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ナチスに加担するのを避けるためヨーロッパからアメリカに移り、原爆開発をアメリカ政府に箴言しながら、開発後は実戦での利用を止めようと奔走したレオ・シラードの活動を追ったルポルタージュ。
著者はある日テレビで、日本への原爆投下をやめさせようと署名活動をしたり大統領宛てに手紙を送ったシラードの存在を知る。初めて知ったシラードの足跡を追って、かつてシラードの呼びかけに応じて署名をした人やゆかりの人の話を聞こうとアメリカを訪ねたり資料をあたる。そうした結果、シラードの尽力にもかかわらず手紙や署名は大統領のもとまで届かなかったであろう事実を知る。
ハンガリーのユダヤ系の家に生まれたシラードは早過ぎるほどの先見の明があった人物だとか。ドイツで科学者として活躍するようになるが、ナチス台頭の空気を読むやイギリスへ渡り、その後アメリカへと渡る。そこでナチスの向こうを張って原爆開発に着手するよう知己のアインシュタインを通じて当時のルーズベルト大統領に訴えたことでマンハッタン計画の契機をつくった。だが、開発計画が進む一方で崩壊したナチスの原爆開発が大したものでなかったことを知る。以降は、開発されてしまった原爆が実戦で、つまり日本に対して使われることがないよう方々に訴えて回ったがしかし、広島と長崎に原爆は投下された。「原爆を作らせようとして成功し、使わせまいとして失敗した男」ともいわれる(『シラードの証言』の訳者・伏見康治氏)。
幼い頃から頭もよく雄弁で活動的だったシラードは、若いうちに戦争に熱狂する市民や事なかれ的な発言をする親を見て「もし世間知らずと不誠実との選択を迫られるのなら世間知らずを採ろう」と決意する。彼の人生にはこの決意が生き、正義感強く孤高を厭わない人物だった。原爆投下は止められなかったが、失望することなくその後も反核・非核に向けて様々な活動を行っており、たとえば現在もCouncil for a Livable World(住みやすい世界のための協議会)として続く有力NGO・ロビー団体の礎などを築いたそうだ。
ところで、アメリカ取材などのなかで、関係者が原爆開発に携わったことに対して自ら謝罪や後悔の念を述べることなく、「戦争とはそういうもの」「あのときはしかたなかった」といった弁に頑ななまでにとどまることに著者はわだかまりを覚える。
科学者という種類の人々が、たとえ悪や非平和に加担するものであっても新たな領域を開く研究であれば行きつくところまで進めてしまいたくなる気持ちはわからないでもない。だがこれまでの自分は、科学者はそれでよし、それでしかたないと思っていたのだが、どこかの時点でやはり自分が開発したり関わったものに対しては、それが社会に及ぼす影響に自覚的であるべきだろうという思った。科学者としてただ研究に没頭したとか、何のための研究か知らされていなかったというのは、その時点では通じるだろうが、何か事が起きて以降は詭弁になるもの。そのことに自覚的であるべきだろう。
一方で、それほど簡単に謝罪できるものではないとも思う。著者はアメリカ取材時、日本の原爆の写真集を傍らにおいてインタビューをしていた。誰かが手に取り何かを述べ���ことを、さらにいえば謝罪の言葉が出てくることを期待していたとのこと。だが人間というものは、自分がしたことをたとえ後悔したり呵責を感じたりしていてもなかなか認められないものだろう。
原爆に関して日本人は被害者づらして謝罪を求めることができる。それを、謝罪を求めるのでなく「ノーモア・ヒロシマ、ナガサキ」という活動に昇華させたのはとてもすばらしいことだが、加害側がいきなり「ノーモア……」と言い出すことも順序を無視した話だろう。転じて、日本はアジアの国々に対して誠意ある謝罪はできているだろうか。そもそも行ったことに対して自覚的だろうか。
著者はアメリカ取材後に日本で被爆者を取材したことで、アメリカ人に謝罪を期待していた思いが変化していく。そうした意味では、本書はシラードに関心をもってすぐ走り出した感があり、やや踏み込み不足な感は否めない。著者がもっと自分の考えをまとめてから取材するなり、構成を考えるなり筆を進めるなりしたほうがよかったとも思う。2週間ほどの取材をベースに書いているようだが、もっと時間をかけるべきテーマだった。少し著者の味方をすれば、著者自身も述べているが、本というかたちになるまでは費用回収の目途もたたない日本の出版界のお粗末さゆえでもあるだろう。著者の思いから発した一冊としてはまとまり方がもったいなく感じられる。
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原爆を作った科学者の気持ちを丁寧に取材している。作者の個人的な思いが入りすぎていてルポとしてはいまいち。
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アメリカがナチス・ドイツに先駆けて開発を急いだ核兵器。
ヒトラーの驚異を察知してルーズベルト大統領へ「原爆を開発すべき」と進言した科学者が、「無警告での日本への投下をすべきではない」と署名を集めていた事実がありました。
日本でも知られず、またアメリカでも触れられて来なかった歴史のひとつです。
先の大戦では様々な形で悲劇が生まれましたし、ヒロシマとナガサキは忘れてはならない教訓のひとつです(もちろん、「戦争」という行為によって生じた全ての事柄が忘れてはならない「歴史」です)。
原爆を開発し、その投下に反対した(そしてその努力は実らなかった)物理学者、レオ・シラードの足跡を追いながら、原爆開発に携わった、マンハッタン計画に協力していた人たちのインタビューを通して「平和」について考えることができる本です。
アメリカの主張してきた「原爆投下により多くの(その後の本土上陸決戦があれば失われたであろう)命がすくわれたた」という意見には、一蹴することができない「アメリカとしての意地」があるのだろう、とこの本を読んで改めて感じました。
開発に携わり、無警告投下に反対した科学者であっても、「原爆を開発したことに罪悪感はない(投下による被害には哀悼の意を示すとしても謝罪はない)」と発言することに対して、日本人として違和感を覚える筆者。たしかに、日本人としては受け入れ難い発言ですが、科学者1人ひとりが抱えきれるレベルの事柄ではないようにも感じます(当事者でないからこう思うのかもしれませんが)。
日本も、アメリカも、その他の国も、戦争を通して様々な被害を受け、また与えてきました。「戦争とはそういうもの」とある種開き直りとも取れるような発言をした科学者たちの言葉は、本質を捉えているのかもしれません。
過ぎたことは変えられない、ということも事実としてあります。
戦争の悲劇を繰り返さないこと(合わせてどのような悲惨な現状があったのかを記録し記憶しておくこと)、そのために何が必要かを一人ひとりが(各国の国民として、また世界市民として)理性的に考えること、またこれらのことを言葉として語り継ぐ(次世代へ「継ぐ」こと)が、本当に必要だと改めて感じます。
文章自体は読みやすいものでは決してないし、筆者のインタビューにも至らないところもあったように思います。しかし、それはこの本の本質ではありません。
これからの世界を、少しでも「より良い、住み良い世界」にするため、私たちにできることを考えていきましょう。
高校生や大人に、ぜひ読んでもらいたいです。
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太平洋戦争で広島と長崎に落とされた原爆の開発に携わったアメリカの技術者たちの心情を取材したルポ。
原爆の被害や恐ろしさは何度も学ぶ機会があったが、原爆を作り、投下した側に想いを馳せることがなかったので、大変興味深かった。当たり前だけど、普通に心のある人間が作ったのもなんだなということを知った。それも自分と同じような年齢の若者が、国に貢献するために、研究者や技術者としてただただ新しい技術を実現するために開発に取り組んでいた。決して日本の上空で爆破して、大量殺戮をすることをモチベーションにしているような人物はこの本には出てこなかった。そして、シラードのように、日本への使用の可能性があることを感じた時点で、無警告の投下をしないようにと署名集めた人物もいたことに驚いた。その集めた署名と投下の中止を訴える手紙は結果的に大統領に届かなかったけど、ひょっとしたら原爆が投下されなかった未来もあったことを知った。シラードの原子力エネルギーの平和利用を訴える活動は、戦後も続いた。日本への投下は防げとこはできなかったけど、その活動のおかげで、特定の国が原子力技術を抱え込み悪用することがなくなったとも言える。研究者や技術者はその技術の有用性や恐ろしさ両方を理解している存在なはずなので、そういう人がもっと表に出て政治的な発言をしていくべきだと思った。
結局、取材した関係者からは著者が想定したような後悔や懺悔が聞けることはなかった。何の目的か知らず開発に携わらされていたのもあると思うが、アメリカとしては原爆は戦争を終わらせるための目的であるという社会的な認識があることも理由として大きそうだ。でも決して後悔や原爆の恐ろしさがないわけではなく、本人たちの中にも人には言えない複雑な気持ちがありそうだった。いずれにしても簡単に踏み込める話題ではないということが分かった。
無知でいることは恐ろしい。知ることは大事だと思う。
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自分の研究内容が何に応用されるかに対して,研究者は無頓着で良いのか?米国の原爆開発を開始させた科学者当人が,日本への無警告投下を阻止しようと奔走。戦後,科学者達は放射能被害を極秘機密にしようとする軍を告発し,原子力の軍事利用を抑止した。生存する当時の研究者達の肉声に心が揺さぶられる。
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届かなかった手紙 原爆開発「マンハッタン計画」科学者たちの叫び 読了
原爆開発のマンハッタン計画の中心人物でありながら、原爆を実戦で使わないように請願書をつくって声かけしたが届かず、日本への投下へとつながってしまった知られざる話。レオ・シラードという知られていない科学者を追ってインタビューへ。
違うインタビュアーだったら、もっと核開発の科学者から何か引き出せたのではないかと悶々。力不足を感じた。
レオ・シラードと言う人物を知るきっかけになった点は評価したい。