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「からもの」から見た日本史という着眼点がいいよね。
審美眼とはいいますが、昔から尚古趣味があったといいますから、本当の芸術性を見極めるのは難しい。
文化装置であり、威信財であった「輸入物」という観点も珍しくはありませんが、それなりに納得。
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久々に面白い新書を読んだ。
「唐物」と総称される外国からもたらされる品々を、日本人はどのように受け取り、利用していったのかということを概説している。著者の河添房江氏は、源氏物語の研究者であり、作中に登場する品々についての著作もある。題名が「唐物」なので、明治以降の舶来品についての言及はほとんどない。
唐物に着目して歴史を語る、というのは面白い着眼点だけれど、かなり難しい試みだっただろうなぁと思う。
本書では、唐物は聖武天皇の時代では、国家の管理下で輸入・分配されていたのが、次第に摂関家や平家などの権力者が仕入れるようになり、「文化材」としての性格から、「威信材」としての性格に変わっていく。それが、戦国時代から江戸時代になると、市場規模の拡大によって、「贅沢品」として徐々に底辺まで唐物が広がっていくさまが論じられている。
日本人が唐物を珍重するのは、第一には進んだ文明だった中国・朝鮮の文化を尊んだということがあるだろうし、そもそも得難いものを得ることは、それだけで権威と権力を示すものになる。日本における唐物の位置付けは、古代では先進国だった中国・朝鮮と遜色ない文化を持ち、また世界の広まり(ポルトガルやオランダ)によって変遷していくが、やはり「得難い」ということが一番最後まで唐物を唐物とした魅力であったと思う。
明治になると、文物の移動も人の移動も容易になり、「唐物」という概念は個々の輸入品に細分化されていく。本書が明治以降の「唐物」について語らないのは、その把握がまず不可能であるからと言ってもいい。しかし、舶来品の信仰は現在でも続いている。例えば、映画では「洋画しか見ない」という人はたくさんいる。個々の分野では、舶来を尊ぶ心はまだ残っているが、それもインターネットの発達によって、早晩消えるのかもしれない。
唐物を通して、日本人の精神性を探る、という着眼点は良かった。東アジアの大きな文化圏の中で、和物と唐物を別個のものと考えるのではなく、国内でお互いが影響しあって文化を洗練させてきた。個人的には、日本人が中国(とアジアの国々、ポルトガル、オランダなどなど)をどのように認識していたのか、ということを唐物の取り扱いともっと結びつけてほしかった。でも、それは、国際政治史などでもっと詳しい本があるかもしれない。
また、本書は唐物史の概説なので、どうしても時々の権力者に焦点を当てざるをえないが、もっと古代においても民間に唐物の広まりはあったと思う。もちろん、そういうことは文献には出てこないが、考古学の分野での成果ももっと詳しく知りたいと思った。
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河添房江『唐物の文化史 舶来品からみた日本』岩波新書、読了。唐物とはもと中国からの舶来品を指す言葉で、転じて広く異国からもたらされた品を指す。本書は、古代から現代まで、唐物というモノを通して日本文化の変遷を問う一冊。日本人はなぜ舶来品が好きなのか--その情景の軌跡を追う秀逸な精神史。
古代から近世まで、唐物が日本文化にどのように息づいているのか。本書は美術品や歴史資料だけでなく文学作品からも浮かび上がらせる。唐物とは権威と富の象徴でもあるから、聖武天皇から吉宗まで、その時代のキーパーソンと「モノ」との関わりにもスポットを当てる。
唐物は天皇を中心とした王権に吸収されそこから臣下へ再分配される構造で、珍奇なモノに留まらず書籍や仏典をはじめとする文物による異文化摂取として始まる。摂取の過程では、日本で模倣された唐物も生まれるから、日本文化は舶来文化吸収の歴史とも言えよう。
例えば、遣唐使廃止は国風文化を創造したと教科書は書くが、その実像はどうか。危険で負担の大きい朝貢使は廃止されたが、大陸からの文物や情報の流入が確保された故の廃止であり、富の集中した平安京は、唐物を拒絶したよりも、ブランド品としてむしろ一層欲求している。
平安の貴族はステイタスシンボルとして、武家の時代には、政治的には文化装置として定着する。南蛮貿易とその終焉は、唐物屋を生み出し、庶民と唐物をつなぐ架け橋となる。洋装全てを扱った唐物屋は明治末期に、分業して専門店化する。これが唐物屋の終焉だ。
河添房江『唐物の文化史』岩波新書。舶来品をつねに受け入れつつ形成されたのが日本文化の歴史の特徴であるとすれば、他者と隔絶された状態で純粋培養される「文化」とは神話に過ぎないかも知れない。モノを巡るスリリングな考察は私たちの認識を更新するだろう。
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唐風の文化の受容によって和の文化が成熟すると、漢と和を対比する意識が生まれるが、その一方、和漢融合は絶え間なくおこなわれてきたのではないか。和の文化が師絵熟していけば、おのずといつの時代にも和漢並立と和漢融合は同時に起こりうるし、平安時代も珠光以降の時代もその歴史を繰り返してきたと考えられる。唐物をめぐる諸事象のドラマは、まさにそのような日本文化の歴史をも照らし返していると思われるのである。
--河添房江『唐物の文化史 舶来品からみた日本』岩波新書、2014年、224頁。
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本書は唐物、すなわち古の輸入品を中心として歴史的背景などを記されたものであり、一般的な美術書や歴史書とは立ち位置が大きく異なります。
日本の地政学的な優位性は大陸より文化的に劣りながらも朝貢へと繋がり、貴族文化に唐物が必須となっていきます。
それがどのように使われ、なぜ重宝されたのか。好きだった人、嫌いだった人。そして茶の湯によって棗ひとつで城ひとつの価値を与えたその背景も見えてきます。
歴史で「〜より伝来した」としか習わなかった物の背景を知る事がこんなに楽しいとは思いませんでした。
多くの方にお勧めしたい良書です。
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古代から近世までの日本史を、唐物=舶来の文物(唐もの~南蛮もの)を軸に通してみる。その模倣品もふくめて、なにが贈答され、なにが交換されたのか。物自体より、その稀少で権力的なシンボリズムの互酬関係が問題なのですね。
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日本人の生活に、ここまで唐物が関わっていたことを知らなかったから面白かった。
分かりやすく書かれていたから、ちょっと日本史をかじっただけな私でも無理なく読めてよかった。
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文化交流、異文化憧憬、文化と政治のダイナミクスを存分に味わった。
唐物の羅列はいささか面倒だが、唐物と日本の文化的通史は珍しいのではないか。
戦国大名と茶の湯、最後の日本文化論のところは特に面白い。
・元冦の背景。一方的な攻撃ではない。
・鎖国という言葉は正確ではない。国家により貿易の管理。
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「日本の文化や社会において、“唐物”と呼ばれる舶来品がどのように受容されてきたのか」を考察する一冊。興味深い内容だったが、初版が2014年なので現在(2022年)ではやや古い学説を用いた箇所が幾つかあった。