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住む環境によって、認知症や転倒のリスク、健康寿命までも違う。気軽に身体を動かせたりる、人とつながる環境にあれば、健康寿命は伸ばせる。
個人の意識や努力だけに頼らない、健康になれる環境づくり(ゼロ次予防)が有効。
膨大なデーターを用いて実証されてきたその研究もすごい。
個人の努力だけでは減塩はできない。イギリスでは政策として取り組み、国民が気づかないうちに減塩できてしまった話が、興味深かった。
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詳細な調査・統計データを用いた説得力のある内容。おらが町の診断結果を見てみたい。福祉関係者必読の書。
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非常に興味のある本。
住んでいて健康になれる町。
なるほどって言わせる本です。この本と、日本老年学的評価研究のWEBページをあわせ読みすると非常に面白いです。
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たくさん歩いて多くの人とコミュニケーションを取り、笑って暮らしましょうということなのですが、学歴と健康の相関などは興味深い傾向でした。
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仕掛けづくりは難しい。田舎や都会関係なく難しい。でも、2040年に向けて真剣に考えないと。。。なんで日本人は呑気なんや⁉️
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近藤克則
1983年千葉大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院リハビリテーション部医員、船橋二和(ふたわ)病院リハビリテーション科科長などを経て、1997年日本福祉大学助教授。University of Kent at Canterbury(イギリス)客員研究員(2000~2001年)、日本福祉大学教授を経て、2014年から千葉大学教授。2016年から国立長寿医療研究センター老年学・社会科学研究センター老年学評価研究部長。一般社団法人日本老年学的評価研究(JAGES)機構代表理事
結果、この図から、スポーツの会に週1回以上参加している人の割合が多いまちほど、認知症リスクが低いことがわかります。 これでスポーツの会への参加が良さそうなことはわかりました。それがIADLの低下、つまり認知症リスクに対してだけ影響するのか、健康の他の面にもかかわるのかを判断するため、いろいろな健康指標を用いて調べてみました。
社会的な特徴に目を向けると、所得の低い人や教育を受けられなかった人、結婚していない人は、転倒や骨折をしやすかったりするから驚きます。そういう人ほど閉じこもりがちで、歩行量が少なく、鬱も多くなるからでしょう。
横軸は、趣味の会に参加している人の割合です。この図からわかるのは、趣味の会に参加している人が多いまちほど、メンタルヘルスが良いことです。二つの関係が大変きれいに図に表れています。
人口密度が低くなるとなぜ歩かなくなるのか。いろいろな地域の保健師さんと話をして、ひとつの推測にいきつきました。農村地域に行くと、車なしでは生活できません。それが影響しているのではないか、ということです。
都市部で車は、「1家に1台」ほどはないでしょうが、農村部では1人に1台どころではありません。農作業用の軽トラまで入れると、家族の数より車の数のほうが多いこともあるそうです。そういう環境で暮らしていると、500メートル先のコンビニエンスストアにまで車で行ってしまいます。
歩くことが健康にいい影響を及ぼすことは、すでにご存じでしょう。さらに、計算問題をしながらとか障害物をよけながら歩くとか、二重課題、英語で言えばデュアルタスクをこなすと、認知症予防になることがわかっています。
低学歴の人はなぜ、健診を受けないのか。少し考えれば理由がわかります。 健診に行くのは気持ちが良いものでもないですし、楽しくもありません。おまけに針を刺されて血を抜かれたりします。 それでも受診する人は、「面倒だけれど、将来の健康のために我慢したほうがいい」ことが理解でき、実行できる人です。あるいは5年先、 10 年先にやりたいことがある人かもしれません。 それに対して、鬱状態の人、長生きしたいと思わない人、いっそのこと死んでしまいたいと思っている人にとって、健診は行く意味を見いだせないものなのかもしれません。そして 鬱状態のような危険因子を抱えている人、健康リスクの高い人は教育年数の短い人、低所得の人たちの中に多い のです。 これらを組み合わせると、低所得とか低学歴の人たちは健診に行かないことが説明できます。
全年齢を対象にした国民健康づくり運動が「健康日本 21」です。 21 世紀の日本を健康にしようというものです。第一次が始まった2000年に設定された数値目標は、 59 指標に及ぶものとなりました。 身近なところでは、1日の平均歩数などもありました。当時の男性は1日に8200歩、女性は7200歩を歩いていました。歩くと健康にいいことがわかっていましたから、キャンペーンなどを実施すれば、 10 年後には平均で1000歩ぐらいは歩数が増えるのではないかと期待して……目標は、男性が9200歩以上、女性は8300歩以上に設定されました。その結果、どうなったか。歩数が増えるどころか、期待に反して減りました。これが実態なのです。
第4章で詳しく紹介しますが、「近くに公園がある」人のほうが、「近くに公園がない」人よりも運動習慣が多いことがわかりました*。あるいは近くに「安全な歩道や自転車道がある」と答えた人のほうが、運動習慣ありと答える人が多いのです。
つまり、「運動が健康に良い」という知識だけでは不十分で、それを行動に移しやすい環境が周りにあるかどうかも大事なのです。環境によって、人々の行動は変わることがわかってきました。
政府の統計では、集計結果しか公表されませんので、詳しくはわかりませんが、公園が近くにあるような地域は、不動産価格が高いかもしれません。すると、そういった地域に住んでいる人は年収も高く、健康意識が高い人が多い可能性があります。そのような人ほど運動習慣があるという見かけ上の関連である可能性がまだ残っています。
老後の生活資金に3000万円は必要だといいます。月 10 万円として年に120万円。 60 歳からの 25 年分で3000万円になります。近づいている人生100年時代になれば 40 年分ですから約5000万円になります。 これに医療や介護の費用も加わりますから、これでも最低必要額です。この額を貯蓄だけで賄える世帯は少ないでしょう。それでも健康で文化的な最低限度の生活を保障しようと作られた仕組みが年金に代表される社会保障制度です。
縦軸の点数が高いほど高い読解力を表します。奥に行くほど両親の職業的な地位が高い子どもです。どこを見ても、奥に行くほど棒の背が高くなっています。つまり、親の職業階層が高いほど読解力が高いという厳しい現実を表しています。 もう一つの側面が横軸です。読書への取り組みがしっかり行われている子どもほど読解力は高いという結果になっています。きれいな右肩上がりです。
たとえば、学校で始業前に 10 分間自分の読みたい本を読む「朝の読書」活動や児童館における絵本の読み聞かせのような取り組みが広がれば、親が仕事で夜遅くまで帰ってこられないような子どもであったとしても、読解力を引き出すことができることを意味します。
さらに注目したいのは、右の一番手前と左の一番奥です。どのような家庭に生まれたかの影響のほうが強いのなら、左奥のほうが点数は高くなるはずです。 しかし、恵まれた環境のもとに生まれても、読書への取り組みが弱ければ491点。親の職業的地位が低かったり、貧しい家庭に生まれたとしても、読書への取り組みが豊かな環境で育ててあげることができれば540点です。
つまり逆転も可能であることがわかります。そ��子の持つ能力を最大限引き出す環境づくりが大事なのです。
たとえば、運動は一人で黙々とするよりも、グループに参加したほうが効果的であることは、第1章でも紹介しました。もう少し詳しく、データを基に解説しましょう。 スポーツの会、趣味の会、ボランティアの会、町内会など地域によくある8種類の会のいずれかに参加している人は小学校区によって3~7割と大きなばらつきがあります。参加する人が7割いるまちは、認知症リスクを持っている人が少なく、3割しかいないまちでは、認知症リスクを持っている人が多い。そんな関係がきれいに表れています。
そうした人の状況を表すのは濃い色のグラフです。 同じ週に1回以上運動をしている人同士で比べてみると、スポーツの会で運動をしている人よりも、一人で運動している人のほうが1・29 倍、認定を受けやすかった のです。グループで運動することで、健康増進の上乗せ効果を期待できるのです。
誰かと一緒にいるときよりも、一人でいるときのほうが「よく笑う」という人は少ないでしょう。 ほとんどの人は、誰かといるときのほうが笑うと答えます。 たとえば、ウォーキングを例に考えてみると、一人で歩いている人は、ほとんど笑うことなく黙々と歩いていると思います。 一方で「歩こう会」で集まって歩く場合には、誰かが冗談を言ったり、ちょっとした事件が起きたりして、笑いが起きているのではないでしょうか。 つまり、運動は一人でしても健康に良いのですが、それよりも誰かと運動をしたほうが笑う機会も増えてより効果的であると、考えられるのです。
もう一つ、社会に参加すると人との〝つながり〟が生まれます。社会とのつながりが豊かな人ほど、認知症になりにくいと、9年余りの追跡調査でわかりました。 つながりには、さまざまな側面があります。そこで 10 種類程度を調べた結果、効果が大きかったのは次の五つです。
〈認知症発症リスクが半減していた〝つながり〟〉
・配偶者がいる。
・同居家族間の支援がある。
・友人との交流がある。
・地域のグループ活動に参加している。
・就労している。