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私が竹宮惠子さんの作品と出会ったのは「風と木の詩」を完結されたずっと後だったので、あのダイナミックなストーリーで読者を翻弄する「ファラオの墓」は彼女の天賦の才がするりと紡ぎ出したものだとばかり思っていました。
実際は、長い長い苦悩と迷いの果てに、ファンが何を求めているかを何度も何度も考え、追求していった結果として生まれただなんて。
全く想像もつかなかったです。
この本を読んで、本当に驚きました。
驚いた事実がたくさんありました。
ジルベールが非常に早くから生まれていて、あんなにも作者から望まれ愛されたキャラクターだったことがまずびっくりの1つ。私は勝手な憶測で、大御所になったあとに新しい表現を模索していて生まれた物語なんだろうくらいに思っていたので、そんなに早くから温めていたんだ!と驚愕しました。
萩尾望都さんとの関係も衝撃でした。読んでいて2人のファンとして非常に辛かったです。誰も悪くないだけに。
だから、編集のMさんが登場した時は、本当に涙が出るくらいほっとしました。こんなにも苦悩した果てにあの名作は生まれたんだなぁ、と胸がいっぱいになりました。「ファラオの墓」は増山さんの助言がスタートだったことと、その助言をあんなすごい波乱万丈の物語に作り上げた才能のその両方に驚きますし、何より、ジルベールの存在が「ファラオの墓」の誕生にあんなにも力を与えていたなんて!
風と木スタート後のあれこれは、それだけで別の本になってしまうくらいなので割愛、とありましたが、ぜひ書いてほしいです。
多感な青春時代「私を月まで連れてって」を読み、ダン・マイルド少佐のものの考え方やモラルに非常に影響を受けました。今でも彼は私のロールモデルの1人です。萩尾望都さんの作品には、好きなキャラクターはもちろんたくさんいますが、自分が迷った時に思い出したり、自分の生き方の指標とするようなキャラクターはいません。彼女たちの本の役割は私の中では全然違うものです。
そんな風に2人の作風の違いなどに思いを馳せながら読みました。次作、待望します。
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うーん、そうだったのか…。少女マンガのオールドファンとしては、複雑な感慨に浸らされることがいくつも書かれている。
その一。「大泉サロン」の実態がそんなボロ家だったとは。赤裸々に書かれる暮らしぶりに驚いた。みなさん若かったのだなあ。
その二。萩尾望都先生に対する思いが、そこまで書くの?と思うほど率直に綴られていて、ちょっととまどう。そのずば抜けた才能に打ちのめされ、近くにいることで心のバランスを崩すほどだったとか。表現者というのは厳しいものだなあとあらためて思う。
その三。「風と木の詩」が世に出るまでに、これほどの壁があったのか。少女マンガが多様な表現の場として花開くには、多くの人の苦闘があったのだと思い知らされる。ただただ楽しく百花繚乱の作品を享受していたあの頃の読者は、幸せものだったんだなあ。
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あの竹宮惠子さんが、漫画家としての駆け出し時代を綴った自伝。
私は、かなり世代が下になるので、竹宮さんの作品に発表順とはまるで違う順番で出会っていったのでした。あの頃の少女マンガって、今、読んでもほんとうにすごい!と感じながら。
この本を読んで、私が一番最初に読んだ作品は月刊少女コミックに掲載された「ジルベスターの星から」だったことに気がつきました。花やリボンではなくて宇宙や未来都市が背景となる小品で、心に深く残ったのですが、幼い私には作者名を覚えるという知恵がなかったのでした。
思えば、その頃までは、少女マンガの編集に携わっていたおじさんたちが「少女にふさわしい」とするものが、少女マンガの潮流を作っていたのでしょう。でも、時代は、いわゆる学生紛争のまっさかり、若い漫画家さんたちが、これまでの流れに挑み、綺羅星のような作品が生まれていったのでしょう。そういう時代の熱のようなものを感じます。
増山さんや萩尾さんとの関係も、印象的でした。最初のうち、増山さんは、本来の意味でのパトロンのよう、と感じました。若い才能を発掘し、一流のものに触れる機会を与え、翼を広げる手助けとなる・・・。でも、読み進むうち、さらに深く創作に関わった方だったのかな、と思うようになりました。
萩尾さんとの関係については、言葉にすると陳腐になってしまうけど、同じ道を進もうとする大きな才能を持った者同士に起こったこと、と感じました。ただ、その葛藤を生身の人間として受け止めるのは、ほんとうに苦しいものだったのだろうと想像します。切磋琢磨、ライバルがいたからこそ、というのも、真実ではあったのでしょうけど。
「風と木の詩」改めて読んでみようと思います。今の私に、どのように響くのか、楽しみです。
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2016.10.22.知らない人はいない(と思われる)漫画家竹宮惠子さんの自伝エッセイ。高校生時代から投稿し、徳島大学入学後一年間の休業(学生運動の成り行きを見極めたかった)を経て上京。編集者に下宿先を探してもらうものの、のちに福岡から投稿し存在感を放っていた萩尾望都さんと借りるということで、竹宮惠子さんのアドバイザー、プロデューサーとして影響を与える増山法恵さん(萩尾望都さんのペンフレンド)の紹介で大泉に居を構える。多くのファン、漫画家を迎え入れた大泉サロンで過ごした2年間が生き生き描かれたエッセイ。
竹宮惠子さんの風と木の詩は人気が不動のものとなった後で全巻読んだ。それまでに萩尾望都さんのポーの一族などを読んだ後では若干物足りなさを覚えた記憶があった。天才肌の萩尾望都さんと比較し、いつも自信がなかった竹宮さんの本心がよく描かれとても興味深く読み応えのあるエッセイだった。物作りの現場を垣間見るという意味でも読んで意義あるエッセイ。
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◎漫画家という職業の苦楽が詰まっている。『風と木の詩』を単行本で読んだだけではあの名作がどう生まれてきたのかわからなかったけれども、意外と執筆開始までの道のりは全く平坦でなかったことに驚いた。
◎ここまではっきりと他者に対しても嫉妬の気持ちを描いた本を初めて読んだが、これも著者の漫画への思いの深さ故。名作を生み出してくれたことに感謝の気持ちが生まれる。
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竹宮惠子、萩尾望都、山岸涼子…
女トキワ荘さながら練馬区大泉のサロンに集まる煌めく才能たち。『少女漫画に革命を起こす!』同じ志を持つ者同志、刺激を受け助け合う暮らし。ただ若くして台頭し、大人の世界に片足を突っ込まざるを得ない彼女達は自然と背伸びをして生きていかなくてはならなかった。
同じ屋根の下、同じ年頃、近過ぎる才能を羨み自己嫌悪し苦しむ姿を赤裸々に、それを乗り越えていった過程は読んでいて苦しくなるほど。
それにしても。
1970年代の日本において少年愛を(しかも女性が)描くのにはこんなにも障壁があったのだと驚く。クールジャパンのキラーコンテンツとなった漫画もほんの40年前にかくして必死に時代の波をかき分けた先達の存在あってこそなのだ。風と木の詩、一巻から読み直したくなった。
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2016.11.19
竹宮恵子さんと萩尾望都さんの大泉荘時代を知らなかった。2人の絵は似ていて、はじめは区別がつかなかった。
昔たくさん読んだ漫画だけど、あまり覚えてない。変奏曲は大好きな話だった。
BLはあまり好きじゃないけど、風と木の詩は気になっていた。
こんなに有名な漫画家がこれだけもやもやして自分さがしをしていたとは。
増山さんの存在はすごい。本物に精通しているブレイン。類は友を呼ぶということか。
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泣きましたー!!竹宮惠子、ますます好きになった。実を言うと、現代っ子なので竹宮惠子は「地球へ」と「風と木の詩」しか読んでないのだが、漫画家としての葛藤、漫画を描く意味、伝えなければいけないことを漫画と言う媒体を使って表現するという意志、そういうものがありありと伝わってきた。萩尾望都という偉大な才能の側で自身の才能のなさを感じながら漫画を描く、というのは非常に辛いとは思うのだけど、竹宮惠子さんの青春はとても密度の濃いものだったんだろうな。羨ましい。また、当たり前ですが若い頃の描写を見て、竹宮惠子自身も物凄い才能の塊だったとわかります。激動の時代、女ということで差別を受け、自由に漫画を描くことができない中で、漫画家の使命を必死に果たそうとした竹宮惠子。いまの漫画家で、これほど深いことを考えて作品を作っている方はどれだけいるのだろうか?文学というものが、伝えられなければならないことが一文字の不可分もなく書かれるものだとしたら、竹宮惠子の作品はまさしく文学的だと言える。「風と木の詩」の激しい描写も、読者へのサービスというわけでは全くなくて、必然性があったというわけだ…
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漫画家・竹宮惠子先生の自伝。
内容は、デビュー前後から代表作「風と木の詩」を描くまでのことが中心となっている。
今や大御所といわれる竹宮先生にも思い悩んだ若かりし日があった。本当に描きたいものが描けない葛藤、盟友でありライバルでもあった萩尾望都への思いなど。
「大泉サロン」を中心とした、当時の漫画家たちのつながりもわかる。ここに出てくる先生方は、今でも現役で活躍されている方も多い。「花の24年組」は聞いたことがあったけれども、本当に錚々たる才能があふれていた時代だったのだなあ。
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竹宮惠子さん、こんな熱い人とは全然知らなかったな。けど考えてみれば、私が風と木の詩を読んだ当時でさえとても衝撃的であったわけなのだから、連載を始めるにはすごいパワーが必要だったのでしょう。地球へ は映画から見たけど、漫画の方がもっともっと良いです。
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あの!竹宮恵子の自伝的エッセイ。
トキワ荘みたいに共同生活してたとは知らなかった
それも萩尾望都と!
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萩尾望都にこれほどに葛藤やら鬱屈やらを抱えていたのに驚いた。ローティーンの時代、別コミや週コミを愛読してたからか、ツートップのイメージがあったので。
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竹宮先生はスランプ時代、自分のマンガを模索していらしたつらい時が続いたようで、先生の不安、焦り、苦しみが伝わって、読んでいてつらい、でもマンガへの姿勢、情熱も伝わるから読むのがやめられず読み続けるという感じでした。最後に遂に念願の風と木の連載へ続く先生のマンガの描き方にたどりついたところは爽快、やったーと喝采でした。
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「ジルベール」が登場する作品「風と木の詩」を読んだことがないけれど
(というか竹宮恵子さん自体存じ上げませんでした)
それでも著者の自伝的小説としてじゅうぶんに楽しめる。
便利なネットがなかった時代に夢を追う人たちがどれほどの努力をしてきたのか、わたしには計り知れなくて読んでいて本当に恐れ入りました。
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ジャケ買いしました。だって、表紙があのジルベールなのだもぉぉ。と、
少女漫画に興味のない人にはまったく分からないよね。
男の子同士の愛情をテーマにした「ボーイズラブ」もひとつのジャンルと
して今では市民権(?)を得た感がある。しかし、1970年代となると今と
まったく様相が違う。
そんな時代に少年同士の愛情を描いたのが竹宮恵子の漫画『風と木の
詩』という作品だ。主人公の少年の名はジルベール。
本書は竹宮恵子が漫画家としてデビューして、上京し、編集者の反対に
遭いながらも7年の歳月をかけて『風と木の詩』を世に出すまでの半生
を記した作品である。
正直に言えば竹宮作品はあまり読んでいない。勿論、漫画は好きで読ん
ではいたが私が主に読んでいた漫画雑誌は「プリンセス」であり、「花と
ゆめ」であり、「ララ」だた。
それでも竹宮恵子とほぼ同期の萩尾望都作品は単行本でほぼ読んでい
た。どちらかと言えば萩尾作品の方が好みなんだな。「マッチ一本火事の
元、ポーの一族萩尾望都」ってのは『パタリロ!』にあったギャグだったか。
しかし、『風と木の詩』は別格。森茉莉『枯葉の寝床』なんて小説をコソコソ
と読んでいた身にとっては「こんな漫画が読みたかったんだよ~」って感じ。
本書の読みどころは『風と木の詩』の連絡にこぎつけるまでなのかもしれ
ないが、それよりも興味深かったのは「大泉サロン」とそこで同居していた
萩尾望都に対する著者の複雑な感情だ。
男性漫画家が集った「ときわ荘」のような場所を、少女漫画たちで作ろうと
した「サロン」の名称とは程遠いボロ屋。建物はボロでも夢はいっぱいに
詰まった場所だった。山岸涼子や坂田靖子も、この「大泉サロン」を訪れ
ていたんだね、共に私が好きな漫画家だけれど。
でも「ときわ荘」のようには続かなかった。「大泉サロン」は僅か2年ほどで
解散した。スランプに陥った竹宮恵子とは対照的に、マイペースで作品を
発表していく萩尾望都に向けられる竹宮の複雑な感情が結構正直に
書かれている。
多分、この時のふたりの状況が今に繋がっているんじゃないのだろうか。
竹宮恵子は既に描かなくなってしまったけれど、萩尾望都は今でも作品
を発表しているもの。
竹宮恵子、萩尾望都。このふたりを含めて後に「24年組」と呼ばれるように
なる少女漫画家たちは、それまでの砂糖菓子のような少女漫画の概念
を打ち破った存在なんだよね。あ、青池保子も24年組か。この人の作品
も好きだわ、私は。
それにしても増山法恵。この方、「大泉サロン」」の発案者で竹宮恵子の
プロデューサー的存在だったのだが、「のりす・はーぜ」名義で『風と木の
詩』のその後を小説にしているんだよね。本人はその気ではなかったらし
いが、竹宮と編集者に説得されて書いたそうだがこれは書かない方が
よかったのじゃないかと思った。
全3巻。ずいぶん昔に読んだけれど、漫��の余韻が台無しだったもの。
竹宮自身、その後の構想は持っていたけれど描く気はなかったのだから
『風と木の詩』は漫画が終わった時点で終わりとして欲しかったわ。
尚、本書にも度々登場する増山氏だが身近にいたら絶対に好きになれない
タイプである。