紙の本
経済の本
2018/05/02 12:01
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投稿者:hid - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦国時代を経済の観点から論じてます。
なかなか経済のコーナーには置かれないだろうなあ。
でも、こういう視点で歴史に触れるのはおもしろいです。
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戦国時代に歴史が好きで、今まで多くの歴史小説等を読んできましたが、それらに書かれている内容は、戦争等の大きな事件が中心で、経済の面を焦点にした解説書は少なかったと思います。ところがこの本の著者である、上念氏は、「経済で読み解くシリーズ」で何冊も出版されていて、いずれも楽しく読ませてもらっています。
経済に焦点を当てて書かれた本として思い当たるのは、以前、会計士が書かれた「平清盛の失敗」です。私はあの本がとても好きで、続編を心待ちにしていましたが、それから数年経過した後、その著者は出版社から「セミナーではあの話はしないで欲しい」言われたというのを、本人が書いているのを見て残念な気持ちになったのを覚えています。
今回のテーマは豊臣秀吉です、日本で一番出世した男として思われていますが、若いときには幸運によってのし上がっていったことはあったかもしれませんが、日本を統一してからは、周辺の優秀なスタッフを上手に利用して経済政策も考えていたのではないでしょうか。この本を読みながら考えたことでした。
以下は気になったポイントです。
・約束を守る、モノを盗まない、人を殺さない、特に「信じている神様が違うからといって人を殺さない」、この道に背いたらその人にはいずれ天罰が下る、という考え方が「天道思想」である(p26)
・室町時代の末期から安土桃山時代にかけて出された「撰銭令」の背景は、全国各地で独自基準の撰銭が頻繁に行われていた、関所が多くあり、枡の大きさが異なったりしていた、これを許していたのが足利将軍、大名から見ればその権威を認めることで、領地支配の大義名分を得て治外法権を得られる制度であった(’p35)
・信長は検地によって領地を石高で表すことで、先祖伝来の地という考え方に風穴をあけた、領地のデジタル化を行い、これにより大名を移動させることが可能になった(p37)
・貨幣と呼べる国産貨幣は1588年、秀吉の天正菱大判からであるが、流通の観点から言えば、1601年からの慶長小判であろう(p64)
・注意すべきは貨幣量を100倍にすれば、たちどころに生産量が増えるわけではない、貨幣量の増加が引き出すのはあくまでも埋もれていた潜在的な経済成長の力であって、じわじわとした変化である(p66)
・現在の国の純債務は100兆円(債務総額は1000兆円)GDP は500兆円なので、純債務のレベルは決して高くない(p74)
・日本のバブル景気は1989年の日銀金融引き締めで終止符が打たれたが、1991年にはバブルを象徴するディスコ=ジュリアナ東京がオープン、この年から銀行は不動産業者の延命をやめた、人々がバブル崩壊を実感したのは、1998年の長銀、拓銀、山一の破たんした1989年頃から(p76)
・朝貢貿易は、偉大なる明朝の皇帝陛下が下々の国にお恵み下さる、という建前なので5倍返しは当たり前であった、そういう条件ならと多くの国が明との貿易を始める、その一人が足利義満であった(p80)
・16世紀前半において日本国内の銀は贈答用の貴金属としては使われても、貨幣としてはあまり使われなかった、銅銭メインの貨幣制度であった、しかし支那に銀を持っていけば、生糸や陶磁器と交換可能であった、銀の価値は日本の約1.5倍であった(p86)
・信長は、撰銭令の補足として、同年3月(1569)に発した「精撰追加条々」において、米の貨幣的取り扱いの禁止、高価商品における金銀使用を命じている、しかし秀吉は、年貢や少額貨幣には、米を「物品貨幣」として使うことを容認した(p98、114)
・主な為替レートは、金1枚(10両)=永楽銭20貫文、永楽銭1文=悪銭3文、というもの。これはビットコインのマイニングと同じインセンティブ体系である(p102、109)
・石高制には、米という物品貨幣による納税を認めた結果、税収は米価の変動に大きな影響を受けることになった、だた秀吉の時代にはまだ貧しく、米は誰もが必ず欲しがる食料であったので、問題は顕在化しなかった(p121)
・秀吉は、城割・検地・刀狩、を行うことで、鉢植え大名化・兵農分離・あらゆる中世的なビジネスモデルの殲滅を行った。標的となったのは、土豪(職業的な武士として城下町に住むか農民になるか)・海賊(賊船禁止令)・寺社など、特定の地域を仕切っていた既得権者であった(p126、144)
・秀吉は京都から大阪への遷都を計画していた、本願寺だけでなく、京都五山や朝廷まで大阪に移転させるつもりであった、本願寺のみがこれに従った(p167)
・プロダクトアウトの反対は「マーケットイン」である、マーケットのニーズを優先してそれを実現していくために商品開発や生産を行う、顧客優先で「顧客が望むものを作れば売れる」(p194)
・シーパワーを得るためには、その国の「地理的位置」「自然的構成」「国土の広さ」「人口の多少」「国民の資質」「政府の性質」が必要である(p196)
・秀吉は全国各地に蔵入地(政権の直轄地)を設定した、大名領の内部に設けられ「楔」として機能した、これを通じて大名経済をコントロールした(p207)
・欧米列強は、日本と不平等条約を結ぶことはあっても領土は占領しなかった、それだけ陸地の占領にはコストがかかる(p225)
・今のように技術進歩が速く、経済の情勢もめまぐるしく変わる時代は、ひとつの勝ちパターンで勝てる期間も短くなっている(p246)
2018年4月15日作成
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信長が本能寺でやっつけられず、しっかり貨幣制度改革できてれば江戸幕府はさらに安定だったのかも。あっ、もっと早く経済成長してるだろうから明治維新すら無かったのか?経済から歴史を見ることによって見えてくる側面がなんとも面白い。
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経済ジャンルに置いていないと嘆く上念司
持論展開に読者は圧倒される
興味があった古代から中世の外国とのかかわりが知れてよかった~
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このシリーズは面白い。
んが、前半はこのシリーズの他の本で読んだ内容と同じような事が多いので一瞬この本一度読んでたっけ?と思ってしまった。
秀吉の̠貨幣に対する考え方や政策が時代考証に絡めて面白く書いてあるので楽しめる。
この本に書かれているように信長も秀吉もひしひしと諸外国が日本に攻め込んで来ようとしている危機感を持って事を起こしてたかもしれない。
学校の日本史では教わらないような事が沢山書かれていて、勉強は嫌いだったけど、歴史には興味がちょっとあるって人が読んでも十分楽しめると思う。
そしてその裏には常に経済の動きがついて回っているのがわかる内容。
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前半 信長の部分が 長く
秀吉は いつ 登場するのだろう。
ゃっと 登場。
現代と結び合わせて 説明が たいへん ためになりました。
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織田信長は、衰退した足利幕府の足利義昭を処刑せずに残していた。理由は、「点火を取るものは外道になってはいけない」との信念から。義昭は、各地の大名に「一緒に信長を討伐しよう」と書簡を送る(そしてガン無視される)小物ぶり。本能寺の変も、義昭黒幕説があるくらいだが、実際は違う。
★清洲会議‥織田家の跡取り決め
信忠の遺児の三法師が家督を継ぐということになった。
支那からの渡来銭中心の貨幣制度で拡大してきたが、銅銭供給が止まったので日本各地で自前の銭貨を作るようになった。質は悪いが1:2や1:3で良銭と同じ価値があるとするレートが定められた。
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秀吉の施策を経済から読み解いてゆくという試み。最近、この手の特集が多い様に思われる。
基本的にはやはり、信長の始めたことの徹底化だったのだなと認識。貫高から石高への転換、つまり所領のデジタル化というのはすごくわかりやすかった。全国が等価になるということは、一所懸命の否定であり、すなわち中世の否定だったのだなと再認識。
また、朝鮮出兵がランドパワーへの過信(当時の戦国武士は確かに強かったのかもしれない。)が大きな禍根を残してしまったという指摘もおもしろい。これだけ海洋に囲まれていながら、シーパワーに疎い日本というものが、この時代すでにあったのだなと思った。その後の日露、太平洋戦争にも通じる気質の様なものを感じた。