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内容(「BOOK」データベースより)
現代の奇妙な空間―都会。そこで暮らす人々の人生をたとえるなら、それはメリー・ゴーラウンド。人はメリー・ゴーラウンドに乗って、日々デッド・ヒートを繰りひろげる。人生に疲れた人、何かに立ち向かっている人…、さまざまな人間群像を描いたスケッチ・ブックの中に、あなたに似た人はいませんか。
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4歳の頃、初めて「レーダーホーゼン」を母に読んでもらってからずっと春樹が好きです。
なんで4歳の私が「レーダーホーゼン」をとても気に入っていたのか謎。
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余韻がにくい。村上春樹はやっぱり良い。
人間の思考のもっと下部にある「無意識」を扱いながら(本来それを扱うのは三島由紀夫に代表されるような純文学)、
ストーリーは大衆文学的におもしろい。
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後の短編集である東京奇譚集に似た短編集。2冊とも魅力はあるのだが、どうもしっくり来るのが少ないのは私が欲張りだからか。
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短編集。小説、というよりエッセイに近いと思いました。
村上春樹に慣れてきたのか、この作品集が特殊なのかわかりませんが、読みやすかったです。
そして村上春樹作品で初めてもっと先が読みたい、と思いました。
現実問題として個人が抱える苦悩など、とても興味深いものがありました。
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この人達はみんな、小説に出てくるフィックションの登場人物みたいだった。
しかし、これがノンフィクションだというのが面白い。
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あんまり覚えていません…
村上さんの短編はサラッとしたものが多いです。
「納屋を焼く」とかは印象に残ってますが・・・
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村上春樹は絵にしやすい文章。
それから、不思議な内容。
それは文学とは言い難く、面白いとも言い難い。
僕はそう思った。
そして笑ってこう言った。
「なにこれ」
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小説のようなエッセイのような不思議な作品(短編集)。村上春樹さん独特の文章はそのままに、でも、普通の小説作品とは一線を画したものであると感じました。個人的には普通の小説の方が好み。
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ここにおさめられた小説は、村上春樹曰く、
小説に使い切れなかった「おり」で描いたスケッチ。
そして、その「おり」は、多くの人の生活を垣間見て得てしまった「無力感」だとか。
さらに、この「無力感」の本質は「我々はどこにもいけないということ」。これが、つまり決まったところをただただ巡回するだけのメリーゴーランド、誰にも抜かれず、誰も抜かない「回転木馬のデッド・ヒート」なんだそうです。
こんな言葉もあります。
「回転木馬でなくしたものは、ブランコでとりかえす!」(パトリック・レジナルド・チャーマーズ)
ちょっと疲れたら、息抜きにブランコにでも乗ってみましょうか?
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宇宙研での当番が終わってロッジと管制室を往復する日々から解放された僕は、長津田から浅草まで電車に乗って本を読んだ。宇宙研での生活は冷房が効いていて快適ではあったけれど、品揃えの充実した本屋がないために、活字中毒を起こしていたみたいだ。
活字中毒が起きると、司馬遼太郎か塩野七生か、あるいは村上春樹を読みたい衝動が湧いてくる。今回はハルキに感染していた。町田の有燐堂を物色して、帰りの電車にぴったりの長さの「回転木馬のデッドヒート」を読む事にした。
長津田からの電車の中で唯一顔を上げたのは、ちょうど多摩川の河川敷を超えるときだ。車内の乗客からちいさな歓声が漏れたからだ。この日は花火大会で、氷河の上にびっしり集まったペンギンの群れみたいに、河川敷の上に人がいっぱいだった。電車からは、濃紺や薄紅色の浴衣を着た子たちが、金魚みたいな様子で下車していった。
不思議な事だが、高校時代は小説は読めなかった。読まなかったのではなくて、文字通り読めなかった。何が面白いのか、感性がわからなかった。司馬遼太郎や塩野七生のような歴史小説は、どれだけ分厚いものであろうが、食事を抜いて夜を徹しても読めたのに。
ところが 3 年ほど前のある事件がきっかけで、唐突に村上春樹の小説が読めるようになった。(かわりにクラシックが聴けなくなったのだけれど。) ある種の喪失感に同調したとも言える。ちょうど雷雨の季節で、外の激しい雨の音を木造下宿の中で聞きながら、横に本が積まれていった。
それ以来、不定期にハルキに感染することがある。ちなみに、ある時期に、ニューヨークの友人に手紙を出したら、ハルキっぽい文体だね、と言われたことがある。ハルキの登場人物の心理を高校時代の僕はわからなかっただろう。今なら、少しわかる気がする。悲しいかな年と経験が増えていくと、昔は不可解に硬かったはずのものも、バターを暖めたバターナイフで切り開くようにわかるようになることがあるのだ。
まあ、そんなわけで、回転木馬を読了。外は、雷雨のかわりに猛暑が降っている。
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村上春樹の短編集。
長編の書き手としても彼は優秀だと思うが、それよりも短編の書き手としても優秀であると僕は思っている。
この短編のテクニックとしては、本のはじめで、「これらは実際にあった話で、僕自身が聞いたものである」として、読者に対してリアリティーを持ってもらえるような仕掛けをしておく。しかし、それに続く短編の一つ一つは「微妙に現実感がないような話」を書く。それらのずれよって、読み終わった後に、何か胸につっかえるような、煮え切らない感覚を読者に残すのである。
短編を読み終わった後にこのような「奇妙な感覚」を残すようなものを書ける作家は、日本では彼しかいない。
この8つの短編の中では、「ハンティングナイフ」と「野球場」がおすすめ。野球場は、スコット・フィッツジェラルドの小説「グレート・ギャッツビー」に対するオマージェかもしれない。
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小説ではなく、村上春樹氏が出会った人々に起こった出来事の短編集。
“あなたに似ている人はいますか?”的なことが背表紙に書かれていたけど、いやいないだろう。
どの人々も、視点が45度くらいずれているような感じがして面白かった。
人生の折り返し地点。
を自ら定めたという話が特に。
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メリーゴーラウンドをモチーフにして、写真を撮っていた時に読みました。
強いて言えばこれが好きかな、と思うくらい。
何れも、全体的に暗い。人との関わり方や話し方や台詞、すべてが腑に落ちない感じ。
気分が悪くなります。
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- しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートをくりひろげているように見える-
リアリズムの文体で書くことの訓練としての短編群。この訓練はのちに「ノルウェイの森」で活きた、と村上春樹自身が語っている。作者にしてみれば、これは書きたくて書いたのではなく、自分の小説というポジションではないらしい。私は、「回転木馬のデッド・ヒート」というタイトルがもう無条件で好き。引用の一文だけでもこの本を所有したくなる。