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大変な冒険ものでした。
いつもの京都の薄暗い、何か怪しげな神秘的なものとは違う小説でした。
話はループしていて「私」がいろんな人に変わっていく。
ぐるぐる回っているそんな気分でした。
「柳画廊」が出てきてホッとしました。昔馴染みのお店というか、見知らぬ土地で友人に出会ったような気分でした。
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実在不明の本を巡る話と聞くと、恩田陸「三月は深き紅の淵を」を思い出す。
小説とは、実在しない世界を創造して書き表された言葉の集合体だ。
小説内で更に物語が展開されていく入れ子の構造になり、物語は無限に広がっていく。
森実登美彦が本作で作り出した世界は「千一夜物語」を題材に、終わらない物語を終わらせるための物語だ。
物語が語り終えられたとき、世界が一変しているというのが、最近の森実登美彦らしいと思う。
この話は「夜行」「宵山万華鏡」寄りの、ちょっと不気味な名無しだけど、どちらかというと「夜は短し」や「有頂天家族」みたいなアホらしい話のほうが好きなんだけど。
沈黙読書会という会に誘われた。
本の謎を持ち寄って披露しあう読書界だが、ルールがある。
その謎を解いてはいけない。
謎は謎のままに。
スランプ中の登美彦さんは、沈黙読書会に参加することになった。
「熱帯」という奇妙な本を知っている人はいないかと探しに。
かつて読んだその本は、気が付かないうちに消えていた。
その物語のラストを知らないのだ。
そして沈黙読書会で、偶然か必然か、その「熱帯」を持つ女性と知り合う。
その女性が語るには、「熱帯」を最後まで読み終えた人はいないという。
「熱帯」とは、どのような本なのか。
この本を巡り、様々な考察を繰り返し、そして行きついた先にあったのは、本の世界の中だった。
千一夜物語には終わりがない。
汝にかかわりなきことを語るべからず。
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誰も最後まで読み終えることのできない本、熱帯。
みな熱帯に飲み込まれていく。
が、読んでる側も飲み込まれてしまい、脳みその足りない私は既に再読を誓っています。とある登場人物のように、メモしながら読み込みたい一冊。
序盤と終盤は、まるで別世界のようで、同一の世界。
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モリミーが「ここではないどこかの世界」へ誘ってくれる。私が今いるこの世界とつながってはいるけれど同じ箱ではない、そんなどこかにある不可思議な箱の中でいくつにも折りたたまれた世界。そんな感じ。
うまく言葉で表現できないこのもどかしさ。
例えば京都の四畳半で何度も繰り返される毎日や、友人が突然消えた祭りの夜から起こる不思議な世界がもっと深く、大きく、広がったということか。
この物語を、誰かと共有することはできない。読んでいる間の、そして読み終わった後の、浮遊する心地よさは、誰とも分かち合えない、多分。
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面白い!本の世界に引き込まれる感じがした。
結末については、良いような悪いような、何とも言えない感じ。
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ついに森見さんの小説で神保町が舞台になった!という喜び。
でも読み進めていったら神保町にとどまらず、色々な島なども登場し、森見さんらしさを残しつつも新境地という感じがしました。
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時計の針を戻せるなら、9割読んだところで30年くらい塩漬けにして、存在すら忘れた頃に結末を読みたかった。
迷った。なんとなく結末へと続く道筋が見え始めたから、最後まで読むべきか、それとも9割のところでやめるか。
話しの進め方がとてもうまいので、ぐいぐい読めてしまう。かっぱえびせん状態。でも途中で気づいた。あぁ、これ終わらないなって。
個人的には大風呂敷を広げるだけ広げて、結末をはっきりさせずに、ほっぽりだす小説は「あり」なのだ。よくぞそこまで話しを膨らましてくれた!ありがとう!であり、広げ過ぎて収拾つかなくなっても、ご苦労さまです、ゆっくりお休み下さい、なのだ。
この小説もそんな感じ。たぶん、この結末だと怒りだす人もいるだろう。金返せとか。
こう考えたらどうだろうか。
たまたま寅さんがバッタものを売っているところに通りかかった。
結構毛だらけ猫灰だらけ、尻の周りはうんちゃらかんちゃら(自主規制)
四ツ谷赤坂麹町、チャラチャラ流れる御茶ノ水、粋な姉ちゃんうんちゃらかんちゃら(再び自主規制)
もう、商品の良し悪しなんか問題じゃない、あんたの啖呵に惚れたから買ってやる。といった気持ちになれれば良い買いものだったと思える。
結末の出来なんてどうでもいいじゃないか、楽しめたんだから、という心の広い方にはおすすめ。
一番おすすめの読み方は、謎の本「熱帯」に倣って結末まで読まないこと。ディスっているわけではなく、本音。
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入れ子構造なんて単純なものではない。
連なる物語が少しずつ位相をずらしていく。
「きつねのはなし」とのつながりも・・・。
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「物語」というものは、古より人から人へ脈々と受け継がれ、何百年何千年と生き続けていくものなのだ。
そこには国や言語の違いなど一切関係ない。
創られた「物語」の結末は決して一つではなく、読んだ人により更に創られ、新たなる「物語」が生み出されていく。
その積み重ねを我々は今、そしてこの先もずっと読み続けていくのだ。
あまりにも壮大、それでいてどこか懐かしい。
これぞ森見マジックのなせる技。
読み進める内にどんどん物語の中へと引き込まれ、翻弄され惑わされていく。
森見さんの「物語」への深くて大きな愛情を感じずにはいられない。
次々に襲いかかる大小様々の、妄想に次ぐ妄想の荒波に揉まれ、あっぷあっぷと溺れそうになりながらも巧くかわし、何とか帰るべき場所へと帰って来た私。…のはず、が、あれ?
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沈黙読書会で見かけた奇妙な本「熱帯」。それは、どうしても「読み終えられない本」だった-。結末を求めて悶えるメンバーが集結し、世紀の謎に挑む!
森見作品のうち「きつねのはなし」「夜行」は私の好きなタイプで、本作も序盤はそんな感じだった。ところが中盤から作者の想像力が、成長につれてどんどん枝分かれする巨木のように広がり、ついて行けなくなった。本書は読者を選ぶタイプの小説で、私は選ばれなかったということかも。
(Ⅽ)
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あれ以来どんなものも3.11と繋げてしまう傾向があるという前提で、解釈は個人の自由だから許されると信じて口を開くならば、崩れる島、生き延びねば、などはすべて3.11の物語のように感じるんだよなあ。
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『千夜一夜物語』や『山月記』のように小説内でタイトルは出てこなかったけれど、読んでいる中で何度も思い出したのが『はてしない物語』。
物語ること、創造すること。名前をつけるシーンも印象的。
そして、本そのものを使った仕掛けも『はてしない物語』を彷彿とさせます。単行本を買った方、ぜひカバーをとって装丁を見ていただきたいです。
あと、本筋には全然関係ありませんが、森見さんのおかげで国立国会図書館の知名度がちょっと上がったんじゃないかしら。さすが?元職員さん。そう、国会図書館には納本制度というものがありまして。ちょっぴりうれしいです。
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著者と作中の作者が最初と最後で入れ替わる、鏡像的な構造。
物語の中で物語が語られる、終わりのない構造。
千一夜物語やエッシャーのだまし絵を思わせる不思議な構造に幻惑されることができる。そこにいつもの京都テイストが絶妙にマッチしていると思う。面白かった。
後半の不可視の群島シーンのドタバタ劇はあまり好みではなかった。
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アラビアンナイト、うだるような夏の京都、ロビンソンクルーソーを三題噺のお題にした壮大なるぐだぐだ物語。きらいじゃないけど、登場人物の関係性、時代、場所がスパゲティ状態で、読み進むのに根気がいる。
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読み終わるまでとても時間がかかってしまいました。森見さんの作品はすべて読んだけれど、この本は今の私には難しかった!でもその難しさが嫌ではなく、読んでいて少しわくわくするような感じで、この本をもっとわかるようになりたいと思えるようなものでした。もう少したったらまた読んでみたいと思える作品でした。よくこんな物語を思いつくものだなあと本当に感心します。