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・例の研辰物の最新版かもしれない「野田版 研辰の討たれ」は喜劇である。今はなき中村勘三郎が主演し、これも今は亡き坂東三津五郎が家老を演じてゐる。 物語は研辰に家老の父を殺された兄弟が艱難辛苦の末に敵を討つといふものだが、研辰といふ人間はそんなに簡単に料理できるやうな者ではない。兄弟は実に涙ぐましい努力をして、やつと思ひを遂げるのである。かう書くと敵討ちは良いものだ、美徳であると言つてゐるかのやうであるが、研辰は最後の最後まで(刀はなしに)抵抗し、討つな、討つなと叫んで逃げ回る。逃げ回る者をさうまでして討たねばならぬのかといふ批判が当然出てくる。原作の木村錦花の批判のいはば受け売りだが、野田秀樹はそのあたりを実にスマートに処理してゐる。ここにきて研辰は完全に変身を遂げたと言ふべきであらう。
・長谷川伸を、私は「一本刀土俵入」や「瞼の母」の作家と思つてゐる。歌舞伎でもかかるから私も何度か観てゐる。やはり名作であらう。長谷川伸「日本敵討ち集成」(角川文庫)にも研辰が載る。こちらは淡々と事実、あるいは事実と思しきことを記していく。従つて戯曲とは全く違ふ。これが文筆を業とする者の基本的な姿と態度であらう。だから、研辰の敵討ちは敵討ちとして書かれる。大体、殺されるのは家老の息子ではないし、討たれるのは間男研辰だと言へばよからう。さう、研辰は間男であつた (らしい)。それが4年後に故郷で討たれたのである。「平井兄弟と雲龍とは、源右衛門の案内で庄屋の米田伝右衛門方へ行って敵討ちのことを届け、同家にとどまる事になった。」(239頁)そして、「高松藩は藩主松平讃岐の守頼忠の名に依って、平井兄弟・雲龍を城下へ引き寄せることになった。」これは、結局、一時的に藩が保護してゐることになる。「そのころ久しくこの辺りでは敵討ちがなかったので、評判至って高くなり、三人とも高松藩から優遇もされたし、 讃岐ばかりでなく一般の間に頗る人気が出た。」(240頁)といふから、木村錦花、野田秀樹とは全く違ふ。敵討ちも作家の考へでいろいろと変はるものである。だから伸は、「『研辰の討たれ』その他、近い頃の研辰物も事実とは無関係である。」 (241頁)と書く。いはばなれの果ての研辰を勘三郎は演じたのである。これは本書序文最初の一文、「日本の敵討ちは単なる報復ならず、独自の格を遂に備えるに至った。」(6頁)とは逆のものであらう。そして、伸の書く研辰こそがその「格」を備へてゐるのである。かうまで評価が逆転した敵討ち話は他にあるのかどうか。ただ所謂忠臣蔵の評価に関して、「これを世伝のいうように、敵討ちとして観るかどうかとなると、これはここでいう敵討ちではない。」(196 頁)と書いてゐる。たぶん公許ではないからでらう。その意味では研辰を討つた平井兄弟も同様のやうな気はする。とまれ敵討ちといつても、ただ単に敵を討てば良いといふものではないのである。そのあたりも含めて、伸は「格」を備へてゐるといふのであらう。しかもそれは「日本独自のもの」(6頁)で、外国の影響を受けずに「独自の成長を遂げた」(同前)ものだといふ。この当否は私には分からない。ただ、この後に「報復の戦争」「戦場にての報復」(同前)���いふことが出てくる。これは古事記から始めるための前置きかもしれないが、最後の伊東昌輝氏の「解説」からすると、どうもそれだけではないやうである。「一歩二歩と少しずつ民俗が“格”を高めていった」(278頁)とある。さういふふうに見るのかと思ふ。しかしさうだらうか。さう思ひながら、芝居になつた敵討ちを、本書と比べながら思ひ出してみるのでつた。