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著者は、ドイツ文学者で、カフカを読んだ本は池内氏のものだったのではないか。70歳をこえて、老いを見つめる目の確かさは、さすがと驚く。エッセイストの文章のうまさもさることながら、客観的な視点の持続を失わない。巷にはびこる老いの空元気と壮年時代の記憶の読み違えで、迷惑をまき散らす人々には無縁の境地である。最終章の”老いと病と死”は見事な覚悟です。
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すごいトシヨリBOOK
トシをとると楽しみがふえる
著者:池内紀
発行:2017年8月15日
毎日新聞出版
有名なドイツ文学者だった彼は、冒頭で自分がいなくなる予定を三年ずつ延ばして、延長した時間の中で人生を生きていく、と書いている。2017年夏にあとがきを書いているが、他界したのが2019年夏。三年の延長の節目だったのだろうか。
55歳で東大教授を早期退官し、作家、翻訳家、ドイツ文学研究者などとして自由に生きていった姿が覗える快作だった。僕は著者が出ていたラジオ番組(日曜喫茶室)が好きで、著者のファンでもあった。もう新しい作品が読めないと思うと寂しい限りだ。
この本を読んでいると、著者は年寄りの味方なのか敵なのかよく分からなくなる(笑)。年寄りは、批判の仕方は上手だし、弁も立つ、マイナスを数えることにも敏感だが、批判の基準がやっぱり古い。見当違いなことで批判していることも多いのではないだろうか、と否定的なことを多く書く。一方で、年を取らないと分からないことがある。例えば、年寄りを相手にする医師など当てにならない。なぜなら年寄りの気持ちなんか理解できないからだ、と辛辣に言い切る。
誠に鮮やか、爽やかな時間を過ごせる一冊だった。
締めくくりに、自分の死に際について、
「僕は風のようにいなくなるといいな」としている。
本当にそうだった。これまた爽やかだった。
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自分が老いるというのは初めての体験で未知の冒険。日々、気が付いたことを記録するための「自分の観察手帳」を作った。
幼い子にとっては今日がすべてで、明日なんかない。「明日がある」とは大人の判断で、子供は自分の精一杯の時間を生き、それが終わるのだから非常に悲しい。近所の幼稚園では午後になると、子供たちが(別れ際に)呼び交わし、泣きそうになっている子もいる。
コミュニティセンター的な集まり「シニア元気集団」が目標としがちな「人生再生」「よみがえり」。そういうふうに群れるのをやめて、一人一人が自立すべき。何かしらのプラスが生まれるのでは。特に男性は自立意識が低い(会社勤めで集団行動してきたため)。
堀口大學は宮中に招かれ、昭和天皇の前でこんな歌を詠んだ。
新海魚 光に遠く住むものは つひにまなこも失うとあり
世間から遠く離れたところに住む昭和天皇を前に、周囲はぎょっとしたらしいが、昭和天皇が非常に喜び大學も高齢だったため問題にならなかった。
ちょっと目を離すとその物が見つからなくなる。目を皿のようにしていると絶対に出てこない。こういうのを昔の人も「器怪」と呼んで、日用品が化けてモノノケになると考えていた。
著者が作った老化早見表(ピラミッド型)
下から(症状の軽い順)
・カテゴリー3
失名症 横取り症(人が話している時に口を挟む) 同一志向症 整理整頓症 せかせか症 過去すり替え症
・カテゴリー2
年齢執着症(君、若いよね) ベラベラ症 失語症 指図分裂症 過去捏造症 記憶脱落症
・カテゴリー1
忘却忘却症(忘却していることを忘却している)
著者の友人は癌が見つかり、エロ写真を処分しはじめ、毎日出勤の際に少しずつ持ち出して、駅で捨てていた。しかし、癌は誤診だった。笑えない喜劇。著者は、そういうのは大手を振って残せばいいと主張。
老人が自立するためには、
テレビと手を切る
元同僚、元同窓といった「元」がつく人たちとの縁を遮断する
家族から自立する
原発王国のフランスでは、原発のある場所が全部、ワインの生産地。仮に福島のような事故があっても、その地域のワインが飲めなくなるだけ。ワインは痩せ地がいいから。
ホテルは一つの部屋に人間の生活する条件を全部コンパクトに入れる、技術の集積地。20年前の技術と現在とでは雲泥の差があって、どんな名門ホテルでもリニューアルをしていなければ20年前と同じ。
「十五少年漂流記」「西遊記」「宝島」「ああ無情」「巌窟王」といった名作を60、70歳で読み直すと意外に面白い。あの時代の小説家はみんな、行数計算で原稿料をもらっていたため、金に困ったらぐーっと描写を引き延ばす。だから、あんなに長い。必要がない描写。子供の頃に読んだダイジェスト版で十分。
日本は終末期医療について真剣に議論しない傾向。倫理観ばっかりいう。結局、患者を一番苦しめてしまう。製薬会社と病院にとって(助からないのに延命させることが)非常に大きな収入源なので。
あるエッセイストと話していて、「孤独死って今、みんな避けたがっているけれども、考えようによっては孤独死って幸せなんじゃないか」という話になった。
これまでずっと、どんな生へ向かって、どんなふうに生きるかという選択をしてきた。最後はどんな死へ、どんな死に方をするのかという選択があっていい。
僕は、風のようにいなくなるといいな。
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著者は、かなりマメな人である。メモを取るにしても、コレクションをするにしても、それらを自分で楽しみながら実践されておられる。老いを楽しむ一つのヒントは、マメになることなのである。
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歳をとってからの老いに対する向き合い方、時間の使い方、身体の衰えへの対処のしかたなどをエッセイ風に軽快に書いていておもしろかった。
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池内紀(1940~2019年)氏は、東京外語大外国語学部卒、東大大学院人文科学研究科修士課程修了、神戸大学講師、東京都立大学助教授、東大文学部助教授・教授等を経て、早期退官後、文筆業・翻訳業に従事。カフカを中心にドイツ文学の評論・翻訳が専門ながら、旅行記ほか、幅広く文筆活動を行った。毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞、読売文学賞等を受賞。宇宙物理学者の池内了は弟、アラブ研究者の池内恵は子供。
本書は、著者が70歳になったときから、自らの老いに関して気付いたことを、自分の「観察手帳」に書き綴ってきた内容を、76歳の時点で聞き書きにより書籍化したものである。尚、著者は、観察手帳を書き始めたときに、77歳のときにはこの世にいない、という「予定」を立てたそうだが、実際には78歳で死去している。
私はアラ還世代となった数年前から、人生後半に向けて書かれた、五木寛之、斎藤孝、佐藤優、大前研一、出口治明、弘兼憲史、黒井千次、成毛眞ほかによる、多数の指南本を読んできて(私は読書が好きなので、この手の本ばかり読んでいるわけではない)、本書もその一つとして手に取った。また、私はゲーテが好きで、著者の『ゲーテさんこんばんは』も読んでいる。
読み終えて、全体としては、トシヨリになったことによる衰えや弱みを正直に明らかにし、楽しみながらそれらに向き合おうというスタンスで語られているが、聞き書きのせいか、内容が少々散漫な印象を受けた。また、この種の本の例に漏れず、自分の今後の参考にしたいと思う点もあれば、自分には合わないと思われる点もあった。
参考にしたい点を挙げると以下である。
◆自分の人生のゴールの年齢を仮設定し、それまでにやっておきたいこと、やっておくべきことを決める。(著者は上述の通り、ほぼ設定したゴールの年齢で死去したが、どのような最期だったのだろうか。。。) 設定したゴールの年齢で運よく生きていたら、それ以降はゴールを3年ずつ延長する。
◆スケジュールを、1日用、1週間用、1ヶ月用、季節用の4通り作り、その期間内のどこかでやるようにする(実際にはやらなかったことがあっても構わない)。
◆後半生は、4年くらいを一単位にして、何かを仕掛けてやってみる。新規のことより、過去に多少かじったことの方がベター。(著者は、デッサン、ギター、将棋、歌舞伎観劇等をやった)
◆「老いとは寄り添え」、「病とは連れ添え」、「医者は限定利用」。医学の限界を知り、延命措置、終末医療は受けない。(よく言われることなのだが、私も、これについては絶対に失敗したくない)
数ある類書の中から一つだけ読むなら、敢えて本書である必要はないが、読めばそれなりに参考はなる一冊というところだろうか。
(2024年1月了)
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「ドイツ文学者・池内紀の語り下ろし。老いに抵抗するのではなく、老いを受け入れて、自分らしく楽しくトシをとろう。そう決めた著者は、70歳になったとき、「すごいトシヨリBOOK」と銘打ったノートに、老いていく自分の観察記録をつけはじめた。もの忘れがふえたり、身体が不調になってきたり、そんな自分と向き合いながら著者は、老人の行動をチェックするための「老化早見表」なるものを考案したり、「OTKJ」(お金をつかわないで暮らす術)といった独創的な節約システムを生み出すなど、楽しく老いる知恵と工夫を日々研鑽している。「心はフケていないと思うこと自体がフケている印」「心がフケたからこそ、若い時とは違う命の局面がみえてくる」。名エッセイストによる、ほがらかに老いを楽しむノウハウがつまった画期的な本」
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これを読んで、自分の母の、病気に対する気持ちが少しわかる気がした(第10章)。
そして、母が話す内容が何でそうなってるのかも何となく合点がいった(第3章)。なるほどな、自分も含めてみんなそうやって自分を肯定して生きていくんだなと思った。