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最近の科学によって明らかになった事実をもとに、人類の歴史が整理されている。人類が発生したのは700万年前。そこから種々の人類が生まれ、30万年前に我々ホモ・サピエンスが誕生し、現在、人類は我々しか存在しない。我々が太古からどのように進化し、また消滅していったか。自分という存在がどういう生物的な歴史を経ているのか知るのは、ためになると思う。
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NHK特集の内容かと思ったら少し違うものだった。でも人類が生きてきた証を易しく説明していて読みやすかった。
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最古の人類は700万年前のサヘラントロプス・チャデンシス。ホモ・サピエンスは25種以上の人類で唯一生き残った種。ヒトとチンパンジーが大きく違うのは、その間の種がすべて絶滅したから。
700万年前に共通の先祖からチンパンジーと人類が分化した。脳が大きくなりはじめたのは250万年前。
直立二足歩行と犬歯の縮小が、人類の特徴。
大後頭孔が頭蓋骨の真下にくる=直立二足歩行に適している。
イーストサイドストーリーは間違い。サヘラントロプス・チャデンシスが住んでいたのは、草原ではなく疎林。疎林に追い出された。
直立二足歩行は足が遅く、見つかりやすく、難産。
個体数が少なければ進化は早く進む。自然選択は不利な個体を除くだけで進化させるとは限らない。個体数が少なければ遺伝的浮動という偶然の効果が自然選択より強くなり、進化の可能性が高まる。
ホモ、アルディピテクス、アウストラロピテクス、などは属名。サピエンス、エレクトスは種小名。合わせると種名。
学名はラテン語。形容詞が名詞の後に来る。サピエンスは賢い、という意味の形容詞。
言葉は時代とともに変化する。学名は変化しないほうが望ましいので死んだ語であるラテン語を使った。
犬歯の縮小は、争いの少なさを表す。人類は平和な生物。メスを巡るオス通しの争いがない=一夫一婦制の社会ができた結果犬歯が縮小した。
チンパンジーは5~10頭のオスに対してメスが1頭。
人間は発情期がないので、オスとメスの割合が1:1日家位。
食料運搬仮説=直立二足歩行の理由ではないか。
直立二足歩行で食料を運搬すると、その子供が生き延びるので直立二足歩行の個体が生き延びた。
人類の祖先は、チンパンジーと共通で道具を使いナックル歩行ではなく、樹上に住む類人猿。
アウストラロピテクス・アファレンシスの女性の化石「ルーシー」。二足歩行が上手になった。
ヒトはたくさん子供を埋めるので捕食されても生存できた。年子を産める、授乳期間でも妊娠できる。マリー・アントワネットの母親のマリア・テレジアは16人の子供がいた。
おばあさん仮説=ヒトは閉経してもおばあちゃんとしての子育ての役割があるから子供の生存率が高く、閉経後も長生きできるように進化した。
進化では優れたものが勝ち残るのではなく子供が多いほうが残る。優れていたので子供が多く残せた、という理由。
石器は、武器というよりも死骸から肉を剥ぐか骨髄を食べるために使われた。オルドワン石器=石を割っただけのもの。
190万年前にホモ・エレクトゥスが現れた。初期のホモ属より脳が大きくなった。
直立二足歩行を始めたので手が自由になった、その結果石器を作ったので脳が大きくなった、は順番が間違い。
直立二足歩行が最初。脳が大きくなったのは食糧事情がよくなったため。
なぜライオンの脳は大きくならないか。脳は大食漢なので動物にとって大きい脳はありがたくないもの。使いみちがなければ小さい方がいい。ライオンは肉を食べるために牙を大きくし、人類は肉を��べるために脳を大きくした。
直立二足歩行のために移動距離を長くできた。短距離は苦手だが長距離は得意。直立二足歩行は4足歩行の1/4しかエネルギーを使わない。
ホモ・エレクトゥスは走ったはじめての人類。走れれば死骸を手に入れることが多くなる。
ホモ・エレクトゥスの出現のころに体毛を失った。
地球上には過去には、同時期に複数の人類が生きていた。今はホモ・サピエンスしかいない。
約4万年前にホモ・ネアンデルターレンシスが絶滅してホモ・サピエンスだけになった。
食物を巡る争いに破れた。
ホモ属は仕方なくアフリカを出た。二足歩行で長距離を移動できたから出たわけではない。
貧しい環境に耐えられた種が生き延びる。アフリカを出た人類を最古の化石はドマニシ原人。
人間の出アフリカは乾燥化で他の動物がユーラシア大陸に越えたのと同じ。
180万年前にアフリカからユーラシア大陸に出た。
ジャワ原人はホモ・エレクトゥス。
ホモ・エレクトゥスはアシュール石器を作った。面倒だが機能が優れていた。
火の使用が始まった。
約70万年前にホモ・ハイデルベルゲンシスが生まれた。ホモ・ハイデルベルゲンシスから、ネアンデルタール人とヒトが進化した。
火を使う。38万年前の古い小屋がフランスにある。
脳化指数はホモ・エレクトゥスまではイルカが一番だった。150万年前まではイルカが一番頭がいい。
脳が大きくなったのは群れで生活するため認知能力必要だったから。
鳥は肉食恐竜の子孫。
ネアンデルタール人は30万年前に登場した。4万8千年前まで。その後4万7千年前にホモ・サピエンスがヨーロッパに入ってくると減少し、4万年前に絶滅。
ネアンデルタール人は脳が大きい。肌の色が白い=ヨーロッパに住んでいたため。
アフリカにとどまったホモ・ハイデルベルゲンシスから30万年前にホモ・サピエンスが生まれた。
ミトコンドリアのDNAは母性のみで受け継ぐ。
ネアンデルタール人の脳は大きくなった。ホモ・サピエンスの脳は少し小さいが新型。
どちらも象徴化行動の証拠がある。
食人と埋葬=反対の行動。ネアンデルタール人も埋葬した。ネアンデルタール人は抽象的概念は理解できないのではないか。
ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は7000年ほど共存した。ホモ・サピエンスは狩りが上手で子供がお多い。ネアンデルタール人は燃費が悪い。寒さとホモ・サピエンスのために絶滅した。
ホモ・サピエンスも昔のほうが脳が大きかった。
ウォレス線=深い海峡のため氷河期でも種が混じり合わない線。孤立した島では大型動物は小さくなり、小型動物は大きくなる。
ネアンデルタール人はアフリカ以外のホモ・サピエンスと交配している。
現在のメラネシア人の5%のDNAはデニソワ人由来のもの。
農耕はわずか1万年前。戦争もそれ以降。
同じ生態的地位を占める2種は同じ場所に共存できない=ガウゼの法則。条件を変えると、どちらか生き残るか変わる。=条件が違えば、ホモ・サピエンスではなく���アンデルタール人の世界になっていたかもしれない。
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カタカナや年号が多くて難しいとこもあるけど、たとえ話が分かりやすくて読みやすくなっている
ネアンデルタール人と人類の関係が面白い
ネアンデルタール人やデニソワ人と交雑していたというのはそれだけでいろんな想像が膨らむ
勝手な想像だけど
まず人種以外のホモ属が世界各地に適応して
その後人類が環境適応力と交雑の力で各地のホモ属のいいとこ取りして一気に広がったのかな
ひょっとしたら人種も交雑の差によって生じているとか想像してしまう
人類の脳が縮小傾向というのも色んな想像を生む
大量の電力を要するコンピューターはほんとにベストな器官なんだろうかとか考えてしまう
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ホモ・サピエンスが生き延びているからには、他の人類は過去に滅亡したわけだ。新書らしく、人類史のさわり、面白さに触れさせてくれる1冊。生き延びる条件は、賢さや強さでなく、子を多く作れるか。ひとつの人類が滅亡して次が隆盛したわけでなく、共存していた時期もあり、食人のあとも見られる。そんな太古を想像すると、ゾクゾクする。もしいまもネアンデルタール人とホモサピエンスが共存していたら。ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスよりも脳が大きかった。そんな隣人を想像してみるのがおもしろかった。種の学名がラテン語なのは、過去の言語はもはや時代とともに変化しないからというハナシもおもしろい。
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私たちはホモ・サピエンスだが、遺伝子的に1番近しい生物はチンパンジーやボノボだと言う。
けど、そのチンパンジーと私たちの間にはかつて絶滅した人類がいた。
それがネアンデルタール人やアウストラロピテクスなど。
最古の人類は今はサヘラントロプス・チャデンシス。
チンパンジーと、人類はどのように枝分かれしたのか、そこからホモサピエンスへ行き着くまでに何があったのか。
後半少し疲れた所もあったが興味深く読んだ。
私たちが増え続けるには他の生物を犠牲にしなければいけない。それが現実だそうだ。
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☆人類は一夫一妻制でオス同士のけんかが必要なく、犬歯が退化。直立二足歩行。
☆集団で生活していたため、複雑な人間関係から脳が大きくなった。
☆アウストラロピテクスは植物食であり、攻撃性があるというのは誤りだ。
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山極寿一氏の「暴力はどこから来たか」は、今年1番大きな衝撃を受けた本だった。ただ、専門外の人類史は説明不足の所があった。よって、本書を紐解いた。ビックリしたのは、著者が山極さんと同じように、ダートやローレンツが提唱し「2001年宇宙の旅」で描かれて世界に伝播した「人類史は殺人・戦争の歴史」「戦争本能説」を、明確に間違いだと断定していることである(241p)。山極さんは京大。更科さんは東大だ。まるきり系統が違う2人が同じ結論を、同じ映画を紹介しながら批判しているのに、私は大いに勇気づけられた。私たち人類にお願いです。私の目の黒いうちに「戦争を無くす道筋」を、何とかつくって欲しい。
冒頭にある「主な人類生存表」は、実は最もビックリした部分である。本書を読んでいる間、何度もこの表に立ち帰った。6種のホモ属だけで見たとしても、我々ホモ・サピエンスの生存期間はまだやっと30万年間だ。ホモ・ハイデルベルゲンシス(約50万年間)、ホモ・ハビリス(約110万年間)、ホモ・エレクトゥス(約170万年間)よりは短いのである。種属として優秀かどうかの物差しを、その生存期間で測るとしたら、我々はもしかしたら、(このまま環境悪化が続き、戦争が無くならなければ)非常に劣った種属として、後世の歴史に刻まれるのかもしれない。
この本のテーマは「なぜ我々ホモ・サピエンスが生き延びたのか」というものだ。10万年前は、まだエレクトゥスもフロレスエンシスもネアンデルターレンシスも生きていた。なぜか、我々だけが生き残ったのである。
SFの世界では繰り返し「人類は宇宙人の遺伝子操作によって生まれた(だからホモ・サピエンスは「特別」なのだ)」という物語が作られて来た。しかし、この人類史を読むと、ホモ属だけで無く、アウトラピテクスもアルディピテクスも全て「特別」だったし、全て「失敗」して来ている。私は、ここまで人類学が進んでくると、今までのSF学説は成り立たないと思う。
更科氏は、人類史を描くに辺り、「このシナリオは正しいのか?」と繰り返し我々に問いかける。とても勉強になったのは、「筋道が立っているだけでは、それが真実であるとは言えない」ということを、何度も何度も我々に言い聞かせたのである。人類学は、必ずしも真実が明らかにされない推理小説みたいなものだ、と私は思う。だからこそ、読んでいてゾクゾクする部分がある。それでも、事実か発掘されて、ある事柄については真実だと「証明」出来る時がやってくる。その一つの方法が、第6章で展開される「原始形質と派生形質」の見極め方法である。なぜヒトとチンパンジーは類が違って、ヒトとアウトラピテクス・アフリカヌスは同じ人類なのか。それは派生形質(脳の大小)が違っていたとしても、原始形質(頭蓋骨の下側の大後頭孔)が同じだからである。こうやって、次々と「近縁」を決めていって、あのまるで見て来たかのような動物の「系統図」を作って来たというわけだ。
よって、証明出来ていないことは、キチンとまだ証明出来ていないと書いている。ヒトは「たくさん子どもを産む能力」を持っている。チンパンジーは生涯で6匹、ヒトははるかに��い。マリー・アントワネットの母親マリア・テレジアは16人産んだらしい。これは「共同して子育てする性質を持っているから」で間違いない。それに付随して「おばさん仮説」がある。ヒトだけは、閉経して子どもが産めなくなっても長く生き続けるらしい。これは共同子育ての後に「進化」した性質だというのである。あくまでもまだ「筋道が立っている」だけである。
更科氏が何度も強調し、私たちが肝に命じなければならないことがある。進化において「賢くて、強い者が生き残る」わけではないのだ。進化では「子供を多く残した方が生き残る」のである。脳が大きいから、力が強いから、ホモ・サピエンスは生き残ったわけではない。それで言えば、ネアンデルタール人が生き延びらなければならなかった。
なぜホモ・サピエンスが生き残ったのか。著者は、同時代に生きたネアンデルタール人と「少なくとも集団同士の大規模な争いはなかったようだ」という。著者はネアンデルタール人は、簡単な言語しか話せずに、社会的な基盤がなかったからだ、という。また、身体が大きく燃費が悪かった。氷河期を迎えて寒くなる。ホモ・サピエンスの優れた狩猟技術、細い身体と、防寒の工夫等により、8勝7敗でヒトが生き残った。著者はネアンデルタール人は、異様に記憶力が良かったかもしれないと想像する。現代でも生きていたら、と想像する。それは楽しい想像だ。
ネアンデルタール人は生息地をヒトに追われて絶滅した。著者は最後にこのように警笛を鳴らす。
「現在、多くの野生動物が、絶滅の危機に瀕している。(略)最も多いのは、生息地を人間に奪われて、絶滅しそうな生物だ。(略)椅子取りゲームのように、1人が座れば、もう1人は座れなくなるのだ」(244p)これを敷衍して云うと、「人口抑制しか、人類が生き残る道はない」のかもしれない。
2018年11月読了
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タイトルの通りではあるが、ホモ・サピエンスやアウストラロピテクスといった人類の祖先での比較までに止まっており、生物全体や類人猿との関係についてはあまり触れられていないので、進化や歴史の考察はやや浅い。全体的によく聞いたことのある仮説の説明がされているだけなので、壮大なタイトルには見合わない内容な気がした。
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これはダメです。
定説と誰かの本からの剽窃がないまぜになり、読んでいて気持ち悪くなります。
誰々の説によればとかこれこれの本にという風に出典をつけて欲しかった。
編集者はそのあたりノーチェックなのかな?不思議。
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常々歴史を教えている身でありながら、このあたりのことはほとんど知らなくて、勉強になった。必ずしもわれわれヒト(ホモ・サピエンス)がずば抜けて他の人類、あるいは他の生物に優れていた、というわけでもなく、それでも生きのびて現在の繁栄を築いているわけで、そうしたことについての謎解きを手伝ってくれる。
若干専門的と感じるくだりもあって、そのへんまあざっくりと読んだりしたのだけれど、それでも本書によって受ける知的刺激の大きさは変わらない。
興味深いのは、やはりネアンデルタール人。われわれヒトと共存した時代もあった彼らは、最終的には絶滅してしまうわけだけど、脳の容量はヒトより大きく、恐らくわれわれが持たない、持てないような能力を持っていたのではないのか、ということ。多様性、他者を受け入れる寛容性が求められるこの時代に、ある種のヒントになるようなことも示唆してくれる良書だ。
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教養新書として非常に面白かった。
我々ヒトは、直立歩行と協力関係を武器に生き残ってきたとされる。ヒトが残ったのには、生き残るための武器をうまく得られたという奇跡的なモノも感じる。そうした壮大な人類史のなかに自分もいて、進化(絶滅?)のなかにいるんだなあと、なんだか不思議な、そしてまた、奇跡的な気持ちになったのである。
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ホモ・サピエンス以外にもたくさん存在した人類。ホモエレクトゥスとかネアンデルタール人とか。彼が登場した背景や絶滅した背景などを易しく教えてくれる。
ものすごく興味がある分野、というわけでもないので斜め読み。それでも面白かった。
ゴリラやチンパンジーは住むところを変えずに暮らしているのに、人類はあちこちに移動していった。まるでゴリラ=王様、人類=家来のよう。
ネアンデルタール人はホモ・サピエンスよりも脳が大きかった。脳が大きいとエネルギーを消費するので、たくさん食べないといけない。体も大きかったけれど、その分食べないといけない。もし絶滅していなかったら、どうなっていたのだろう?
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啓文堂新書大賞でみて。
非常に面白かった。
難しい単語を使っていないし、
例えが絶妙でわかりやすかったし。
例えば、
人間と人間以外の動物に隔たりがあるのは、なぜか。
人間が徒競走で圧倒的な1番となったのは、
足が1番速かっただけでなく、
2番手から25番手の走者が休んだから。
つまり、2番手から25番手の人類が滅んだから、とか。
むかし、馬に噛まれた人がいて、でも電車に乗って帰った、
それは馬が草食動物であり牙をもってないためで、
犬歯が小さいため殺人には凶器が必要な人類も同じだ、とか。
森から草原に追い出されたことが、
人類が人類である直立二足歩行の始まりであったという説は知っていたが、
その直立歩行が敵を見つけるには便利だが、敵にも見つかるとか、
見つかったら最後、短距離走に弱い直立歩行では逃げられないとか、
確かに言われてみればそうだ、という点を指摘されるのは、
ある意心地よい感じ。
類人猿の中での人類の二大特徴である、犬歯の小ささと直立二足歩行から紐解かれた、
人類誕生はこんな感じ。
発情期がなく、授乳中も交尾化なことから、
おそらく一夫一妻制であった人類は、
自分の妻子に食糧を運んでくるために直立二足歩行を進化させ、
雄同士争う必要がないので犬歯は小さくなった。
既成の知識がひっくり返されるのも、
背負い投げをきっちり決められたようで、気持ちがいい。
石器や骨格の研究から、
脳が大きくなって石器を使い始めたのではなく、
石器を使い始めてから(肉を食べられるようになり)、
消費エネルギーの高い脳を大きくすることができた、とか。
石器については、
獲物を倒すために使われていたのではなく、
最初、死肉を食べるために使われていた、とか。
さらに、
草原で動物の死骸を探して食べるのには、
長距離歩行、長距離走が可能という直立二足歩行が利点となり、
さらに肉を妻子の元に持って帰ることより、
ホモ属が生き残っていった、とか。
種として生き残るためには、
個体としてる強くなることよりも、
集団として食べられるよりも多く産めば良いとか。
また、以前より抱いていた疑問、
ホモ・サピエンスより体格が良く、狩猟生活に向いていそうなネアンデルタール人が
なぜ滅んだのかということについても書かれていた。
端的に言えば、寒さとホモ・サピエンスだが、
ホモ・サピエンスの、動き回るのが得意な燃費の良い細い体、
寒さに対する優れた工夫と、力を必要としない優れた狩猟技術だろうということだった。
ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの交雑については、
もうちょっと触れてほしかったかな。
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ホモ・サピエンスが登場して30万年。700万年前の人類共通の祖先が出現して以来、幾多の種別の'人類'が絶滅を繰り返した結果、唯1種類に淘汰された。消え去った'人類'へのif(生き残っていたら)への想いを抱きつつ読む。優れた種別が必ずしも生き残らない。文明を開花させ社会を構築した'人類'にはもう進化という概念がないのだろうか。現代社会の愚かな争いには、生き残った種としての賢明さが失われつつある。今後のAIに代表される技術革新を通して、ホモ・サピエンスの退化が始まる懸念がある。万年単位で考える人類史には次のステップがあるのだろうか。その答えは私達の営みにあることに改めて思い致す。