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紙の本
「本能寺の変」論争の決定版とも言える本
2008/04/13 19:53
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:MtVictory - この投稿者のレビュー一覧を見る
「だれが信長を殺したのか?」燃える本能寺の中で自刃したということになっているから直接的には自殺ということになるが、本書はそんなトンチ話ではない。本書は「本能寺の変」論争の終着点、決定版とも言える一冊。
「真説 本能寺」では信長の四国政策の転換が謀叛の重要な動機を形成した、との説を展開していた。本書でもその四国問題を更に追及し新たな知見が盛り込まれている。「おわりに」では前書はその論証が不十分な面があったと言っている。また明智家の家中の動向に注目、特に家老・斎藤利三をキーパーソンだとしている。更にこれまで知られていなかった光秀の文書を取り上げ、政変直前の光秀の心境にも迫っている。
第1章では信長および光秀の人生の画期ともなった(変の2年前の)天正八年に注目し、二人にとってどんな年だったかについて述べている。その上で、第2章ではその後の二人の相克と破綻に至るプロセスを具体的に辿っている。第3章では信長の四国政策の転換が光秀を追い詰めたとして、その四国政策の変遷を辿っている。
そして第4章でいよいよ利三の登場である。彼が「変の仕掛け人」だとしている。利三をリーダーとする斎藤・石谷・蜷川の三家と長宗我部家とは濃密な親族・姻族関係が築かれていたが、政策転換により長宗我部家との関係の見直しが迫られていた。利三らは関係維持にこだわり、光秀の謀叛に積極的に加担した、としている。しかも稲葉家から数年前に明智家に鞍替えしていた利三はその問題で、変のわずか4日前に信長に自刃を命じられていた。那波直治は稲葉家に帰参させられたが、なぜか利三は死罪だった。信長は四国政策に反対の利三を排除したかったのではないか、と私は考える。
また終章でも書かれているように「明智(特に斎藤ら三家)と長宗我部の両家の結びつきは取次の役割を超え、織田権力の家臣団統制や戦国大名編成のあり方から逸脱」していたが、信長も同じように考えていた可能性がある。追い詰められたと感じた光秀と家老の利三らの利害が一致し、ついに謀叛が決行された。著者の説を読み終えて感じるのは、光秀は実は利三らにそそのかされたのではないかと。下から突き上げられて明智家中の統制も危機を迎えていたのではないか。放置すれば利三らが暴走しかねない。光秀自身の身も危うかったかも知れない。光秀はそんな家臣への人情に心を動かされたのか、自らの博打心が動いたのか。
山科言経が日記に利三こそ本能寺の変を起こした張本人だと書いているように、本書ではそれを論証しているとも言え、利三が首謀者であったことが見えてくる。
紙の本
明智光秀を突き動かしたもの
2011/09/20 12:54
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yjisan - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本史ファンの間で戦国時代最大の謎と言ったら「なぜ明智光秀は本能寺の変を起こしたのか?」ということだろう。光秀は織田信長に忠実に仕え、特に問題を起こすことなく、順調に出世を重ねてきた。その光秀が恩顧ある信長に対して謀叛を起こしたことは当時の人々にとっても理解不能な出来事であり、現代に至るまで様々な説が提起されてきた。光秀自身が謀叛の動機を具体的に語っていないため(語っていたのかもしれないが、そのことを記した史料が残っていない)後世の人間はありとあらゆる想像をめぐらすことができ、その“無限の可能性”が人々の興味をかきたててきたのだろう。
江戸時代から論じられてきたのが、信長の度重なる心ない仕打ちによってプライドを傷つけられた光秀がついに怒りを爆発させたという「怨恨説」である。今年の大河ドラマ『江』でも基本的に怨恨説に則っていた。ただ「武田氏を滅ぼした戦勝祝いの席で足蹴にされた」「本能寺の変の直前に領国の丹波を召し上げられた」といった逸話は近世になってから成立した様々な俗書にしか見られないもので、後代の創作の可能性が高い。桑田忠親氏はルイス・フロイスの『日本史』にある信長と光秀の確執に関する記述を重視すべきだと主張し、改めて怨恨説を提起した。一方、高柳光寿氏は、史料的根拠の弱い怨恨説を批判し、「光秀も天下がほしかった」という「野望説」を提唱した。
この「怨恨説」と「野望説」は古典的見解で今も根強い支持があるが、光秀の謀叛理由を光秀個人の性格や感情に求める傾向が強く、日本史上最大の謀叛劇を説明する仮説としては物足りないと感じる人も多い。もっと大掛かりな政治的動機や政治的背景があったのではないか、という疑問が生まれるわけだ。そこで浮上してきたのが、光秀は信長討伐の実行者にすぎず、光秀を影から操っていた“大物”がいたと想定する「黒幕説」である。「黒幕説」は大いに流行し、朝廷(誠仁親王・近衛前久)、足利義昭、イエズス会など多くの「黒幕」候補が登場した。
本書の『だれが信長を殺したのか』という扇情的なタイトルは「黒幕説」を想起させるが、本書はむしろ「黒幕説」を批判し、古典的な光秀単独犯行説を再評価する立場をとる。織田信長の四国政策転換(長宗我部元親との断交)を本能寺の変の遠因として重視する考え方も高柳・桑田両氏に近い。その意味では新味のない議論に映るかもしれない。しかし武田氏滅亡を機に信長が進めた織田権力の再編成の中で、光秀の織田家中での立場が急速に悪化していく様を詳細に分析した点は評価されて良い。また綿密な史料解釈によって各「黒幕説」の不備を指摘した手際も見事である。新史料「5月28日付け光秀書状写」に基づき、3日前の時点で光秀がまだ挙兵を決断できていなかったと指摘した点は特に重要で、光秀が事前に他勢力と連携をとっていなかったことの何よりの証拠と言えよう(ただし、この文書の年次比定については、その後、藤田達生氏が批判している)。前述のように、「本能寺の変」論争は史料の絶対的な不足から決定打は出そうにないのだが、本書は現時点では最も穏当かつ蓋然性の高い説だと思う。
ちなみに「黒幕説」をとらないにもかかわらず、筆者が『だれが信長を殺したのか』という題名を掲げたのは、本能寺の変を主導したのは、明智光秀本人ではなく、明智家中の重臣、斎藤利三だと考えているからである。考えてみれば当時の明智家は、その辺の戦国大名より遙かに巨大な組織であり、光秀の個人的判断だけで動かせるものではない。当主の光秀だけでなく家臣団の思惑にも目配りした視野の広さにこそ、本書の真骨頂があるのだろう。
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