投稿元:
レビューを見る
実話とはにわかに信じがたい驚嘆の物語。
本著はアメリカ人である著者がアフリカのソマリランドに学校を創設し、MITやハーバードのような名だたるアメリカの大学に生徒を輩出するまでの闘いの日々を綴った奮闘記。
「アフリカの辺境の地に学校を建て、世界に通用するエリートを養成する」、一筋縄でいかないことは想像できたが、その実際は私の想像をはるかに超えていた。
運営資金の確保、宗教の相違から生まれるソマリ氏族からの反発、共同経営者の裏切り、教育省の妨害など、著者に降りかかった困難は枚挙にいとまがない。
しかし、著者はそんな次々と降りかかる困難に屈することなく挑戦を続けた。それを支えたのは、「ソマリランドの子ども達に優れた教育を受けさせたい」という熱い想いだった。私はその著者の情熱とどんな逆境下でも物事を前に進めようとする行動力にただただ感服した。
最後にもう一点、非常に印象に残ったことがある。それはソマリランドの子ども達の学びへの意欲だ。私にとって、学校に行くことは義務だった。行きたいから行くのではない。行かなくてはいけないから、行っていた。しかし、ソマリランドの子ども達は違った。学校に行きたいのだ。勉強がしたいのだ。過去の自分を恥じたくなるくらい、学びに対して貪欲で勤勉な子ども達が輝いて見えた。「教育を受けたい」そう思っている人がちゃんと教育を受けられる環境が必要だと切に思った。
著者の飽くなき情熱と子ども達の学びへの意欲にソマリランドの明るい未来を見た思いがした。
投稿元:
レビューを見る
学校のことしか考えていない、と言うこともできる著者のやり方は極端に思える部分もあったけど、あくまで子どもたちの教育のため!という目的に絞ってとことんやったことで目覚ましい成果を上げている。子どもたちの変化には勇気をもらったし、自分も夢のため、精いっぱい頑張ろうと思った。
投稿元:
レビューを見る
アメリカ人である著者が
アフリカのソマリランドに一から学校を
作るという実話。
とにかく著者の熱意がすごい!!
自分の国のことならまだしも
歓迎されてもいない(初めは)他の国に
そこまで身を投じれるということに脱帽。
そしてアフリカの、というか教育の機会に
飢えている子どもたちに学ぶ環境を
与えた時の伸び代の凄さにも驚き。
勉強ができることは幸せなことと
小さい頃から言われ続け、
自分も子どもに対してそのように言うが、
なかなかぴんとくる日本の子どもたちは
いないように思う。
ぜひ、この本を通して、学ぶ機会があるということがいかに大切か、子どもたちにも伝えたいと思う。
ソマリランドのことを全く知らなかったので
ググったところ、治安はかなりいいらしい!
いつか行ってみたい。
投稿元:
レビューを見る
教育の機会を渇望して得た人には、のほほんと受動的に学んできたような私では敵わない。
学校を作る過程で邪魔をしてくる人とのバトルの部分が多かったが、生徒が学校内でどのように学んで成長していったかをより詳しく書いて欲しかった。
バトルの部分が話として面白いのは確かなのだが。
投稿元:
レビューを見る
ターゲットの服を着て、裸足で社内を歩き回るヘッジファンドをたたみ、夢であるアフリカに学校を立てると誓った筆者の激動の道を綴った本。
子供達がセーフティネットのない状態で、必死に学ぶ。言い訳ほど無益なものはない。
学校の生徒一人一人、非常に思い入れがあって、それぞれのバックグラウンド、そして成長をとても嬉しく見守り直接指導してきたかがわかる。この熱意は、おそらく文章よりもはるかに高いところにあるだろうなと感じさせる。ヘッジファンドよりもよっぽどエキサイティングだ、というふうに思わせてくれる。偽善と押し付けに近い人生の成果に気がついたのは数年後だったようだ。現地のフィクサー的な動きをするカダーを信頼し、最後は裏切られていく。彼は裏切った気持ちは全くないのだが、コントロールしたい側、資本の理論であれば出資者が当然ジャッジするし、出資者のものだ。でも、ソマリランドでは違った。強制的に、校長職を奪われようとする理不尽な戦い、国外退去まではかってきたカダーとの長い長い戦い。想像を絶する忍耐力と、信念だ。
ソマリランドの人は、感じはいいが実は外国人自体がほぼレア、ムスリム宗教的な考え、さらに族の考えが基本であり絶対であるソマリ族の分派のネットワークや集団的な自衛体制などを考えず、西洋的なアプローチで行った結果、実は学校建設もまた、ただの押し付けであり、食材から色々なものが、するりと抜け落ちて盗まれていく。これも、現地の人からすれば、当たり前で、NGOがただの押し付けと金ヅルであることと同じように、幸せをくれる人となっていなかったからだ。どうすれば、いいのだろうか。もちろん、寄付だけすれば救われるというアメリカの資本主義的死生観は、経済成長に大きな貢献を果たした。NYのどこを歩いても、この建物はこの人の寄付で、とか、この図書館の書籍はこの人の寄付で、といった形で資産家の貢献を高らかに掲げ、感謝する。その稼いだ道が一体どれほどの道だったかは置いておいて。成功者の義務として、恩着せがましいやってあげようという精神は、おそらく全く受け入れられない。何度も過去から起きていた事象であり、すでに学んだと思ったが、ジョナサンスターもまた、同じ問題に直面したと言うことになる。ただ子供達の幸せを祈っている、願っているということだけは伝わっているし、その想いだけは真実とすれば、それでいいじゃないか。ある種の壁や信頼関係は諦めた方がいい。これは彼の結論のようだ。でも、すごく正しいと思う。
男女の役割分担の違いなども、部族の成り立ちから自然にそうなっていくが、アメリカでは当然男女は平等であるべき、役割にも差がないというコンセプトが根底にあるべき、となる。恋愛の要素の入った映画でキスシーンは絶対みてはいけないものだ。こうした宗教的な概念を持って宗教警察的な動きをとった生徒たちは学校を去っていった。すごく難しい。自由が素晴らしい、平等は素晴らしい、だけどそれを押し付けた時にはそれが正義とならない時もある。そして、信念こそが苦境に置いて自分を支える。強いと思っていたが、ぽきっと俺て鬱になる人もいる。その支えがなくなった時に人間は脆く��崩れていくのかもしれない。ジョナサンは、子供たち要すれば、自分の正しいと思うことと、相手が正しいと思うことは、一緒ではない。だからこそ、耳を貸さないといけない。言い訳ほど無益なものはない、これがこの本からもらった、もっとも大きな収穫だったと思う。