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中島飛行機で機体の設計をしていた技師 小山悌(やすし)の話。三菱の堀越二郎は零戦で有名だが、小山悌は取り沙汰されるのを拒んでいたそうで、同等以上の功績ながらあまり知られていない。
後輩に後にロケット工学で有名になる糸川英夫が入社し、偏屈だが哲学を持っていて右腕となる。
設計した機体としては「九七式戦闘機」で名を成し、「隼」が代表的で、最後はエンジン6基搭載の太平洋横断大型爆撃機の「富嶽」(およびその後の旅客利用も視野に入れていた)を設計したが実現まではいけなかった。
かなり面白かった。特に糸川秀夫が登場した以降位から熱くなる。将来の設計には将来のパイロットの飛行学校生に聞くといった現場主義で何が必要とされるかを考えていく。
「中島飛行機」にピンとくる方にはお薦め。
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小山氏の飛行機に携わるキッカケから戦後までの歩んだ道を記載した一冊。
個人的には飛行機を設計する上での安全という哲学はあらゆるモノづくりに通じるものがあるのではないかも感じる。また、もし彼が戦後の航空機に携わっていたらどうなっていたのか?また、当時の日本の航空機開発の現状を通して見えてくる戦争や技術の立ち位置が印象的。
さらに、同じ敗戦国のドイツと日本ではなぜここまで航空機開発に差がでてしまったくるのか正直、悔しい気持ちにもなった。
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日本の技術史の一場面、航空機産業において日本が最も輝いていた時期に、その先頭を走っていた中島飛行機の物語。本書の主人公は、隼を設計した技師、小山氏。技術に没頭する姿は現代のベンチャーを思わせる。搭乗者の安全を重視した設計に、氏の気概を感じる。中島飛行機はSUBARUの母体となった会社。先日の安全性を軽視したことによるリコールを見たら、小山技師はどう思うだろうか。
個人的には、この中島飛行機を創業した中島知久平氏の、経営者としての器の大きさに心打たれる。航空機の必要性を悟り海軍を辞め単身で中島飛行機を創業、その後に空軍の必要性を感じて国会議員となり活動。スケール大きすぎ。。。