紙の本
適度な距離感が難しい
2022/06/03 18:28
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
大家と下宿人とが一線を越えるまでが、克明に描かれていました。どこまでが善意として許されるのか、押し付けになってしまうボーダーラインについて考えさせられます。
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木村紅美さんの『雪子さんの足音』を読みました。
主人公「薫」はモラトリアムの時代を表現(文学)に逃げていますが、作品を書くことはできていません。彼は人の親切を無批判に受け入れ、時折、他人を傷つけます。彼は真面目ですが客観的にはダメな人間といえます。彼のパーソナリティについて、人として共感できる点は少ないですが、作品に欠かせない主人公としてとても面白く読みました。社会的にも学業にもひた向きではなく、他者との距離感も失敗した普通の学生が描かれています。これも得難い若さといえると思います。
> 東京に出張した薫は、新聞記事で、大学時代を過ごしたアパートの大家・雪子さんが、熱中症でひとり亡くなったことを知った。 20年ぶりにアパートに向かう道で、彼は、当時の日々を思い出していく。
主人公 薫 は大学時代に住んだ「月光莊」の大家さん雪子がなくなったことを新聞記事で知ります。この作品は彼の邂逅の物語です。
> こちらへ降りて詰め寄ってきた。つぼでも押すように手首に触れられ、背中を冷や汗が伝う。年寄りの大家を邪慳に振り払えるわけもない。 「うちですませるほうが栄養のバランスが取れるし、お代も浮くでしょうに。病気にならないか心配」 「病気? まさか」 「偏った食事は、将来、糖尿や何やを誘発しやすくなるのよ。もちろん、無理強いするつもりはありませんけど」 冷静に考えると、仕送りを節約できるのは魅力だった。向こうは若い人に接するのが生き甲斐と化していて、互いに純粋に得するだけだと言い聞かせた。 「じゃあ、お言葉に甘えて」
「大家さんの雪子さん」と同じく月光莊に住んでいる「小野田さん」は、何かと彼に世話を焼きます。薫はそのような始めのころは辟易しますが、食事代が浮くという打算的な理由でその申し出を拒むことはありませんでした。彼は悪い人間ではありませんが、このような好意を受け入れることに対して遠慮がありません。
若いころにはあまり他人への思慮や遠慮がないものですよね。彼のこのような態度は「小野田さん」の思慕を引き寄せます。彼女「小野田さん」も人との距離の取り方に難があるようで一方的に性的な関係を求めてきますが主人公はそれを断ります。結果として彼女の間には溝が生まれます。「小野田さん」が段階的に発展を図るかたちの愛情表現ができないことに哀しさを覚えます。彼女も苦しんでいると考えます。
> 「小野田さんが帰国次第、手紙のやりとりに戻す、と約束しましたよね? もう、つきあってられないです。頼んでもないのに洗濯機カバーを換えたり、掃除とか、今後は一切止めてください」 雪子さんは疲れのあらわなよどんだ眼を、てんで文句が通じていなさそうにしばたたかせた。演技に感じさせない。 「洗濯機……、掃除? なんのことなの」 「わかっているくせに」 口の端がほころび、いたずらっぽく微笑まれた。 「もし、知らないうちにお部屋が片づいていたのだとしたら、執筆を助けたい妖精のしわざではないかしら」 ふざけている。いよいよ、電車がホームへすべりこんだ。
彼は彼女たちの行為を一方的なかたちで打ち切ります。「雪子さん」のおせっかいは純粋に彼を思ってのことだったのですが彼を追い詰めることになります。
いい加減、重箱の底まで行き当たるころだろうと期待し箸のさきで探ると、そこにはまだ焦げ目のついた脂の固まってきた鰻が埋もれ、その下には、たれの染みたごはん粒が敷き詰められている。勿体なくて投げ出すわけにはいかない。 「わたしがあなたと同じ齢のころは、東京はなにも食べるものがなくなって飢えた経験があるから。つい、あなたにも小野田さんにも、栄養失調だった自分や、ほんとに不憫なことに飢えて亡くなった同世代の人たちの代わりとして、たらふく食べてもらいたくなるの。……飢え、というのは、それはそれはつらいから」
人は若かりし頃、未熟で人との距離感に悩み、間接的に人を傷つけてしまうという当たり前の人物が描かれています。おそらくは大正生まれの親切な雪子さんと平成の若者(薫・小野田さん)の断絶や距離感、雪子さんが感じたであろう時代(哀しさ)がよく表現されていると思います。とても面白い作品でした。
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東京に出張した薫は、新聞記事で、大学時代を過ごしたアパートの大家・雪子さんが、熱中症でひとり亡くなったことを知った。
20年ぶりにアパートに向かう道で、彼は、当時の日々を思い出していく。
人間関係の襞を繊細に描く、著者新境地の傑作!
第158回芥川賞候補作。
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いまどき珍しい、店子と距離を近く取りたがる月光荘の大家の雪子さんを、大学生だった薫は、ある意味いいように利用しながら、次第に鬱陶しく面倒くさく思うようになり、若さゆえもあり、相手の思惑を思いやることもできずに、突き放すようにして引っ越してしまったのだった。社会人になった彼は、新聞の片隅に、雪子さんの死亡記事を見つけ、出張帰りに月光荘の前まで行ってみることにした。そこまでの道筋で思い返したあの日々の物語である。大家の雪子さんと、湯佐薫、そして、もうひとりの住人で薫と同い年の女性・小野田さんとの、ちょっぴり不思議な関係が、ある角度から見ると微笑ましくもあり、別の角度から見ると互いに依存しすぎにも見えて、登場人物それぞれの気持ちが判るだけに、やり切れなくもある。心の窪みを何かで埋めたいという欲求がお互いを縛り合っているようにも見え、三人ともが少しだけ不器用だったのかもしれないとも思う。ほんの少しの違いで、まったく別の関係性が築けたかもしれないと思うと、もったいないような気もする。懐かしいような、切なく哀しいような、さまざま考えさせられる一冊である。
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大家と店子の関係,親切がお節介に,さらにはストーカー的な行為に感じるほど主人公は心理的な圧迫を覚える.しかし主人公にも打算的な甘えがあり,不気味な関係ながらどちらもどちらという感じがして,むしろ雪子さんがかわいそうだった.嫌だ嫌だと思いながら毎日ご飯を出前してもらう神経の方が,つまりは主人公の厚かましさの方が理解不能だった.
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40年前に住んでいた中野の下宿のおばあさんと重ね合わせて読ませていただき、すごい郷愁を感じた。食事の招待は無かったけど、部屋の掃除はよくしてもらったな。
昨年、その下宿を引き払って以来、初めて訪れたがおばあさんはおろか築年数の経つアパートが建っていた。すごく寂しかったな。
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小さなアパートで始まる疑似家族。
親切が過ぎて煩わしくなったり、こじれて縁を切ってみたり、勝手に頼ってみたり。
それぞれ少し壊れた人たちが居場所と姿を探す。
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あ~、出てくる登場人物すべてに苛立ちを感じてしまう。
みんながみんな不器用。
人付き合いの距離感が主題で、最後も綺麗にまとまってはいるんですが、読みながらもやもやしてしまいました。。
雪子さんの作るごはんは美味しそうです。
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薫(男性)は、大学生のころに暮らしたアパートの大家・雪子さんが亡くなったことを知る。
当時の雪子さんは70歳ほど。
薫を孫のように可愛がり、お小遣いを渡したり食事の世話をしたりと、徐々に生活の中にも入り込んできた。
同じアパートに住む小野田さんも、薫に好意を持ち近づいてきた。
2人が侵食してくる。
スパッと切り捨てたつもりで、グズグズ悩む薫。
雪子さんと小野田さん、只者ではない。と、読者の私は思った。
不穏な空気を醸し出す、こういう話、好きだ。
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学生時代の20年前、家賃5万円の月光荘というアパートで暮らしていた薫は、大家の雪子さん、同じアパートの住人・小野寺さんと微妙な距離を保ちながら暮らしていたが・・・
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第158回芥川賞候補作。「おらおらでひとりいぐも」もそうだったけど、芥川賞候補にしては読みやすく、分かりやすい。私は、こちらの方が好きだけどね。
すんなり読めるけど、時々心にクッと引っ掛かりを残す文章とかがあって、手を止めて「あ~そうだよね」と考えたりしながら読んだ。
最後もあっさり終わるのだけど、読後感が不思議と良く、なんだかうっすら希望のようなものまで見えて、いい感じで本を閉じられた。
薫が出て行ってからの月光荘の後日談を是非読んでみたいものです。
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「(松本)竣介が盛岡中学で、彫刻家の舟越保武と同学年で親友だったというのは、すごいつながりですよね」(p. 19)ーーなるほど、そこはつながるのか。それはたしかにすごいな。
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主人公の馴れ合いたくない、馴染みたくない、だけど美味しいところだけは頂戴したいという気持ちわかるなー。
孫とおばあちゃんごっこ。まさに。
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公務員の遊佐薫は、20年前に住んでいたアパートの大家さんが熱中症で孤独死したことを、出張先のホテルの朝刊で知る。
川島雪子(90)
眠るように死んで、まだきれいなままで下宿人に発見されたい、というのが彼女の夢だったが…
(たぶん、眠れる森の美女みたいな自分を妄想していたのだろう)
死後一週間は発見されなかったらしい。
下宿人ではなく、連絡がつかなくなったことを不審に思った親戚によって発見されたのだった。
薫は、自分がアパートを飛び出すきっかけになった、大家の過干渉に思いをはせる。
他人がプライベートに踏み込むことをどこまで許せるかによって、この本の感想…雪子さんや主人公の薫に対する印象も変わるのではないかと思う。
私にとっては、ホラー。牡丹灯篭レベルの。
(この本のジャンルはホラーではありません、念のため)
しかし、怪異に取り憑かれるのは、やはり隙があるからなのだ。
しおらしくされ、「断ったら可哀想だから」
利益になること、手っ取り早くならばお金を惜しげもなくくれることに「都合のいいところだけ利用すればいい」
そんな気持ちの裏側にするりと滑り込まれる。
毎日食事に誘われたり、美術館に行くと言ったら付いてきたり、足音で帰りの時間をチェックされたり、恋人はいるのかとしつこく詮索されたり。
留守の間に部屋が掃除され、ゴミ箱の中のものを保管される。
私だったらすぐに出る。
ごはんもお小遣いもいらない。
子供が引きこもりの暴力息子になってしまったのも、世話しすぎのせいだったんじゃないかと思ってしまう。
江戸時代の大家さんは、親代わりのように店子の面倒を見たというけれど、雪子さんの場合はそういうものではない。
恋愛の方は小野田さんを使って代用しているみたいだが、金持ちの老婆が若者に恋して、金をつぎ込むことで歓心を得ようとしているのと似ている。
雪子さんは全くそのつもりはないのだが、見ようによってはそう見えてしまう。
つまり、女二人がかりで取り憑かれていたようなもの。
小野田さんも非常に不気味だ。
しかし、食事の誘いも最初から断って、ドライな関係を維持している住人もいる。
雪子さんも薫も、お互いに距離の取り方に失敗したのだ。
20年たって振り返れば、色あせた写真の中のような思い出だ。
“今思い出してもぞっとする”という印象ではない、過去として薄れた感がちょうどいい。
しかし、近づいてくる女性をどこかで警戒してしまうようになったのは、月光荘であったことが薫に全く影を落としていないわけではない、ということだろう。
いまや40代で独身。
チラッと遠い未来の自分のことが頭をかすめたりもするのだ。
…やはり、そこはかとなく怖いのかな?
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第158回芥川賞候補作。薫が大学時代過ごしたアパートには雪子さんという大家さんがいた。雪子さんが亡くなったと知り、過去のことを思い出す。大学時代の仲間と雪子さん、住人の女性とのこと。雪子さんは下宿人に食事の世話やお小遣いまであげるほど、世話を焼きたがったのだった。
どうも『大家さんと僕』が終始頭から離れず。全然違う内容だし、トーンも違うんだけれどね。
雪子さんにも薫にも他住人もあんまりいい感情は抱かなかったけれど(雪子さんの寂しさ等はわからないでもないですが、みんな都合が良すぎではないですかと)、ページの続きが読みたくなる内容だし、雰囲気はうまくまとまっていた印象をです、薫の苛立ち等の心情、さらりと書いてしまうのはうまいんではないかい。
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下宿先で受ける親切、あるいはお節介が煩わしいと感じる瞬間や、それでも気を遣って付き合ってしまうくだりなど、他人が自分の懐に入ってくる時の人間関係の描き方が印象的。登場する人物は良くもなく悪くもなく、近づきすぎることから生まれるズレや他人への距離の測り方なども描かれる。これに恐怖を抱く人もいれば、冷淡さを感じる人もいると思う。かく言う自分は淡々と読み、まあこういう感情が生まれるのはわからなくもない、と思った次第。