89歳の時でした。きっかけは著者のことをママと呼んで親しくしている女優の泉ピン子さんから「ママはもう90なんだから、じゅうぶん歳を取ってるんだよ」と言われたことでした。夫に先立たれ、子供もなく、親しい友人もいない天涯孤独。仕事もやり尽くし、世界中の行きたい所へも行きました。やり残したことも、会いたい人もいない、もう十分に生きたと思いました。遺言は80歳の時に作っておいたので、まずは物の整理から始め、今までのドラマの原稿、ビデオテープ、手紙類などを大量に処分しました。あとは人に知られずにひっそりといなくなり、死んだことも公表せず、葬式や偲ぶ会もしないと決めたのです。ただ、唯一気がかりなことは、病気になったり、認知症になったりして、人さまに迷惑をかけることです。それは著者の尊厳の問題でした。死ぬ時に痛いのや苦しいのも勘弁してほしい。いつどうやって死ぬのかはやはり自分で決めたいと思った時に考えたのが「安楽死」です。しかし、現在の日本の医療現場で安楽死は許されていません。ヨーロッパの国やアメリカの州のいくつかで合法化されていますが、日本人が安楽死を希望する場合はスイスのNPOを頼ることになります。そのため著者は、日本でも法を整備し、自らの死に方を選択する自由を与えてほしいと主張します。もちろん、あくまで本人が希望し、周りの人の理解が得られた場合です。著者が2016年12月号の「文藝春秋」に寄稿した「私は安楽死で逝きたい」は大きな反響を呼び、第78回文藝春秋読者賞を受賞しました。読者の方からは「私も賛成です」「法制化の旗振り役になってください」など多くの賛同の声が寄せられました。本書には、病気で苦しむ妻に悩む男性や、進行性の難病を抱える男性と著者との手紙の対話も収録しています。
●2022年10月8日、追記。
本日の聖教新聞の記事に、「T4作戦」のことが書かれていた。
T4作戦とは、「ナチス・ドイツによる強制的な安楽死政策。優生思想に基づき、障がい者や病気の回復が見込めない人など、約20万人が犠牲になったとされる。」
こういう時代を生きた方々は、安楽死の賛否には慎重になりそうです。
●2023年9月4日、追記。
読売新聞によると、ヨーロッパでは、安楽死を認める国が急増しているとか。
以下、記事の引用です。
---引用開始
近年、安楽死を認める国が西ヨーロッパを中心に急増しています。ドイツは第2次世界大戦中、ナチスによる障害者(多くは精神障害者)の大量殺人が「安楽死」として行われた歴史から、安楽死はタブーとされてきましたが、2020年、憲法裁判所が安楽死を認めました。
2022年にはイタリアでも「合法的自殺幇助(ほうじょ)」が初めて実施されました。
---引用終了