投稿元:
レビューを見る
『普段は気にしないが、ある場面で差別にぶつかる。そんな人々の日常を書きたいと思った――。』とあるように、「ムラ」に住んでいる人間から彼ら自身の生活の見た記録です。結構あっけらかんとして面白いのですが。
僕はもともと北海道出身のなので、いわゆる『同和問題』というのは東京で暮らすまでは縁遠かったのですが、僕の身近に京都の大学にいっていた人がいたので、その人に
『関西地方に行くとこういう問題は今でも根深いものなのか?』と聞いてみると
「関西地方にはそういうものは根強く残っている。特に奈良、大阪、京都はそう。だから、そういうことは知っていても公の場では決して口にはしない。」
とのことでした。
なるほどなと思いつつ僕は中学、高校のころに
『ゴーマニズム宣言 差別論スペシャル』
などの『同和問題』についての本を読んでいたので10代のころから日常でこそいわゆる『差別』の場面は出くわさなかったものの
「こういうことは今でもあるんだろうなぁ。」
という認識で生きてきていたのです。
しかし偶然、この本を手にとる機会がございまして、それで読んでいました。この本を書いた筆者も彼の言うところの「ムラ」の出身です。でも正直言ってあまりにあっけらかんとして、読んでいるこっちがむしろびっくりしました。特に恋愛や結婚に関するところについては、彼らの『掟』のようなものがあって、読んでいて好感が持てました。
投稿元:
レビューを見る
良書。ちゃんとした知識を知らなければいけない。これはきちんと取材して、“今”を伝える。それと私は(部落差別とかは関係なく)、いじめを受けていたのですが、それほど酷いものではなかったので、何だか「部落に生まれながら差別は受けたことがない」著者と気持ちがダブってしょうがなかったです。中学生ですが……私の学校はちゃんと教えてくれるほうですが、でも部落の知識は足りませんね。中2まで部落の意味を知らなかったし、人権作文を書けば同級生は殆ど「部落」以外を選ぶ。確かに普段、近くにはありませんが……なんだかなあ。
っていうのを読書メーターさんの方に投稿しました。悪文ですみません。時間がないので今回はこれで失礼致します。
とりあえず、感動の熱だけ感じてもらえたら嬉しいです。
投稿元:
レビューを見る
これまで読んだ部落関連の文章の中で、最も肩の力が抜けていて、最も部落の実態を率直に描写しているものだった。
それだけに、これまでの印象とは全く違う一面を見ることができた気がする。
そして、ある意味これまでの印象を裏付けられた部分もあった。
他人に勧めたい本。
投稿元:
レビューを見る
現在の被差別がわかる
大きく変化してきている
部落差別がなくなるのはいいが、部落差別の存在を消してしまうのはいけない
いま臭いものに蓋で消し去られようとしている
今はよいが過去の差別の戦い、未来の差別の恐怖が残ってしまう
真実を知り、そこから新たな道を創りだすことが重要だと感じた
蓋をして、ことなかれですましてはいけない
投稿元:
レビューを見る
内容(「BOOK」データベースより)
部落差別はまだまだ厳しいという悲観論があり、一方で楽観論もある。その「間」はどうなっているのだろう。普段は気にしないが、ある場面で差別にぶつかる。そんな人々の日常を書きたいと思った―。丹念な取材を通して語る結婚、ムラの暮らし、教育。しなやかな視線で「差別と被差別の現在」に迫るルポ。
投稿元:
レビューを見る
著者は被差別部落出身者だけど、これまでこんなひどい差別を受けてきた、許せん、とかいう類の糾弾の書ではないし、被差別部落に生きるいろんな人たちのことを、フラットな視線で自然に追っているのでとても読みやすかった。もう部落差別なんて時代じゃないのかもしれないし、まだまだ続いていくのかもしれないけど、どっちにしても、これまでこの国で起きてきたことを知っておくのはいいことだと思う。
投稿元:
レビューを見る
いわれのない差別を何世代にもわたり受け続ける人々たちについて考えてみる。人種や宗教が違うわけではない。職業、またはそこに住んでいるというだけの理由で差別されつづけるのだ。わたしなら抵抗するだろうか、抵抗してみてもはじまらないと戦わずあきらめるのだろうか。今を生きる当事者は明るく体験を語る。この本に書かれていることはとんでもない恐ろしいことなのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
この問題はやっぱり分かりにくい。
なぜなら部落という場所が特定された途端にそれが差別に繋がっていくが、しかし部落がどこかということが分からなければ問題として顕在化してこない。意識されずに通り過ぎてしまう問題。
しかし状況は徐々に改善されてきているようである。
とにかく自分が差別しないようにすること。それが大切だと思った。この差別には全く根拠がないのだから。
投稿元:
レビューを見る
蔵書整理シリーズ
被差別部落出身の著者が被差別部落について書いたルポルタージュ
被差別部落の人にもいろいろな人がいて,いろいろな考え方があることを
明らかにするいい本だと思います。
投稿元:
レビューを見る
平成28年4月30日読了。差別を生み出す原因は、偏に差別する側の無知に他ならない。相手を知ることが家族の間にも、ビジネスの世界でもいかなる時も大事なのだ。
投稿元:
レビューを見る
著者の角岡伸彦氏については、かつて『ホルモン奉行』なる愉快な一冊を読んだ事がありまして、ホルモン愛に満ち溢れた文章に魅了されたのであります。部落出身者であることも公言してゐて、部落関係の著書もあることが分かり、いづれ読んでみたいと思つてゐました。
で、『被差別部落の青春』であります。そもそも平均的日本人は、同和問題をいつどのやうな形で知るのでせうか。わたくしは中学校の歴史の授業で、原田先生から聞いたのが最初ではないかと思ひます。「エタ非人」などといふ言葉も同時に知りました。あらゆる言葉を貪欲に覚えたいわたくしですが、これは知りたくなかつたなあ、と思ひました。「部落」といふ言葉は無論存じてゐましたが、単に山間部あたりの集落といふイメエヂしかありませんでした。東宝映画「大怪獣バラン」では、セリフに「岩屋部落」といふ言葉が連発されるのですが、わたくしが最初にビデオで観た時には、その部分は音声が消されてゐました。タブウだつたのですね。
角岡氏自身は、直接差別を受けたりしたことは無いさうです。角岡氏の両親も同様であると。では差別はもう無いのか? 同和政策が進んだ結果、見た目の衣食住は部落も非部落も変化は感じられぬとか。しかし逆に部落は優遇され過ぎだと逆差別を受ける場合もあるさうです。
一体現状はどうなのかを自身が取材し、レポートしたといふ訳です。
出自をとにかく隠す親と、あつけらかんと部落出身を語る子供。今なほ根強い結婚差別。これは意外なほど相手の親が世間体を気にして、「部落の血が一族に混じるぢやないか」と差別を隠しません。
そんな状況を知る人たちは、どうしても自分が部落出身であることを隠すのですね。少なくとも、自らカミングアウトするやうなことはしない。特に聞かれもしないし、わざわざ言つて、人間関係に影響したら......しかし黙つてゐるのは何となく罪悪感を(何も悪いことはしてゐないのに)感じる。心の負担になるのです。
食肉工場(屠殺場)に対する差別もあるさうで、根は深い。これは同和問題もさることながら、生命に対する教育がなつてゐない証拠ですね。もつともこれは世界的な傾向であります。クジラを殺すなといふキャンペインに通づる愚劣な思想と申せませう。あ、余計な事を申しました。
差別はもうないといふ楽観論と、今なほ激しい差別は存在すると主張する悲観論の両極端が聞かれる同和問題。著者は「その中間」はどうなつてゐるのかを知りたくて、どこにでもゐる普通の部落民の日常を取材したさうです。
また、この問題を扱ふ報道はどうしても暗く、重たいので、読んでゐても心が沈んでくるのですが、角岡氏は「それだけやないやろー。おもろい奴も、笑える話もあるで」と思ひ、持ち前の軽妙な文体で本書を世に問ふた訳です。
部落を語つた本で、これほど読後感爽やかなものも珍しいと言へませう。
ぢやあ、又。
http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-686.html
投稿元:
レビューを見る
まんまだけど肉羊羹みたいな一冊。これはムラの産物だから食えない、食いたくないっていうイメージから、食べ物そのものが嫌悪感を持たれてしまっている(ちなみに肉羊羹はまずい)
福島よりの北関東生まれなので、部落差別を本当に意識したのは四国高知に赴任した25歳の時、結婚したいのに親に反対されてる先輩に出会った。隣の徳島に遊びにいったら県庁前にでかでかと看板掲げてあるし、自分にとっては異国だった。
読んでて確かになーと感じたのは、
①地名全てが部落だとみんな決めつけている
②部落内でもかなりの格差がある
①は横井の例。東横井と西横井とあるけど、奈良の横井はYouTubeで動画も上がってるし、全体が部落だと思ってる人多いはず。これが部落外の総意じゃないか。奈良の5chスレとか見ると、麻雀の翻数で表された自治体単位の部落度数コピペ当たり前に出てくるしね。直接的に部落の人を指してはないけど、これだって立派な部落差別だわな。だけどこのぐらいの距離感が、する側からしたら面白くて、ネタにしやすくて、差別しやすい単位なんだと思う。
②みんながみんな悪い人ではないし、みんながみんないい人ではない。ヤンキー校の優等生はいる。意識の優劣で差別感情に濃淡でるのもおかしな話だけど、卑屈な自分を抱きしめてばっかりいる人よりも、現状変えようと前向きに努力する人の方がやっぱり素敵だと思う。そうなれば人付き合いに部落差別なんて関係ないわと思うでしょう、特に今の時代。………とはいえ自分も部落の生まれで幼少期から持つもの持たないとなれば、与えられたもので生きていくしかないけどね。だってそれが楽だもん。人は常に自分のことだけを考えるような選択をし続ける合理的な生き物なんだから。
部落外でも部落内でも変わらないけど、与えられたものを使って、何を手に入れて、どうやって一生を使い果たすかなんてのはもう人それぞれなんだよね。他人の人生を生きるか、自分の人生を生きるかなんてのも人それぞれ。好きにしたらいい。東京にでも行けば今の時代、過去を薄くすることなんていくらでもできるんだから。この本が出来た当時からしたら、生きやすい世の中になったんじゃないのかな。
投稿元:
レビューを見る
面白かった。俺は東京都下で育って部落に接することも同和教育を受けることも無かったけど、部落差別についてはかなり早くから何かで読んで知っていた。しかし西日本ではこんな感じなんだなあと改めてびっくり。ムラ全体が差別されてひどい環境で市営住宅に建て替えられて安価で暮らして、とか何にも知らないもんな。なので、部落の当事者たちの話を読んでも正直に言って遠い世界の話にしか思えなかった。ただ、例えば自分や自分の子が結婚するときに、相手が自分は部落出身です、と言ったとして、それによって何の影響も受けないかについては100%受けないと言えない気がした。こうやって部落差別の実態を知った上で、笑い飛ばせるか、不愉快な事と考えないか、ケチがついたと思わないか、100%の自信はないし、それが差別の萌芽だと思った。そう言った恐ろしさを感じた。四半世紀近く前の本なので、現在がどんな感じなのかについても知りたい。
投稿元:
レビューを見る
感想
つまらない現実はいつも中間にある。部落は非日常。そんなはずはない。人々は生活し笑い、差別を受ける。まずは知って考えるところから。