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つながっている。
みな、つながっている。
どこかでつながっている。
全てにおいてつながりがある。
関係がないとは言えない。
自分が出きる小さなこと、
深く考えられること、それが世界。
大きくとも小さくとも。
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国ではなく「くに」を作るプロジェクトをたちあげたランちゃんたち。高橋家がそのままモデルなのだろうなぁと思いながら読んだ。
「憲法は使わないと」とか領土がなければ領土争いなんておきないとか柔らかい思考の大切さを感じつつ、面白かったけれど、不思議なモヤモヤも残った。そのモヤモヤの正体はまだわからない。
アイちゃん一家が出て来て、小さな人が出て来て、小さな人が出てきたからイギリスが登場したのかなぁ。小さな人が出てきたことの意味は何なのだろうなぁ。
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高橋源一郎さんの昨年12月に発売された本です。
この本の前に、期せずして「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎)を久しぶりに読んだのですが、この本を読み進める中で内容がシンクロしてきて、いろいろと考えることができたように思います。
「国」について、昨年から根源的に考えさせられるような流れが強まっていますが、そのことを「一人一人が考えよう」と呼びかけているのかも知れません。平易な言葉で呼びかけることの大切さも教えてくれているようです。
おすすめの一冊です。
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なんて不思議な本なのかしら。
もっと読み込むか、国について考えたり調べたりするか、とにかく何かしないと、今のままの自分では色々浅すぎて理解出来ません…
高橋源一郎さんの本初めて読みました。ランちゃんがとても素敵。
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なかなか面白い内容でした。
少し、子供であることを出汁にして
不自然な言い分を展開しているところもあるような
気がしますが。本質的な内容や国家とは・天皇制とは
とい部分がきっちり展開されていると思います。
南方熊楠と昭和天皇のこと。本との出会い。
いろいろおもしろいと思いました。
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新書の体裁をとった小説。やっぱり高橋源一郎の論ずる国家論は響きます。小説の形態をとることによって、普遍性を持たせることにも成功している感じ。ところで、今流行りの『どう生きるか』って、こういう内容なんですね。著者のあとがきでも触れられていたけど、同じ時期に発刊されたのは偶然だったみたい。件の作品は未読だし、漫画になって読みやすそうだし、そっちも試してみようかな。
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領土問題のこと、象徴天皇制のこと、憲法のこと…いろいろなことが遠回りに、小説形式で書かれている。
子どもたちが発するみずみずしい疑問や表現によって、なるほど、と思ったり面白い見方だな、と感じる部分もあったけど、理解力に乏しいのかよくわからない部分もあったり、読みづらく感じる箇所も。
『ぼくらの民主主義なんだぜ』のほうが、個人的には良かった。
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これは、高橋源一郎さんが書いた寓話です。山梨県にある「がっこう」に通うランちゃんたち4人が「くに」をつくるというプロジェクトをはじめて建国するまでが描かれますが、こうやってできる「くに」に私も住みたいと思います。
それにしても、アイちゃんの一家が背負っている責任の重さを思うと、2019年が来るのが怖くなりますが、それだけに応援したくなりますね。
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ちょっと気になった本だったので手に取ってみました。著者自身が「あとがき」で記している想いは確かに感じられますが、プロットに少々無理があるせいか、伝えたいことがかえって分かりにくくなってしまった印象があります。
ストレートな論説の方が、私には合っていたようです。
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この本を読んだ事は決して忘れないだろうと思う。
小さな子供が作ろうと思ったのは
プラモデルでも遊具でもなく、国だった。
実に分かりやすく丁寧に書かれていて
人の心の根幹を問われている気がしてならない。
くにを作るということは単に独立ではなく自立であって自律。自分もこの国の一員でありたい。
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「ぼくたちは、夏休みに「くに」をつくることになったー 日本のサローヤン、高橋源一郎の「教養小説」。
●「ふつう、生きているにんげんは、同じことしかいわないのに、死んで、本の中だけでしゃべってくれるひとのほうが、いつもちがったことをいってくれるんだよ」
●「ぼくたちが生まれたときには、国というものが、もうありました。おとうさんやおかあさんの生まれたときにも、それから、その前からずっと。なので、国があるのは当たり前、ってことになっています。当たり前のことには気をつけたほうがいいです。」
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高橋源一郎さんの小説。相変わらず不思議な小説。こどもたちが主人公で、ある学校にいる生徒たちが、不思議な先生たちとインタラクションをして夏休みの宿題で『くに』を作っていくお話。『くに』だって作ることができるのだと。小説によって、『くに』というものの形をゆるめて、そして、たぶん民主主義というものについて、なにかを湧き出させようとしている。『くに』については明白に意識的だけれども、ひらがなが多いのもあきらかに意識的で、それはこの小説のもつ特性のひとつになっている。本がすきなにんげんは、もっている本をぜんぶ読むようなことはしない、というおとうさんは、自分が書いている小説を『くに』だ、という。『くに』もあるときひとが人口的につくったもので、つくる理由があったということだ。それはある観点では小説もそうだ。少なくとも高橋さんにとってはそういうものだということなのかもしれない。
小説の中で肝太先生はこういう。「わたしの考える『おとな』についてはなしましょう。『おとな』というのは『ひとり』ではなすことができるひとのことです。たったひとり。条件というのは、そのひとに、名前があること。他には、なにもいらない。そのひとが、歳をとっているとか、中学生であるとか、左足に障害があるとか、おおきな通信会社の課長をしているとか、そういうことはすべて関係なく、ただ、『ひとり』で、自分の名前をもっていて、それだけの条件で、なにかをはなす、あるいは、なにかを考える、それが『おとな』であることです」
自分は『おとな』になったのだろうか。
あとがきで高橋さんが書くように「『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』は、二十一世紀版の『君たちはどう生きるか』を目指して書かれた」という。小説というもののひとつの特性は、制約のなさであり、そこに何らかのメッセージ性を込めるとき、そのメッセージの内容によって小説は互いに似てくるものなのかもしれない。
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2018.5.4読了
小学生のランちゃんが夏休みに友達と「くに」を作るという小説のようなもの。文体は易しく子供向けのようにすら感じられるが、国家のあり方や憲法、外交などについて書かれた「小説的社会批判」というジャンルの本らしい。初めて知ったジャンルだ。
自由で個性的で、公立小学校には馴染めなかった子供たちと知性ある優しい大人たちは皆魅力的で、テーマは難しいが考えていくのが心地よくなる。
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ああ、これは高橋源一郎版、21世紀的『君たちはどう生きるか』だなあ、と思いながらわくわくして読み進めたら、最後のあとがきにそれを意図して書いたってあって、少し自分の読書経験に自信がついた次第(笑)。
もう少し違うタイトルにならなかったの?
文庫で出版できなかったの?
もっと多くの人に読まれる可能性の高い流通形態をとることができなかったの?
という疑問が出るくらいいい本だと思う。
もしかしたら怒るような人がいるのかもしれないけれど、こういう形でしか表現できないことも確かにあると思う。
それに著者自身がこの本の内容すべてに諸手を挙げて賛同してもらうことを期待はしていないと思うし。
この本を読んで、それが「考える」ことのきっかけになればいい。
学校では教えてくれないこともあるし、教えられないこと、教えきれないこともある。
いや、たぶん本書でランちゃんのお父さん(誰かモデルになっているかは一目、いや一読瞭然)が言っている通り、本当に大切なことは自分で調べなくちゃならならいんだろうし。
とにかく一度読んでみてほしい。そしていろいろと考えてほしい。できればランちゃんのようにその考えたことを共有し合える仲間と巡り合ってほしい(僕としては巡り合いたいけどそれはなかなか難しい現状なので、ランちゃんのお父さん同様、書棚の本と向き合うことにします)。
そんな本でした。
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普通の学校と違って、生きていく様々を自分のペースで進めることができる学校。
学校で務めていた時に同じような指導をしたことを思い出す。
でも、「なんだか、日本って日本人って変だね、みんなを否定するわけじゃないけどね、ちょっと考え直してみない?」と、口調は穏やかなのだけど、自分が高みにいて、自分や友達以外は同じカテゴリーにいないと言っている感じがして、読むのがしんどかった。