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4畳半こたつ部屋だった大泉サロン
「風と樹の詩」乗せるための大変さ
萩尾の作風に嫉妬、たもとを分かつことに
なにかと大変だけど
若々しさのあった少女漫画。
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マンガ家竹宮恵子のエッセイ風自叙伝。他のマンガ家に嫉妬したり、スランプに陥って描く気が起きなかった時期のことも書かれていて、マンガを描く大変さを垣間見た。萩尾望都と竹宮恵子の住んでいた「大泉サロン」はいろんなマンガ家の溜まり場になり、半年ほど居候する人もいたそう。その広さはなんと、1階が4畳半、2階が6畳と3畳の2部屋。狭っ!
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少女漫画をほとんど読んだことがない私でも、萩尾望都や武宮恵子の名前は知っています。竹宮さんが大学で漫画を教えていて、今は学長だなんて驚きました。しかしこの自伝を読んで納得、自分の事を率直に書ける人だと思いました。「隠したくなろうがなるまいが、描きたいと思って描いてしまったものには自分の本質が出るものだ。」
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竹宮さんのものは、「地球へ」しか読んでない。
ファラオの墓も、風と木の詩もとても有名であった。
友達から初めて「地球へ」を借りて読んだ衝撃は、大きかった。
まだ学生だった。
今思うと、あの頃にこういうことを考えていたという驚きを感じる。
新しかった。今読んでも古さは全く感じない。
萩尾さんの作品は、未読だ。
りぼんやらを読んでいた私には、遠かった。
萩尾さんの才能たるや…
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わあ、懐かしい……、というほど、私は竹宮さんの作品を読んでいないのです。でも、『ファラオの墓』『地球へ…』『風と木の詩』等、代表作タイトルは知っています。ところどころは読んでいるはずなのですが、当時の私はバリバリの(竹宮さんの嫌いな/笑)少女マンガが大好きでしたので、個性的な竹宮さんの作品には心を動かされませんでした。
この本を読んで、竹宮さんの『風と木の詩』への思いや当時の少女漫画界のことを知り、改めてきちんと『風と木の詩』を読みたいと思いました。当時は衝撃的、挑戦的だったことも、竹宮さんの試みのおかげなのか、時代が追いついたのか、今はそういう分野(少年愛、BL等々)が確立していますものね。
そして萩尾さんの話。意識せずにいようと思っても、無理だろうなぁと思います。それでも竹宮さんが潰れなかったのは、やっぱり才能があったからでしょう。画的には私は竹宮さんの方が好みです。永遠の少年、美しい(笑)
漫画の背景も、当時の話も、竹宮さん自身のことも、よく分かって感慨深い本でした。良かったです。(*^_^*)
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夢中で読んだ。竹宮先生の若き葛藤の日々、萩尾望都先生への複雑な想い、漫画へかけた熱い志…。素晴らしかったです。竹宮先生ほどの才能でも萩尾先生にはこんなアンビバレンツな感情を抱いていたとは驚くばかりです。盟友・増山さんとの丁々発止のやり取りもおもしろい。これ、深夜ドラマ化したらいいと思いますよ。名作「風と木の詩」が生み出されるまでがこんなに難産だったとは!竹宮恵子は天才であると同時に努力と根性の人でもあったのだ。ラストのほうが駆け足気味なのでもう少し厚い本で読みたかった。すべての漫画・創作好きに捧げる名著。
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風と木の詩といえば、少年愛の漫画として一世を風靡した作品であるし、ほかにも地球へ…やファラオの墓など有名な作品がある。
これを読む前は、いわゆる39年組の人気少女漫画家さんの印象だった。しかし、読んでみれば萩尾望都と同居し、ポーの一族などの全盛期にを共に過ごすというのは、漫画家としてすごいきついんだろうなぁと胃が痛くなる。
そんな中でもただひたすらに書き続け、今は脚本術などの技術を使いながら表現者を育てる側になったことに納得する。
あの時代で書き続けたこと、手を止めなかったこと、続けることの大切さを感じる。
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私が竹宮惠子さんの作品と出会ったのは「風と木の詩」を完結されたずっと後だったので、あのダイナミックなストーリーで読者を翻弄する「ファラオの墓」は彼女の天賦の才がするりと紡ぎ出したものだとばかり思っていました。
実際は、長い長い苦悩と迷いの果てに、ファンが何を求めているかを何度も何度も考え、追求していった結果として生まれただなんて。
全く想像もつかなかったです。
この本を読んで、本当に驚きました。
驚いた事実がたくさんありました。
ジルベールが非常に早くから生まれていて、あんなにも作者から望まれ愛されたキャラクターだったことがまずびっくりの1つ。私は勝手な憶測で、大御所になったあとに新しい表現を模索していて生まれた物語なんだろうくらいに思っていたので、そんなに早くから温めていたんだ!と驚愕しました。
萩尾望都さんとの関係も衝撃でした。読んでいて2人のファンとして非常に辛かったです。誰も悪くないだけに。
だから、編集のMさんが登場した時は、本当に涙が出るくらいほっとしました。こんなにも苦悩した果てにあの名作は生まれたんだなぁ、と胸がいっぱいになりました。「ファラオの墓」は増山さんの助言がスタートだったことと、その助言をあんなすごい波乱万丈の物語に作り上げた才能のその両方に驚きますし、何より、ジルベールの存在が「ファラオの墓」の誕生にあんなにも力を与えていたなんて!
風と木スタート後のあれこれは、それだけで別の本になってしまうくらいなので割愛、とありましたが、ぜひ書いてほしいです。
多感な青春時代「私を月まで連れてって」を読み、ダン・マイルド少佐のものの考え方やモラルに非常に影響を受けました。今でも彼は私のロールモデルの1人です。萩尾望都さんの作品には、好きなキャラクターはもちろんたくさんいますが、自分が迷った時に思い出したり、自分の生き方の指標とするようなキャラクターはいません。彼女たちの本の役割は私の中では全然違うものです。
そんな風に2人の作風の違いなどに思いを馳せながら読みました。次作、待望します。
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うーん、そうだったのか…。少女マンガのオールドファンとしては、複雑な感慨に浸らされることがいくつも書かれている。
その一。「大泉サロン」の実態がそんなボロ家だったとは。赤裸々に書かれる暮らしぶりに驚いた。みなさん若かったのだなあ。
その二。萩尾望都先生に対する思いが、そこまで書くの?と思うほど率直に綴られていて、ちょっととまどう。そのずば抜けた才能に打ちのめされ、近くにいることで心のバランスを崩すほどだったとか。表現者というのは厳しいものだなあとあらためて思う。
その三。「風と木の詩」が世に出るまでに、これほどの壁があったのか。少女マンガが多様な表現の場として花開くには、多くの人の苦闘があったのだと思い知らされる。ただただ楽しく百花繚乱の作品を享受していたあの頃の読者は、幸せものだったんだなあ。
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あの竹宮惠子さんが、漫画家としての駆け出し時代を綴った自伝。
私は、かなり世代が下になるので、竹宮さんの作品に発表順とはまるで違う順番で出会っていったのでした。あの頃の少女マンガって、今、読んでもほんとうにすごい!と感じながら。
この本を読んで、私が一番最初に読んだ作品は月刊少女コミックに掲載された「ジルベスターの星から」だったことに気がつきました。花やリボンではなくて宇宙や未来都市が背景となる小品で、心に深く残ったのですが、幼い私には作者名を覚えるという知恵がなかったのでした。
思えば、その頃までは、少女マンガの編集に携わっていたおじさんたちが「少女にふさわしい」とするものが、少女マンガの潮流を作っていたのでしょう。でも、時代は、いわゆる学生紛争のまっさかり、若い漫画家さんたちが、これまでの流れに挑み、綺羅星のような作品が生まれていったのでしょう。そういう時代の熱のようなものを感じます。
増山さんや萩尾さんとの関係も、印象的でした。最初のうち、増山さんは、本来の意味でのパトロンのよう、と感じました。若い才能を発掘し、一流のものに触れる機会を与え、翼を広げる手助けとなる・・・。でも、読み進むうち、さらに深く創作に関わった方だったのかな、と思うようになりました。
萩尾さんとの関係については、言葉にすると陳腐になってしまうけど、同じ道を進もうとする大きな才能を持った者同士に起こったこと、と感じました。ただ、その葛藤を生身の人間として受け止めるのは、ほんとうに苦しいものだったのだろうと想像します。切磋琢磨、ライバルがいたからこそ、というのも、真実ではあったのでしょうけど。
「風と木の詩」改めて読んでみようと思います。今の私に、どのように響くのか、楽しみです。
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2016.10.22.知らない人はいない(と思われる)漫画家竹宮惠子さんの自伝エッセイ。高校生時代から投稿し、徳島大学入学後一年間の休業(学生運動の成り行きを見極めたかった)を経て上京。編集者に下宿先を探してもらうものの、のちに福岡から投稿し存在感を放っていた萩尾望都さんと借りるということで、竹宮惠子さんのアドバイザー、プロデューサーとして影響を与える増山法恵さん(萩尾望都さんのペンフレンド)の紹介で大泉に居を構える。多くのファン、漫画家を迎え入れた大泉サロンで過ごした2年間が生き生き描かれたエッセイ。
竹宮惠子さんの風と木の詩は人気が不動のものとなった後で全巻読んだ。それまでに萩尾望都さんのポーの一族などを読んだ後では若干物足りなさを覚えた記憶があった。天才肌の萩尾望都さんと比較し、いつも自信がなかった竹宮さんの本心がよく描かれとても興味深く読み応えのあるエッセイだった。物作りの現場を垣間見るという意味でも読んで意義あるエッセイ。
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◎漫画家という職業の苦楽が詰まっている。『風と木の詩』を単行本で読んだだけではあの名作がどう生まれてきたのかわからなかったけれども、意外と執筆開始までの道のりは全く平坦でなかったことに驚いた。
◎ここまではっきりと他者に対しても嫉妬の気持ちを描いた本を初めて読んだが、これも著者の漫画への思いの深さ故。名作を生み出してくれたことに感謝の気持ちが生まれる。
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竹宮惠子、萩尾望都、山岸涼子…
女トキワ荘さながら練馬区大泉のサロンに集まる煌めく才能たち。『少女漫画に革命を起こす!』同じ志を持つ者同志、刺激を受け助け合う暮らし。ただ若くして台頭し、大人の世界に片足を突っ込まざるを得ない彼女達は自然と背伸びをして生きていかなくてはならなかった。
同じ屋根の下、同じ年頃、近過ぎる才能を羨み自己嫌悪し苦しむ姿を赤裸々に、それを乗り越えていった過程は読んでいて苦しくなるほど。
それにしても。
1970年代の日本において少年愛を(しかも女性が)描くのにはこんなにも障壁があったのだと驚く。クールジャパンのキラーコンテンツとなった漫画もほんの40年前にかくして必死に時代の波をかき分けた先達の存在あってこそなのだ。風と木の詩、一巻から読み直したくなった。
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2016.11.19
竹宮恵子さんと萩尾望都さんの大泉荘時代を知らなかった。2人の絵は似ていて、はじめは区別がつかなかった。
昔たくさん読んだ漫画だけど、あまり覚えてない。変奏曲は大好きな話だった。
BLはあまり好きじゃないけど、風と木の詩は気になっていた。
こんなに有名な漫画家がこれだけもやもやして自分さがしをしていたとは。
増山さんの存在はすごい。本物に精通しているブレイン。類は友を呼ぶということか。
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泣きましたー!!竹宮惠子、ますます好きになった。実を言うと、現代っ子なので竹宮惠子は「地球へ」と「風と木の詩」しか読んでないのだが、漫画家としての葛藤、漫画を描く意味、伝えなければいけないことを漫画と言う媒体を使って表現するという意志、そういうものがありありと伝わってきた。萩尾望都という偉大な才能の側で自身の才能のなさを感じながら漫画を描く、というのは非常に辛いとは思うのだけど、竹宮惠子さんの青春はとても密度の濃いものだったんだろうな。羨ましい。また、当たり前ですが若い頃の描写を見て、竹宮惠子自身も物凄い才能の塊だったとわかります。激動の時代、女ということで差別を受け、自由に漫画を描くことができない中で、漫画家の使命を必死に果たそうとした竹宮惠子。いまの漫画家で、これほど深いことを考えて作品を作っている方はどれだけいるのだろうか?文学というものが、伝えられなければならないことが一文字の不可分もなく書かれるものだとしたら、竹宮惠子の作品はまさしく文学的だと言える。「風と木の詩」の激しい描写も、読者へのサービスというわけでは全くなくて、必然性があったというわけだ…