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吉村昭による自由律俳人、尾崎放哉の評伝。抑えた語り口のおかげで放浪、漂泊のロマンが過度にならず読みやすい。
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中学か高校の国語で習った自由俳律「咳をしてもひとり」。一度聞いたら忘れられない儚さと強さがある。
尾崎芳哉の死を求めてたどり着いた小豆島での八ヶ月。病にその身体を蝕まれつつも句は逆に冴えわたっていく。
何かをその身体の中から生み出すということは、この苦しみをも生み出すということなのか。
酒におぼれすべてを失っても最後まで捨てなかった矜持が切ない。
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久しぶりに本を読みました。
尾崎放哉の、死に向かって一直線に向かう姿を、そして矛盾して抗う姿を、淡々と描いています。
生きることは、とてもかなしい。
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「咳をしてもひとり」の尾崎放哉の小豆島での最晩年の日々。不治の病と云われた結核モノにはつい引き寄せられる。私自身の病は、肺に無数の小さな穴が増殖し、細胞は破壊され、空気の流れが遮断されて体中に酸素を送り込むことができなくなるというもの。治療方はなく、昨日より今日、今日より明日、日々悪くなり、いずれ呼吸が出来なくなるという難病。モルヒネで朦朧となって逝くのではなく呼吸が出来なくなって死ぬってどういう事だろう。という疑問に応えてくれた、本書。リアリティあり過ぎて、しばらくうなされました。
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「咳をしても一人」「すばらしい乳房だ蚊が居る」など、有名俳人でもありつつ、現代ではネタとして使われる事が多い尾崎放哉の晩年の世を捨てた、ある意味野放図な生き方と死に方を淡々と描いた1冊。
「海の見えるところでなにもしないで死ぬまで暮らしたいので、番をする家を紹介しろ」という、むちゃくちゃな要求に、俳句の腕を見込んだパトロンが世話をする。酒を呑んだら絡んで暴れる、ろくに仕事はしないが俳句だけは山ほど作るという、近代の芸術家肌?という作家なだけに、いろんなエピソードもあろうが、結局そんな「いろんな」はほとんど出てこない。
また、誰視点でもなく、二歩三歩引いた視点からやったことを書いているだけなので、正直なところ単調に感じてしまうのだ。
あとがきに筆者も書いているが、結核を患った同士という立場から、どうしても親近感を持った書き方になるのかもしれず、ひどい言動をひどく描けないのかもしれないが、かと言って素晴らしく良い人にも描いていないので、もうちょっと突き放して欲しかった。
「淡々と」は尾崎の作風に合わせたのかもしれないが。
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自由律俳句で有名な尾崎放哉の伝記小説。晩年の8ヶ月を描く。
尾崎放哉の俳句は、高校の授業で習った事がある。種田山頭火や高浜虚子、萩原井泉水などと共に明治大正の俳句について勉強したが30年経った今でも覚えているのは、山頭火の句と彼の「せきをしてもひとり」という哀愁漂う句くらいだ。
俳人の句は覚えていても、彼らの句がどのような背景で詠まれたのかは知らない。彼がどんな人物だったのか興味があって読んでみた。
彼は、東大卒で一流企業の重役を勤めながら、酒癖の悪さで身を崩し、妻には愛想を尽かされ、仏門に入るが酒のせいで上手く行かず、結核を患って死に場所を求めて小豆島に渡る。歌人としての才能は誰もが認めるのだが、酒のせいで堕落した生活は如何ともしがたい。正直、友人にしたくないタイプの人だ。それでも、才能を認める人達にとって、彼の存在は大きかった。プライドは高いけれど経済的に困窮して、多くの人にお金をせびる姿は哀れな感じもするけれど、それをサポートする人達がいるのは、この時代だからこそかもしれない。彼の人生は石川啄木と似ていて、共に才能を認められても、自分に対する甘さから自活する能力を失って厳しい時代を乗り切れなかった点がよく似ている。
この小説は、病に冒されていく様子の描写がいいと思う。著者も若い頃に結核を患ったそうだが、その体験をもとに病状が生々しく描かれている。彼の代表的な句も取り混ぜて、とても面白い小説になっていると思う。
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「咳をしてもひとり」「いれものがない両手でうける」が中学校の国語の教科書(三省堂)に掲載されている。それらは自由律俳句の代表作として所収されているが、そを作った俳人尾崎放哉(おざきほうさい)の晩年を、吉村昭が描いた伝記文学。
放哉は、東京大学を卒業したエリートで、俳人としても認められている存在だった。しかし、酒癖の悪さが原因で仕事を追われ、妻とも別れて、俳句同人の、井上を頼って小豆島に渡る。そこで、 寺の離れの庵守りとして暮らし始める。
放哉は、生活力がないので、島の名士の井上や寺の住職、島の外の俳句仲間に無心をする。相手のちょっとした態度にすぐに怒ったり、同じ相手にちょっと親切にされると、感謝感激したりする。大人気ない。私はそれを読むと自分のことのように思えた。放哉の様に辛辣なことは言わないし、罵詈雑言も吐かないが、すぐに揺れる心持ちが同じだ。
結核菌に侵された最晩年は、何も食べられなくなりシゲ婆さんに世話になる。このシゲ婆さんがとても素晴らしい人で、他人の放哉に自然に当たり前のように世話をする。この本を読んでいる時、自分ばかり家事をやっていて腹ただしいと思うことがあった。でも、シゲ婆さんを思いすと何て小さいことでと考えること自体が馬鹿らしくなった。
読んでいて、放哉、オイオイと何度も思った。魅力的だが、周りは大変過ぎる。
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人生の最晩年、肺を病み、小豆島に辿り着いた俳人・尾崎放哉。
五七五にとらわれず、自由な作風で知られた。
放哉の人生も作風と同じく自由であった。
むしろ自己中心的である。
俳人としては有能かもしれない。
しかし、人としては最低だ。
日に日に痩せ衰えてゆく放哉を冷徹に克明に描き切った大名作。
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尾崎放哉の人間として最低な後半生を描く。いや前半生も最低な人間だったことも、章内のところどころで描かれており、典型的な才能のある禄でもない人間の人生と末期の苦しみがこれでもかと描写される。
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お酒は怖い…。一番の印象はこれ。才能があってもお酒に飲まれてしまう身体では、周囲も自分も損なってしまう。でも、お酒から離れられず醜い自分をさらし、あがきながらも生き永らえようとする放哉の姿は痛ましくも人間らしい。
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どうしようもないアルコール中毒の俳人、尾崎放哉の最後をいとおしく描いた吉村昭の小説。戦艦武蔵などの戦記物しか知らなかった吉村だが、この放哉への心の寄せ方にこちらも心を動かされた。
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物語の半分(か、それ以上)は放哉のお酒の失敗エピソードなわけですが、“酒”というよりは“病”というものが、あるいは、“金が無い”ということがどれだけ人を卑屈にさせ、孤立させるものなのかと恐ろしくなった。
最初に放哉の心に巣食った病はなんだったのか。
物語が始まる頃には既に終わりが始まっていて、知る由もない。
妻にも見捨てられ、彼には小豆島の寂しい庵しか、行くアテがない。
徐々に衰えていく身体から削り出されたかのような言葉は、どれも骨のように白く軽い。
放哉の句を読むことは、彼の骨を拾うような行為だと思う。
圧巻は放哉絶命のシーン。
ワンカット長回しのような臨場感、緊張感。
これは吉村昭にしか書けない。
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尾崎放哉という人は、俳句とかさほど興味がないぼくのような人間を「咳をしても一人」という句ひとつで引き付ける、不思議なパワーの持ち主です。まあ、鬱陶しそうな…という感じのイメージなのですが、その放哉をきびきびとした文体で「歴史小説」の傑作を書いた、今は亡き吉村昭が、独りぼっちで咳をしている放哉を「鬱陶しさの塊」として描いているのですが、どこかにいたわりとやさしさが響いている作品で、読み終えると何ともいえず哀しい作品でした。
ブログに感想を書きました。覗いていただけると嬉しい。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202107300000/
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口語自由俳律で知られる尾崎放哉。その小豆島での最期の8カ月を描いた作品。享年41。
酒乱で酒を飲めば攻撃的になる。人の施しによってしか生きられない。どうしようもない人間だと思うのだが、「結核」を病み、家族から疎んじられ、長くは生きられないと悟ると、そうなるのかもしれない。もっと句を詠みたかっただろうし。
没後、放哉の師にあたる井泉水が「捨てて捨てきつて、かうした句境にはいつてきた」「大自然と同化していた」と表現したそうだ。俳人として名を残すには、この捨てきった8カ月が大切だったのかもしれない。
はるの山のうしろからけむりが出だした
春の訪れを誰よりも待っていた放哉だったのに。
吉村昭氏は、やはり島に渡って、徹底した取材をされたのだろう。8月の蝉の声、島では咲かない梅や桃の花のこと、島の季節が細部にまでわたって描かれている。
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1980(昭和55)年に本が出ている小説であるという。40年以上前の作品なのだが、活き活きと迫ってくるような作品で、少し引き込まれながら、頁を繰る手が停められなくなった。そして素早く読了に至った。幾つもの作品に触れている吉村昭の作品である。題材にしているのは俳人の尾崎放哉(おざきほうさい)(1885‐1926)の人生である。
明治期から大正期を生きた実在の人物をモデルにした主人公が登場する、ハッキリ言って「伝記」という感も在る小説である。加えて、「主人公本人が頭の中で思っていることを、綺麗に、客観的に綴っている」というようにさえ感じられて引き込まれた。それでも何処となく「小説のために創造された主人公」という感さえ抱く。一読する印象としては、“実在”というより“虚構”という感さえ否めないのだ。と言うのも、「不思議な生涯」という感じな生き様で、「伝記」とでも言った場合に思い浮かぶような「色々な意味で偉い」が感じ悪いような人物像の主人公なのである。
「色々な意味で偉い」という感で後世に何らかの形で名が伝わるからには、その事績が知られて伝わっているということになる。尾崎放哉は俳人としての事績が伝わる人物である。尾崎放哉の年長の学友でもあった荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)は「自由律俳句」という新しい表現を提唱し、『層雲』という雑誌を主宰していたのだが、尾崎放哉はその『層雲』の名が通った同人であった。没後に荻原井泉水達が尾崎放哉の句集を刊行し、そういうようなモノも通じて事績(=作品)が伝わって知られるようになったということになる。
尾崎放哉は鳥取の、武家の流れを汲む官吏の家庭に生まれ育ち、順調に学歴を重ね、東京帝国大学に学んで社会に出ている“エリート”である。が、酒に纏わる失敗等が重なり、幾度かの転職を繰り返した中で病を得てしまう。そして妻とも離れ、遁世の暮らしの中で流転しながら、句作を続ける。やがて小豆島に至って、寺の別院の庵で所謂“庵主”という墓守ということになった。そこで病が進行して力尽きてしまう。
本作は放哉が小豆島に辿り着くという辺りから起こり、他界してしまう迄が描かれる。末尾に些かの後日談も加わっているが、「小豆島に暮らして力尽きた尾崎放哉の8ヶ月間」というのが本作の軸である。その小豆島での様子の中、尾崎放哉の来し方が振り返られる。
来し方の他方で展開する「8ヶ月間」である。「迷惑を振り撒き続けて何もかもを棄て、棄てたところでまた迷惑を顧みるのか否かも判らずに生き」というような様子であった中、自棄、自己憐憫、諦観というような様々が入り混じった様子で尾崎放哉は在る。「その才が一定程度評価されている句作」を拠所にしていて、内面的な「最期の輝き?」というような様が在るかもしれない中、病に蝕まれて力尽きて行くまでが冷徹に無惨な迄に描かれているというような感じがした。様々なモノが入り混じり、傍目には判り悪い御本人の心情と行動とが展開し、他方で殆ど不可逆的に衰える身体が在って、その身体を擁して戸惑うという様子が描かれるのだが、何か「迫る」というものが在る。
作者の吉村昭は、文芸を愛好する若者であって俳句も嗜んだというが、そういう時期に肺の���で少し長く苦しんでいた経過が在って、そんな時期に「病を得ながら多くの作品を遺した」という尾崎放哉を知り、作品にも親しんだ経過が在るのだという。それを踏まえて、長きに亘って取材等を重ね、文献を紐解いて、この『海も暮れきる』を創ったようだ。“エリート”の矜持、一定の評価を得ている俳人という矜持の他方、余り褒められない経過で生活の手段を損なって漂泊しているという境涯に在り、それでも尚「性質が悪い…」という言動が垣間見えて、棄てたとしている妻への未練も募り、そして力尽きるという様子を、「御本人が憑依」という感じで作者は綴ったのであろう。吉村昭作品については色々と親しんでいるが、本作は「酷く想い入れが強い作品」なのだとも感じられる。
実は思い付いて尾崎放哉の作品に触れてみた経過が在る。そういう中で、同時に「あの吉村昭が着目?」と関心を抱いて本作と対峙した。“尾崎放哉”という程度ではなくとも、巧くやったとも、やっていないとも言い得るような経過で年齢を重ね、自身で明確に理解出来ずに体調を損ねている可能性も排除出来ないという中、「何となれば海に…」という人生への諦観と同時に、何とか生きようとし、生活の糧をもたらしてくれる動きが生じる時季に期待し、他方で病による体の衰えの故に「何となれば海に…」ということにもならないことを解し、藻掻いている中で力尽きる“尾崎放哉”が、何か「迫る…」というような感じがする。
或いは、「偶々出くわした小説作品」ということでもなく、「作品の側からすり寄って来た」という存在感なのかもしれない。強く記憶に留まる作品になるであろう…