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過去に通り過ぎた本が過ぎただけではなく血や肉になっていて,年を重ねて再読することで自身のそれらの本に対する時系列的な捉え方を考察し,その違いを深く考え進めていることに恐れ入った.少なくとも大半の本を私はそのように読んでいない.例え1冊でも,生涯大事にしたいと思う本を見付けることが乱読の必要性なのだ,と自分を納得させる.
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小川洋子さんは岡山市朝日高校出身、内田百閒の居た古京町の隣の森下町で生まれたらしい。夕方5時、県庁のドボルザークの「家路」放送で家に帰るのは、あの街だけの特権だった。さらには、やがてしばらくは倉敷市に住んでいる(「玉島に10年住んでいた」というのは異議がある。倉敷市鶴の浦は玉島ではない)。平松洋子さんは、なんと倉敷市中島の出身、私より2歳上だから、何処かですれ違っていたかもしれない。渡辺和子学長がいた頃のノートルダム精心高校の出身。
この本は、2人の洋子さんが、少女、大人の女性、その他人生の中で読んできた愛読書を持ち寄り、お互い読んで、お互い感想を出し合うというもの。本の世界は、ワールドワイドなので、倉敷市なんて関係ないのではあるが、時々ふと「共通の話題」として出てくるのが、とっても嬉しい。
2人と私の興味関心は違うので、2人の提出した34冊のうちに、私の既読は(映画「道」を含む)3つだけだった。それでも、本が好き、という共通項があるので、ひとつひとつがとても面白かった。また、年代が似通っていることもあって、高度成長期に大人になって、歴史の激動に揺さぶられることなく、穏やかに読書を通してアイデンティティを確立してきた我々の世代を説明されていたような気もした。
反対に言えば、穏やかな環境に居ても、人生にきちんと向き合えば、世の中の大切なことは理解するということなのだろう。
以下私的メモ。
⚫︎(平松)英語詩集の翻訳ノートを作っていた。一人遊びとして楽しかった。
⚫︎忘れられない味(平松)宇高連絡船の立ち食い讃岐うどん「いまだに死ぬ前はあれを食べたい」(小川)年一回の天満屋屋上のカレーとか、お子様ランチ(←支持!)
⚫︎「道」のジエルソミーナは、ほとんど「ザンパノ」しか言っていなくても、彼女の瞳を見ていると心の動きは全部わかる。類人猿の中でヒトが1番白目がハッキリしている。心の内を読まれないように、ヒトは言葉を編み出したのか?(ウソは言うな、と子供の頃から教えられるけど)ヒトは先天的にウソをいうようになっているらしい。(平松)誰かと理解し合いたいのにどうしても出来ない絶望感とか諦めは、誰もが経験する。
⚫︎『美食放浪記(檀一雄)』「岡山はまた、ちょっとした食堂や酒の店に、必ずといってよいほど『雑煮』を売っている」「雑煮の具はブリであり、サワラであり、エビであり、穴子であり、カマボコであり、春菊であるが」あゝこういう雑煮だったな(平松)。(←コレ岡山市の雑煮だな。今では売っていないんでないかな)
⚫︎旅について(小川)日常生活の中でとりこぼしている偶然が、必然として育っていく(平松)ある意味、自分のあり方の訓練。「これだ」と思った瞬間に感知する力。
⚫︎豚コマワンパック何を作るか?(平松)細かく刻んで肉味噌。(小川)豚汁
⚫︎日々の習慣(平松)1時間20分、一万歩のウオーキング8年間(小川)50分ほどのスロージョギング3年間。
⚫︎自分に許している贅沢(小川)本の値段を見ない。和菓子「空也」のもなか。(平松)週一二回ステーキ(ランプ肉)
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二人の洋子さんが奥さんの洋子さんを撮った写真集について語る・・・ふしぎ。
深い話となった「キス」が読みたくなった。
本以外の対談も興味深い
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小川洋子さんと平松洋子さんの対談集。少女時代から自立まで5つのテーマで語られる。それぞれが選んだ本との出会いや記憶を追体験できたような気持ちに。
「第二章 少女から大人になる」が好き。思春期の自意識と向き合う息苦しさ、やり場のない気持ちを思い出す。
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2人の洋子さんの対談集です。
平松洋子氏はさぞかし多くの食にまつわる
本を読んでいるのでは、と思いましたが、
ここで語られているのは文学作品ばかりで
した。
そうだろうなあ。
文章が上手いのは、やはり幼少の頃から
多くの良書に触れていたからなのだな、と
納得しました。
小説家である小川洋子氏も当然しかりであ
あり、それゆえ2人の本にまつわる楽しい
対談集に仕上がっています。
本好きの女性はどのような本を読んで、
自身の成長につなげていくのかが分かる
一冊です。
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どちらも好きな作家さんなので、読んでいて楽しかった。
ふたりの対談が全部素敵な言葉ばかりで、言葉を楽しんだ感じ。
アンネの日記はもう一度読み返したいな。
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小川洋子、平松洋子両氏の対談。
お互いにテーマに沿った一冊を持ち寄り、その本に沿ったテーマで対談するという、お二人のファンにとってはたまらない企画。
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同郷で同世代で名前も同じ。小説家・小川洋子とエッセイスト・平松洋子。踏みしめてきた数々の「踊り場」を振り返れば、そこにはいつも本があった―。ふたりはこんな本でできている。アンネ、ドイル、ケストナー、増井和子、タブッキ、白洲正子、倉橋由美子、深沢七郎、藤沢周平…。お二人が古今東西の名作を入り口に、本と人生を読みほどき、楽しく語り尽くした、滋味あふれる対話集。
目次
第1章 少女時代の本棚&“私たちをつくっている、ささやかな記憶の欠片”
第2章 少女から大人になる&“忘れられないあの味、この味”
第3章 家を出る&“私の中の海。産むこと、母になること”
第4章 人生のあめ玉&“日々の習慣がくれる偉大な力”
第5章 旅立ち、そして祝福&“女友達、男友達の条件”
巻末附録 人生問答
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二人の洋子さんが、人生に影響を与えた本について対談。 教養と感性が豊かな人はこうやって文学を愉しむのか。物語の背景と自身の経験を重ね合わせながら昇華させてる。 飴玉を嘗めるように幸せな記憶を思い出して乗り切るって素敵。
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作家が好きな本について話すというのが好きだし、すごく気になる本も何冊も出てきたけれど、そんなことより何より母と娘の関係や子育てのはなしが印象的。
「死なないと手渡してあげられないものがある。死ぬことで、遺された人たちは新たな地平に行くことができる。だとすれば、自分にも生きて死ぬ意味がある。」
「息子の可愛らしさの記憶なら、私も五つくらい保存があって、それをつらいことがあると繰り返し思い出して、またしまっておけば、いつでも再生可能。だから百個も、二百個も要らないんですね。五つでも多いくらい、三つぐらいあれば十分(笑)。」
「きっと、うちの両親だって、何かすごく馬鹿げた、本人が忘れているようなことを、記憶のあめ玉にしていただろうなと思えるんですね。」
自分にもあるなあ、記憶のあめ玉。
なるほど、確かに3つもあればじゅうぶん。
そう思ってとても、すっきりした。
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二人の洋子さんの、本にまつわる対談です。少女が大人になることと本との関わりが率直に話されていて嬉しくなる。母のこと、産み、育てることと「死なないと手渡してあげられないものがある」こと…自分が女であることを改めて意識する。
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2人の洋子さんが、少女時代から各年代ごとの愛読書を持ち寄って語りつくす。これが殆ど未読の本ばかりなんだ。読んだことのある本なら、そこで語られることに反応できるけど、知らない本はそうもいかない。もちろん「今度読んでみますか」ってこともあるけど、読書案内のための対談ではないのでそれも苦しいところ。
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小川洋子さんって、すごい売れっ子作家さんなのに作品に出てくる人とおんなじで慎ましい人、無欲な人って印象なんだけど、よりその印象が強まった。
親の嫌いな部分、欠点ばかり似てきてしまったなあと思っているけど、小川さんの「子どもが自分に似ちゃったなぁと思うのはたいてい欠点の方。ああ、やっぱり、みたいな」(P133)というとを読んで、親の視点から見てもそうなのか、と思った。まだ娘からの視点でしか考えられないけど世のお母さん方もそんなことを考えているのかな。
以下共感したところ、覚えておきたいところをかいつまんで
✳︎子どもが巣立つ時、もう取り返しがつかないんだという後悔がくる。
もっと日々感謝しながら大切にすべき日々だったのに、お弁当作りを面倒に思ったり
✳︎南桂子の銅版画の少女と「道」(フェリーニ)のジェルソミーナの視線が重なる。対象のその向こうにあるものをすーっと見通すような
✳︎人って理解し合えてなくても誰かが必要
✳︎旅は、いつかは終わらなくてはいけないものとしてそこにあると思う。永遠にどこかに向かい続けると人は疲弊していく(P123)
✳︎多和田葉子の「容疑者の夜行列車」と「インド夜想曲」は重なる。前へ前へ自分の魂を抱えながら先に進み、同時に後ろからひたひたと追いかけてくるものがある(p124)
✳︎どんなに嫌な相手でも人間である限りいつかは死にますので、そんなに無理に別れなくてもいいのではないかと思うようになりました(P232)
→わらった
✳︎友人夫婦の話だけど、万一どちらか片方が目の前で倒れたら、「大丈夫?大丈夫?」って言いながらぐらぐら揺すろうねって約束してるんです
→わらった
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言葉を仕事にする人たちは幼少期から言葉に敏感なんだと、読んだものが何一つ身になっていない(忘れている)我が身を振り返りました
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小説家って凄いなあ。2人の文筆家の会話、言葉のキラキラした深い深い広い広い海の中に漂わせてもらった。心地よくて、楽しくて、読んでみたくなる本も沢山。