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春日がふつうのにんげんとして最終話を迎えてしまいあっけに取られた。しかし、最終話で仲村さんをふつうのにんげんにしたのは春日だったというオチで、1話からのドロドロぐちゃぐちゃした物語が完全に昇華された。
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別マガを追いながら、あーかわいいカノジョができたらどうせそんなもんだよなー、とか、あー押見センセーもアーティスティックになったもんだなー、とか、あーどうせ誰でも子供ができたら丸くなるんだなー、とか、こんな終え方しか考えられなかったのかなー、とか、考えていたが、こうしてまとめて読み返してみると、これはこれでこういうものだったのだ、と。
むしろそこまで私の鬱屈した現状を掻き乱してくれていたのだとも思い直すことができる。
つまり思春期にいつまでもつまづき続けている私の自意識に針を刺してくれたのだ。
「二度とくんなよ、ふつうにんげん」
ここ数年はこの漫画に心を奪われ続けていたので、ともかくも感謝。
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まあ、こんなもんかな、と…年齢的に立派な大人になってしまった僕にこの最終巻の展開は少々こっ恥ずかしかったです(笑)
なんかかつての…何に悩んでいるのかすら分からないモヤモヤを抱えた中高生時代の自分を見ているようで居たたまれない…そんな心境に陥りました。
ヽ(・ω・)/ズコー
けれどもまあ、全体的には良かったんじゃないですかね! 個人的に仲村さんが現れなくなった頃から少々、この漫画の勢いが削がれてしまったように思っていたのですけれども、終わり良ければすべて良し! ということで☆三つです…さようなら。
ヽ(・ω・)/ズコー
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コミックでしか描けないシーンの数々。美しかった。完結。
最後のノートからのくだりは春日が過去と自己を距離を置きつつも直視できるようになった象徴のように思えた。
思春期に限らず、暴走する自己と折り合いを付けていくことは重要なテーマ。本書はあらゆる世代に読み継がれていくだろう。
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6巻くらいから際立ってきたと思うんだけど、キャラクターの表情が異様に強くなって、直視されると次のコマ行けない的な。『みーまー』の大江湯女とかを凌駕する眼力があると思う。
これは若いうちに読んだ方が結構効くと思うな(中2〜3とか)まあ、どうなっても保証は出来んけど!
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"子供"の潔癖さで観る"大人"は嘘つきで偽善者でカッコ悪いのかもしれない。
でもそれは社会に適応するために必要なスキル、自分とは違う個性を持つ他者との間で無闇に傷付けたり、傷付けられたりしないための鎧です。
剥き出しのまま、変態のまま、潔く生きたい仲村さんには気持ち悪く、生き辛く感じるのだろうけど…。仲村さんは大人になれたのでしょうか?
マンガの幸せな未来の妄想を裏切るようですが、大人になって社会に出てもしんどいことは多々あります。でも幸せを感じる瞬間も時々あるから、なんとかやっていけるのかなと思います。
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ついに完結。
覚悟して読んだものの、意外と読後が悪くなくてビックリ。
みんなそれぞれに幸せになった…ということでいいのかな。青春だなあ。(/ω\)
最終話を読んで、もう一度最初から悪の華を読むと違った観点で読めそうです。
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人は苦悩し迷いながら大人になる。綺麗な終わり方だと思う反面、春日には仲村さんといつまでもクソムシでいて欲しかったとも思う。仲村さん視点の世界はまさに狂気で、その世界の光が春日だったんだな…
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一気読み。ダークサイドから最終巻で全てハッピーエンドなかんじ?
最後の中村さん視点の中学生時代は何だか悲しくなった。多感な時期、自分が感じる世界と周り感じてるであるう世界とのギャップ、伝わらなくて伝えられなくて、困ってるのにどうしようもないかんじ。本人じゃないとわからない。でも世界がキレイだと感じられるようになった中村がいて、読んでるこちらが救われた。
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咀嚼しきれないながらも、読み終えた今の感覚をなにか残しておかないと気が済まない。そんな作品だった。
とくに最終話は、様々に解釈可能なものではあるんだけど、私にとっては、勝手にこういうことだと確信を持ってしまうものだった。
以下はそんな一読者が勝手に感じた確信と思ってください。
主人公春日の視点から見た仲村は、ずっと、普通の人とは違う、得体の知れない怪物のようだった。
だからこそそこに何かこの世の真理のようなものすら投影して、自分が思っても言葉に出来なかった(あるいは自分がもやもやと感じているような気がしながらもうまく言語化すら出来なかった)ことを代弁してくれるように感じた。
だから、それは春日の目にひどく魅力的に映りながらも、理解を超えたものであった。その理解しがたさ、手の届かない感覚はずっと春日を苦しめて、それと同時に、惹き付けた。それはやはり、彼にとっての物語では最後までそうだったろうと思う。
もちろんそれは春日の視点を借りたわたしたち読者にとっても同じことだった。
最終話は、幻想でも56話のような夢でもなくて、そんな仲村の「あのときの」視点なのだと思った。
だから、あんなにも理解を超えたものだった、春日を含めて誰に対しても心を開いていないように見えた仲村も、他のすべてが同じ空っぽで蠢くものの中にあって、「あのとき」から春日だけは血の通った人間として、眩しく生々しく感じることが出来ていたんだと思った。
それは最後の最後で仲村と春日の出会いに意味を与える、読者にさしだされた救いの手のようだった。
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仲村との再会。そしてふつうにんげん春日高男の旅立ち。
仲村サイドの物語の狂気に満ちた視点は衝撃的。
これは春日の手になる物語、ということでいいのだろうか。
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主人公の人生を大きく決めた、仲村さんとの出会いをほとんど言葉にせずこんな風に決着させたのには、物足りない感じもすると同時にしっくりくる感じもする。もともとこの2人の繋がりにあんまり言葉ってなかったし。
分かってたようで分かってない、分かってないようで分かってた、そういうことだったのかな。
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○噂にたがわずとてつもなく面白かった
○むずむずしながら読んだ
○子供には読ませたくない
○押見の本は、完結してから読みたい
○これを週刊で追いかけていくのは、難しいとおもった
○ひととおり、押見作品を読みたいとおもった
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一言で言うと依存症の人の話
1巻だけ読んで半年ぐらいその続きを読んで無かったんだけど2巻以降が面白かった
1巻だけ読んでつまらないと思って辞めた人がいたら是非2巻以降を読んでください
一気に読めるって意味では面白いんですけど、自分で言うぐらいの変態だからそんなに言うほど変態じゃないとこと(中学生だからしょうがないか)、後味が悪くないのも個人的には残念
一部のところで何も解決しないまま終わってくれたら最高でした
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仲村さんのような人が小学校の時にいた。自分は春日のような「ふつう」にすら到達していない。「何してんの?」と問われたら、何と答えるられるだろう。