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面白いルポルタージュとは、雑多な資料を一度自身の中で咀嚼し、重要で外せないなものだけを時系列につなぎあわせることで、内容のスリム化を図り、論点をわかりやすく読者に提供することにある。本書では、すべての手持ち資料を残さず使い切ったために、エンタメ性を犠牲にし、それ故に正確な研究取材となっている。この辺の好みは分かれそう。
石井部隊の残党が、ミドリ十字を興し(前身の日本ブラッドバンクはGHQ主導だった)、その後の薬害エイズ問題を引き起こしたのは、人命を軽視するマッドサイエンティストの遺伝子を立派に引き継いだともいえよう。
そして、戦争に乗じ科学の発展を隠れ蓑にした人体実験に手を染めた事実があるなら断罪されるべきだが(実際にははっきりしない)、考えてみれば、大量殺りく兵器である原爆の2度の投下、非戦闘員である民間人を狙った東京大空襲、沖縄戦における毒ガス使用など非人道的な戦闘行為を行った米国に日本人を裁く資格があったのかという点も問われるべきであろう。
731部隊(しちさんいちぶたい)は、第二次世界大戦期の大日本帝国陸軍に存在した研究機関のひとつ。正式名称は関東軍防疫給水部本部で、731部隊の名は、その秘匿名称(通称号)である満州第七三一部隊の略。このような通称号は日本陸軍の全部隊に付与されていた。初代部隊長の石井四郎(陸軍軍医中将)にちなんで石井部隊とも呼ばれる。
満州に拠点をおいて、防疫給水の名のとおり兵士の感染症予防や、そのための衛生的な給水体制の研究を主任務とすると同時に、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関でもあった。そのために人体実験生物兵器の実戦的使用を行っていた。 細菌戦研究機関だったとする論者の中でも、その中核的存在であったとする見方がある一方で、陸軍軍医学校を中核とし、登戸研究所等の周辺研究機関をネットワーク化した特殊兵器の研究・開発のための実験・実戦部門の一部であったという見方も存在する。
731部隊では、生物兵器の開発や治療法の研究などの目的で、本人の同意に基づかない不当な人体実験も行われていたとする説がある。 人体実験が行われていたとする説によると、被験者とされたのは捕虜やスパイ容疑者として拘束された朝鮮人、中国人、モンゴル人、アメリカ人、ロシア人等で、「マルタ(丸太)」の隠語で呼称されていたという。その人数は、終戦後にソ連が行ったハバロフスク裁判での川島清軍医少将(731部隊第4部長)の証言によると3,000人以上とされるが、ハバロフスク裁判では石井四郎中将が無罪とされているため証言の信用性は疑問である。犠牲者の人数についてはもっと少ないとする者もあり、解剖班に関わったとする胡桃沢正邦技手は多くても700 - 800人とし、別に年に100人程度で総数1000人未満という推定もある。終戦時には、生存していた40-50人の「マルタ」が証拠隠滅のために殺害されたという。
こうした非人道的な人体実験が行われていたとする主たる根拠は、元部隊員など関係者の証言である。例えば、元731部隊員で中国帰還者連絡会(中帰連)会員の篠塚良雄は、当時14歳の少年隊員として「防疫給水部」というところに配属され、細菌を生きている人へ移すという人��実験を行ったことを、2007年にアメリカ、イギリス、中国などの歴史番組のインタビューで答えた。篠塚は、当時若かった自分の罪を悔やんでいるとして、2007年には中国のハルピンへ行き、遺族や被害者に謝罪をしている。ただし、中帰連関係者などの証言については、撫順戦犯管理所での「教育」によって「大日本帝国による侵略行為と自己の罪悪行為」を全面的に否定(自己批判)させられた者の証言であることから、信憑性を疑問視する見方もある。また、篠塚の証言に関しては、731部隊には少年隊は存在しなかったとして疑問視する見解もある。
人体実験に関わる部隊の活動や証言を裏付ける文献資料はほとんど確認されていない。近年になり731部隊関係の米国の公文書が機密指定解除されたため調査が行われたが、その中からは非人道的な実験が行われた記録は発見されなかった。ニューヨーク在住のノンフィクション作家である青木冨貴子によって石井四郎が終戦後に書いた手記が発見されており、それには戦後の石井の行動の克明な記録に加えて、戦時中の行動に関しても相当量が記載されていたが、その中にも非人道的な活動を明示する内容は無かった。 また、森村誠一『続・悪魔の飽食』などに「731部隊によって生体解剖される中国人の犠牲者」として紹介された写真は、『山東省動乱記念写真帖』(青島新報、1928年)に掲載された済南事件被害者の検死中の写真であり、731部隊とは無関係であった。
(ウィキペディア)