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いい文章だなあ うまいなあ うまいこと落ちをつけるよねえ と感心しながら読んだエッセイ。
近頃ネットの情報満載の文章ばかり読んでいたため、このうえなく癒やされ心地よかった。
この人のエッセイは、つらつらとあちこち寄り道しながら思いつくまま書いているようでいて、実のところものすごく計算された構成になっている。
文章作法を研究したところで、常人はこんなふうに洒落た感じに主張をユーモアでカバーしながら書くはなれ技は無理だ、と思う。
もてたんだろうねえ
飲む打つ買う をどこまでも上品に嗜むタイプ
と文章からわかってしまう。
ミソジニーなだけでなく、今日なら差別的として校閲で直されそうな表現も多々あり、そこが引っかかって読めない人もいるかもしれない。そこも含めて時代を感じる。昔はこんな男がいっぱいいたよなと。
ベスト・エッセイなので1957年あたりから晩年までのエッセイが入っている。だけど、終生つらっとした顔をしてたんだろうと思うとおかしくなる。私にとってこの人のイメージはドラマ「あぐり」の淳ちゃんなのだが、案外あんな感じだったのかもしれない。
印象に残ったのは、「営業方針について」。
ーー純文学作品を書く場合に私は私の中にいる一人の読者を意識してしか、書くことができない。ーー
だからたくさん売れないし、たくさん作品を書くこともできない。というわけで、食べていくためにはマスコミ雑誌の仕事を受けるのだと。
ーーそういう性質の仕事が、正反対の純文学の仕事に、悪影響を与えぬようにするには、どうしたらよいか。ーー
しかし、その点吉行は自信があるという。
ーー昔、売らん哉式の雑誌の編集者をしていて、昼間は「どうやったら売れるか」ということばかり考え、そのための原稿もたくさん書いた。(中略)そして、夜、帰宅して、同人雑誌の原稿を書いた。そのときの体験から言って、頑固に自我を守っておれば、筆は荒れるんものではない。という信念を持っている。この場合の筆とは、文章ばかりでなく発想の基盤自体を指す。ーー
純文学作家もこんなことを考えてるんだな、やっぱりすごいなと思うのだけど、わざわざこんなことを述べるのは、頑固に自我を守っておらねば流される ということでもあるのだろう。
もらった本、暇つぶしに読んだら捨てようと思っていたけど、やっぱり置いとくことにした。読みが荒れたときにまた読んで癒やされよう。