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途中、あれって、思うところがあり、
重い気分にはなるが、
すっきりとした読後感。引き出し
西の魔女が、ボロボロならば、
この本は、ポロリ。
そんな涙です。
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中学生の少年の、初夏の連休の一日のできごと。「君たちはどう生きるか」へのオマージュがはっきり感じられるが、内容は現代に切実な問題をとらえている。「君たちはどう生きるか」ともども、その魅力は要約や感想では伝えがたい。どちらも、老若男女問わず、とにかく読んでみてください、そして一人でも多くの人の心の糧としてもらえることを祈るばかり。
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“コペル君”を下敷きにした物語。ジャックナイフ的な挿話が多く、果たしてラストに待つものは何だろうか、と読み進んでいきましたが、いまだに「西の魔女~」を期待されているわけではないと思うのですが、うーむです。
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読み終えて本を閉じて、表紙の椅子を見る。そして、まっすぐに書かれたタイトルを読み返す。
「僕は、そして僕たちはどう生きるか」
この本は「そこから」の本だ。
人生というやつは、なかなかどうも、生き辛い。子供や学生にとって、学校はしんどい場所になっているらしいけど、大人にとっても社会は結構そうなんだよ、コペル君。人間というのは、わざと生きにくい世界を作ってしまうんじゃないかと疑いたくなるくらいだ。
でも、正直面倒くさいから、とりあえず自分の楽な場所だけを確保して、後は見えないふりしてやりすごす。いろんな理不尽や不幸を、ちゃんと感じているっていうのに。
「魔法の杖はなかった」原発事故を書いた新聞の記事に踊ったタイトルだ。
人の生き方にも「魔法の杖」はないんだ。だから面倒くさくても、ひとつづつ考えていくしかないんだろうね、一生。
「君たちはどう生きるか」吉野源二郎著。コペル君のあだ名の元はこの本らしい。彼が小難しい英単語を使うのもその影響なのかしらん。読んで確かめてみなくては。
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5月14日読了。僕(コペル)が再会と出会いの話。14歳の僕の心のあり方、大人と子どもの境界線の危うさが心にしみた。
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自然の中で暮らす情景描写が、読んでいてとても心地が良かった。登場人物も、それぞれの距離感も居心地が良く、みんなに紛れて一緒の時間を共有しているみたいだった。
人間、群れの中で個として生きるには考える時間が必要。ただ群れの中にいるということは、ただ流されていくということ。個人の確立には、よくよくよく、考えること。
そして自分で自分の結果を見つけること。
見つけた結果が正解とは限らないし、そもそも見つかるかもわからない。とにかく大切なのは、考えることなんだろう。
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難しいテーマを扱っているのですが、分かりやすく美しい文章で描かれています。中学生の男の子の一人称で話は進みます。これが非常にテンポがよくて心地良い。たった一日の出来事で成長する心。コッコちゃんのあたりは本当に切なかった…。梨木さんらしい物語。
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やっぱり 自分は マイノリティーだなぁ
自信を持って、
しみじみと思う、
そんな 人には
特に お薦めですね
登場する そして 登場しない
すべての 人物が なんと魅力にあふれているか
ちょっとしたことで
人間不信になってしまっている人なんかには
特に お薦めです
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14歳のコペルが久しぶりに旧友の家を訪れた、その一日をつづった物語。たったの一日のなかで、彼は、その友達や中の良い人々への想い、愛すべきペットや虫、自然への思慕、そして戦争や学校のことなど、さまざまなことへ思いを馳せて考える。僕というものについて、僕が囲まれている世界について。彼なりの言葉はとても純粋で、するりと頭の中に入ってきて、ときおり、ざっくりと胸を刺す。知っていたはずなのに、知らないふりをしていた物事を明るみに出されて、戸惑う。大人になって当たり前にやりすごしてきたことに改めて疑問を想う。コペル君が見出す謎は、出会う真実は、形をちがえども、だれしもが通り過ぎていったはず、あるいは現在いまだ直面しつづけているはずの物事。だから深く身に沁み、心をうつ。良い物語でした。
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提起されるたくさんの問題の、ひとつの答えも出せぬまま読み終えてしまった。そして「どう生きるか」というしごく純粋な問いと向かい合っている。わたしは考える。わたしはひとりで考える。わたしはひとりで、わたしのとなりを考える。正解はなかなか見つからないけれど、そこへ近づく一歩先を、この本はしめしているのだろう。
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梨木さんの小説を読んでいると、とても「安心」できる。
この小説は、タイトルから既に期待していた。
年齢の割にコペルくんがちょっとしっかりしすぎ?(そういう家庭環境だということだけれど、それでも…)。
でも、そんなことは抜きにしても、良い本だったと思います。
登場人物がそれぞれ個性的で魅力があり、この中の誰か一人でもいいから巡り合いたいわーと思った。
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2011年31冊目。
275頁。
書店で購入。
≪本文引用≫
p.8
「世界って、そもそも物に名前を付けようとしたことから始まるんじゃないか・・・・・・でもその前からも、名前なんて関係なしに世界はあったはずだよなあ」
p.21
「自分が本当に怖がっているものが何なのか、きちんとそれを把握する。そしたらもうその恐怖からは半分以上解放されている」
p.32
不思議な感じだ。自分の生まれる前にも世界はあって、それぞれ「譲れぬ一線」を抱えた人たちが皆それぞれの「前線」で闘い、その言わば「夢の跡」が、今、僕らの生きる世界なんだ。考えてみれば当たり前のことなわけだけれど。
p.143
人は、人を「実験」してはいけないんだ。
p.187
人生って、そういうことなのか。
いくらいろいろ計画したって待ったなしなんだ。いつまでもあるもんじゃないんだ。
僕はそんな当たり前のことが、なんかこのときものすごくリアルに感じられた。
p.191
「でも、それって安定した生活には結びつかないんじゃないかなあ」
「好きなことをやってるんだから、それは覚悟の上さ。精神が安定していることの方が、いいんだ」
p.223
僕は軍隊でも生きていけるだろう。それは、「鈍い」からでも「健康的」だからでもない。自分の意識すら誤魔化すほど、ずる賢いからだ。
p.226
あのとき、僕らが「つぶした」のは、単なるニワトリ一羽だけじゃない。ユージンの「心」もいっしょに「つぶした」-これは、ショウコのお母さんが言っていた、「魂の殺人」とほとんど同じじゃないのか。
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14歳のコペル君が、久し振りに訪れた不登校気味のユージンの庭での、とある一日という、読みやすい文章、わかりやすい舞台。
でも、か、だから、か。うっかり気軽に読んだら、今だからこそ、しっかり感じたり、考えたり、動いたり、考えたりしたいことがてんこもりなのに、レビューの言葉が見つからない。
なにか言いたいけれど、まとまらない、まとめてしまえば、この作品がポイントにしている”違和感”と相いれなくなりそうで。
いろいろとわかっている子がその時期を無事に生きのびた後で「自分の本だ!」と思うかもしれない、とは思う。でもこの本のタイトルは「どう生きるか」なんだよなぁ…きつい。
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思慮深く聡明な14歳のコペル君が生きることについて、考える物語。
良い年をした私でさえ、自分の思惑と違っていても、安易に集団に染まってしまいがちだ。
欧米諸国の影響で、個性を尊重する、という風潮が生まれてきたにもかかわらず私たちの根底には、目立つことを恐れる心が未だ根強く。
人との違いを恐れ、簡単に右倣えをする。
それは、何よりラクちんだし、傷つくのが、傷つけられるのが怖いからに他ならない。
人とは違ってて当たり前なのにね。
集団心理の残酷さを、客観的に教えてくれる物語。
児童書のカテゴライズだけれど、私たちのような、成人も読むべきだと思う。
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十四歳のコペルは叔父のノボちゃんとよヨモギ探すために学校に来なくなった友人の古い屋敷をたずねる、そこで起こった一日の出来事の物語。
ユージンの家の屋根裏で古い本をいっぱい読んだこと、ユージンのいとこのショウコとヨモギ団子を作ったこと、インジャの身の上に起こったこと、兵役を拒否して洞穴に隠れてた男のこと。そして友達だったユージンが学校にこなくなった本当の理由とは?
人は群れから離れて生きていけるのか?コペルはいろんなことを考える。
ゆるやかな群れの必要性を感じながら考え続けて生きていく。
「やあ。よかったら、ここにおいでよ」
青少年向きと言ってもいいような内容ながらすごく哲学的でいろんな問題を提起させていく。まったく関連性はないんだけど川上美映子さんの「ヘヴン」を読んだときのような衝撃感があった。
読み終わったあと、いろんなことを考えさせられ深いものが心の奥にずっしりと残る、そんな作品でした。